教えることは本来双方向的なこと
昨年(2019年)5月6日に亡くなられた加藤典洋さんが「助けられて考えること」と題するエッセイを,亡くなられる3か月前の2月2日の信濃毎日新聞に寄稿していることを知った.光村図書出版が,毎年発行している『ベスト・エッセイ2020』に収められていたからである(「最近読んだ本から」の9月分で紹介する).加藤さんは明治学院大学国際学部と早稲田大学国際教養学部で教鞭をとられたが,一般には文芸評論家として知られているのではなかろうか.

このエッセイは,「大学をやめてから4年がたつが,自分がだいぶ教える相手に助けられてきたことに気づきはじめている」という文章で始まる.加藤さんは,教室でも教えられることが多かったとし,サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて(The Catcher in the Rye)」にまつわる,忘れられないエピソードを紹介する.主人公は家出をした後,様々な経験をして家に戻る.10歳くらいの妹は,兄を世の中に不満だらけだと非難するも,兄は唯一なりたい将来の職業は「守り役」がいいと話す.その後兄は再び家出をしようとするが,妹は同行すると言ってきかない.困り果てて妹を公園に連れて行き,メリーゴーランドに乗せる.すると激しい雨が降ってくる.ずぶぬれになりながらも,兄は遠くからこの妹をじっと「見守る」.すると兄の心には幸福感が湧いてくる.この小説はここで終わる.この小説に対し,「1人の学生が,この最初の『守り役』のキャッチ(catch)と最後の『見守る』のウォッチ(watch)は,1字違うだけで,この小説の中で対応しているのではないか,と言った」のだそうだ.

加藤さんはこの指摘に刺激されて,「子供とのつながりを『キャッチ』するのから,『ウォッチ』するものへと変えていく.そのような主人公の成長の物語が同時にここに描かれている,と見ることが可能である」とする.そして,「そこで成長するのは,兄のほう,守ろうとするほうだ.同じことが教えるということ,考えるということについてもいえるのではないか」と続ける.そしてエッセイの最後を,「(筆者補足:教えることに限らず)考えるということについても同じだ.一番よいのは,人に助けられて考えること,というのが今の私の結論である」と結ぶ.

私も確かに「教える」ことは一方的なものではなく,双方向的なものであると実感する.講義をやっていても,毎年のように思いもかけない観点からの質問や指摘があり,こちらも学ぶことが多い.また,加藤さんが指摘する「辛抱強く,『手出しせず』に『見守る』うちに,教える側も,何かを学ぶ」もその通りだと納得する.ところで,加藤さんの「人に助けられて考えたこと」とは,いったい何だったのだろうか,ぜひ,聞いてみたかった.なお,加藤典洋さんは高校の5学年上の大先輩である.合掌.

2020年9月20日記