最近読んだ本の話(2009年7月)
再び最近読んだ本について書いてみたい.先にも書いたように,この欄は本の内容の紹介ではなく,その本にまつわるあれこれについての雑文である.

1.竹内整一著「日本人はなぜ『さようなら』と別れるのか」

「日本人はなぜ『さようなら』と別れるのか」(ちくま書房,ちくま新書,2009年1月,219ページ)なる本との出会いは,新聞の書評からである.今年(2009年)の3月15日(日)の毎日新聞の書評欄「今週の本棚」に,東京大学教授であり,文芸評論家でもある沼野充義さんがこの本を紹介していた.

沼野さんによるこの書評,それ自身がとても素晴らしく,本を読まなくとも,「なぜ日本人が『さようなら』と別れるのか」,わかった気になってしまったくらいである.書評が素晴らしいいのだから,書評の対象となった本は,本当に素晴らしいのだろうと,その後入手して読んだ.

世界で使われている別れの挨拶は,1)神のご加護あれと祈る別れの言葉(例えば,英語の「グッドバイ」),2)再会を期待する別れの言葉(例えば,中国語の「再見」,日本語の「またね」),そして,3)お元気で行ってくださいと無事を祈る別れの言葉(例えば,韓国語の「アンニョンヒ・ゲセヨ」,日本語の「お元気で」),の三つに大別できるという.しかし,日本で最も一般的に使われている「さようなら」は,そのどれにも当てはまらない.

「さようなら」は,「さようであるならば(短く言えば,『さらば』)」からきた言葉であることはすぐ理解できる.接続詞(句)であるこの言葉が,なぜ別れの言葉になったのだろうか.この本では,この言葉使いの歴史的な変遷,すなわち,時代ごとの用例が詳しく解説されている.そして結論は,日本人の「死生観」に強く結びついているからとする.

先に,書評を読んだだけで「なぜ日本人は『さようなら』と別れるのか」がわかった気になった,と書いた.そんな気になったので,書評が出た3日後の3月18日(水)に開催された退職教授送別会の席上で,この本(正確には,この書評)を題材に,退職される7名の教授の先生方に,部局長として「さようなら」とお別れの挨拶をした.

この本は名著である.是非とも,皆さんに読んでもらいたい.何気なく使うさようならも,大変奥が深いことがわかる.ところで,竹内さんには「日本人はなぜ『ありがとう』とお礼するのか」を是非書いて欲しい,と思いませんか.

2.竹内一郎著「『見た目』で選ばれる人」

出張先で持参した本を読んでしまい,途中で本を探すことがある.この竹内一郎さんの「『見た目』で選ばれる人』(講談社,2009年3月,221ページ)も,東京駅構内の本屋で見つけた本である.大ベストセラーとなった前作「人は見た目が9割」(新潮社,新潮選書,2005年10月,191ページ)の続編にあたる.

前作と同様,本書では,言語のみでは真意を伝えることは難しいので,顔の表情,身振り手振りなどの非言語的表現が大事であると主張する.本の帯には,「ミリオンセラー/『人は見た目が9割』の実践編/ついに登場!」とある.

さて,大ベストセラー「人は見た目が『9割』」の中に,アメリカの研究者によれば,言語は,たったの「7%」しか情報を伝えない,との記述があった.そして,このことを根拠に,「人は『見た目』が9割」という本の題名にしたとも書いてあった.

本を読んだとき以来,「言語は,たったの7%しか情報を伝えない」という結論が,どのようにして導き出せたのか,不思議に思っていた.それがこの本を読んで理解した.心理学者の実験のやり方を紹介している部分に,その答えがあった.少し長くなるのだが,その部分を引用しておこう.

「人は見た目が9割という本のタイトルの根拠になった,アメリカの心理学者A. マレービアンの実験はこういうものである.たとえば,『好き』という言葉を被験者に示す.『好き』という意味を伝達する単語である.その単語の言い方を,いやがっているイントネーションに変えて発語してみる.意味とイントネーションが矛盾する.矛盾した場合,どちらの情報に重きを置いて受け取るか.また,『好き』という言葉と同時に顔写真を見せる.写真は,たとえば怒った顔であるとする.またしても,矛盾した情報である.被験者はどちらの情報に重きを置くか−−.言葉の意味,イントネーション,表情と矛盾した情報が与えられたときに,人はどの情報に重きを置くか,という実験なのである.その結果,言葉の意味が七パーセント,イントネーションが三八パーセント,表情が五五パーセントになったのである(言語情報は一○パーセント以下,非言語情報“見た目”が九〇パーセント以上なので,『見た目が9割』)というタイトルにしたのである」(48-49ページ).

さて,実践編と銘打ったこの本を読むことで,非言語的コミュニケーションが格段に上手になるのかどうか,私にはわからない.それでも,非言語的コミュニケーションの大事さは十分に伝わってくる本であった.

なお,著者は現在大学に勤めているが,この本で,そこにたどり着くまでの経歴が著者自身により綴られている.この経歴も大変面白い.

3.鳴海風著「円周率を計算した男」

今年(2009年)5月17日の日曜日は,仙台から山形に読む本を持っていかなかったため,午前中本屋に行った.今日はこのジャンルの本を探そうとか,あるいはお目当ての本が特にあって行ったわけではなかった.そんな中,新刊の文庫本が平積みされた一画で目に付いたのが,この本「円周率を計算した男」(新人物往来社,新人物文庫,2009年5月,381ページ)である.

著者は鳴海風(なるみ ふう)とある.この著者とは初めての出会いである.昨年の11月に,本キャンパスで開催された「関孝和三百年祭記念講演会『和算と東北大学』」に参加したことや,円周率の3.14で3月14日が数学の日になったことを,この欄(42,45)に書いていたこともあり,この本がすぐ目に止まった.面白そうだな,読んでみようと,すぐ手に取った.

この文庫には,表題の小説を初め,6編の短編が収録されている.表題の小説は,建部賢弘(たてべ たかひろ)を主人公にしたもので,残り5編も,すべて主人公は和算家である.執筆順は異なっているものの,この文庫本では,実在の主人公が活躍した年代順に並べられている.したがって,この本を通して,江戸時代の和算の進展状況がわかる.なお,この文庫本の解説は,京都大学の数学者,上野健爾先生が担当された.上野先生は,昨年11月に本学で開催した上記「関孝和三百年祭記念講演会『和算と東北大学』」に参加され,講演もされている.

さて,この文庫本が鳴海さんとの初めての出会いである.文庫本カバーの著者紹介によると,1953年,新潟県生まれ,とある.私と同じ世代である.出身高校は秋田高校,そして本学工学部に進んだ.大学院は機械工学専攻.修了後,自動車関係の会社に入社したとある.

この本を,とても面白く読めた.そこで鳴海さんのほかの本をインターネットで検索してみると,既に多くの本を出しておられることがわかった.その後,出張の時や日曜日に,何軒かの本屋で鳴海さんの本を探してみたが,残念ながら見つけられなかった.鳴海さんの本は入手するのに苦労するようだが,しばらくは探し続けようと思っている.

鳴海さんはじめ,今が「旬」と活躍している本学出身の作家がだいぶおられる.伊坂幸太郎さん(法学部),佐藤賢一さん(文学研究科),瀬名秀明さん(薬学研究科)などなど.これらの方々には,これからもたくさん面白い小説を書いて欲しいものである.


2009年7月15日記


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