台風の「吸い上げ効果」
今年(2005年)8月29日,アメリカ,ルイジアナ州ニューオーリンズ市を襲ったハリケーン「カトリーナ」は,千人を超える犠牲者を出す大惨事をもたらした.未だに大掛かりな復旧作業が行われている.このカトリーナの大惨事から約1週間後の9月6日,我が国には台風14号が上陸し,死者30人近い人的被害をもたらした.

さて,台風14号の接近のとき,テレビやラジオなどのメディアからは,台風の「吸い上げ効果」による水位上昇が,高潮をもたらす要因であるとの報道が盛んに流れた.アナウンサーが読み上げる原稿でも,登場する気象予報士の解説の中でも,この言葉が盛んに使われていた.

この「吸い上げ効果」という表現を,私はとても気になっている.台風があたかも,海水を「吸引」しているかのような表現だからである.

台風による海面水位の上昇とは,大気が海面を押し付けている圧力(ほぼ上空に存在する大気の重さに等しい)が減ったので,その分だけ盛り上がることである.例えば,ビニール袋に適当量水を入れて横たえたとしよう.水の入った袋のどこかを押すと,押した分だけ今度は周辺が盛り上がる.これと同じような現象が海洋に起こっていると考えればよい.

沿岸で計測している水位(あるいは潮位)は,計測の歴史が大変古く,また,沿岸や沖合の海洋変動についての多くの情報を含んでいるので,海洋物理学の分野では重要な資料である.しかし,気圧の増減による水位の変化は,ある程度長い(1日以上)時間スケールでは,もっぱら静的に応答し(時間の遅れなどを考えなくともよいこと),その応答も表面から海底まで一様(これを順圧応答と呼ぶ)であるので,考察の対象から除くことが多い.このため,1hPaあたり−1cmの補正を行い,標準気圧(例えば,1013 hPa)のもとでの水位に直す.これを逆(転倒)気圧補正(英語ではinverted barometric correction)と呼ぶ.海洋物理学では,このように補正した標準気圧のもとでの水位変動を,考察対象とするのである.

台風の「吸い上げ効果」は,もうすっかり一般の方にもおなじみの言葉となっている.それはそれでいいのだが,それでもなんとなく私はしっくりこない.皆さんは違和感を持ちませんか.代案でもないが,「気圧低下による海面上昇」なる表現が一番わかりやすいと思っている.もっとも,台風は周囲より気圧が低いので,海水を吸引しているとの「比喩的な表現」でもいいではないか,という主張も聞こえてきそうではある.


2005年12月15日記


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