300字のコラム原稿執筆の顛末記 |
2005年11月25日,青葉理学振興会理事のTM先生から突然電子メールをいただいた.青葉理学振興会機関紙のコラム欄に原稿を寄せて欲しいというのである.講演や原稿の依頼に対して,私はできる限り応えたいと常日頃思っているので,とりあえずお引き受けする旨の返事をお返しした. 原稿は何の題材でもいいということであるが,一つの条件と一つの要請があった.まず,一つの条件とは,分量は300字というものである.毎月書いているエッセイ「若き研究者の皆さんへ」の分量は800字であり,これでも短いのであるが,今回のコラムはその半分以下である.私の筆力でどこまで表現できるか心配になった. もう一つの要請,これが実に頭を抱えるものであった.というのも,TM先生の電子メールには次のような文章が添えられていたのである.なお,TM先生も,文中に登場する先生方も,いずれ既に本学を退官された名誉教授の先生で,振興会の理事の方々である. 「(物理学の:筆者注)TG先生は,地球物理学の物理学への寄与がどんなものかと(やや懐疑的)気にしておられるようでした.地質学のTY先生は、地球物理学はgeologyだというご意見です.私は,先生の研究室のお仕事は,物理学への寄与があると思っています.こんなことについて直接お書き頂きたいのではなく,そういうムードもある中で,先生に短い枠で一言というお願いです.」 さて,「そういうムードのある中で,短い枠で一言」をどう実現したらよいものか,頭を抱えてしまったのである.最終的に,TG先生やTY先生の地球物理学への印象を頭に入れ,とりあえず数をこなせば,中にはTM先生の要請を満足するものできるだろうということで,いろんな題材で原稿を書くこととした. 翌日,早速次の2つのコラム原稿をTM先生に送った.どちらもちょっと肩を怒らせた硬い内容である. ***** 『地球物理学と予知・予測・予報』 地震学・気象学など,地球物理学とは,その名の通り物理学を基礎として,私たちが生存するこの地球に生起するさまざまな現象を理解しようとする学問である.地球の誕生から現在まで,地球中心から超高層に至るまで,丸ごと理解することを目標としている.そして地球をより深く理解するため,太陽系の惑星たちも研究の対象となる.現代の地球物理学の急速な進展を支えているものは,「全球的な監視・観測」と「モデル・シミュレーション」である.地球物理学の具体的成果は,地震や火山噴火の予知,気候変動や地球温暖化の予測,宇宙の天気予報など,さまざまな現象の将来変動の「推定可能性の向上」となって現れる. ***** 『Argo計画と海洋物理学の革命』 海洋物理学は今,革命前夜を迎えている.世界中の海を,時・空間的に高分解能で監視する「Argo(アルゴ)計画」が構築されつつあるのである.海中を漂流するフロートが,一定時間間隔で浮上しつつ水温などの海水特性を計測し,データは人工衛星経由で伝送されて24時間以内に利用に供される.フロートは現在2200個を超え,2006年末には世界中の海に常時3000個展開するという目標に達する.これらのデータから「同化モデル」を用いて,水温・塩分・流速などの格子点データを作ることができる.格子点データにより,私たちは海に生起するさまざまな現象を物理的に診断(解析)できることになる. ***** この原稿を送った翌日,TM先生から次のような電子メールをいただいた. 「原稿読ませて頂きました。お忙しい中ありがとうございます。編集者としての意図ですが、花輪先生の見識の片鱗を読者に見て頂こうということです。今回頂いたのは、いずれも学問研究についての、真っ向からのお話なので、300字よりも広いスペースで展開して頂くべきかと思います。「片鱗」ですので、むしろ研究室、各種の会議などでのエピソードなどを素材に感想を述べるような叙述法が適切かも知れません。 私個人としては、Argo計画はたいへん魅力的です。分子(化学でいう分子ではなく、流体構成要素としての分子)の平均自由行程に比べて広大な容器の中で、流体がどのように振る舞うかについては、実はあまり観察記録がないのではないでしょうか。天体での気体の運動の研究にも跳ね返ってきそうな新しい結果が得られるのではないかと思います。」 私のコラム原稿で,私の見識の片鱗を見せて欲しいとのことらしい.さて,私に他人に見せるだけの見識の片鱗があるのかどうか,極めて怪しいものであるが,日常の仕事の合間に,次の2つの原稿を作成してTM先生に送ってみた. ***** 『実験(観測)屋と理論屋,そして資料解析屋』 物理学や化学の研究者は,そのアプローチの仕方から理論屋と実験屋に大別される.一方,気象学や海洋物理学など,地球物理学の諸分野では,加えて資料解析屋(data analyst)がいる.これは1957/58年の国際地球観測年(IGY)を機に,世界中の研究者や観測機関が得たデータを収集し保管する世界データセンター(WDC)が設立され,研究者誰もが無料で自由に利用できる体制が確立したからに他ならない.資料は万人に等しく公開されているので,資料解析の分野では,まさに研究の視点やアイデアが勝負となる.私自身もそうであるが,資料解析屋とは,膨大な数値の山から,自然の法則性(宝)を探している人たちである. ***** 『ほんのちょっとのお節介』 研究科の仕事の中には一人で完結できるものもあるにはあるが,どうしてもチームを組んで対処しなければならないものが実に多い.そのようなとき,厳密に自分の所掌範囲を守って対処することが良いのだろうかと,ふと思うことがある.これでは,結局そちらこちらに誰も関与しない隙間や,穴ができてしまいそうである.私自身は,越権行為にならない程度に,ほんのちょっとでいいから他人にお節介を焼くことが,仕事全体の質や完成度を高めるのに役立つのではないかと思っている.このちょっとしたお節介が糊となり,組織の融通性や柔軟性を高める気がしてならないのである. ***** これを送った翌日,TM先生から次の電子メールが届いた. 「お忙しい中あらためての原稿ありがとうございます.どちらの原稿も興味深いものです.天体物理では,数値模擬屋という新商売ができてきたと(現役の:筆者注)TM先生がいつか力説していましたが,私の近くの研究者でも,資料解析でがんばっている方がいます. 現在の理学研究科の課題からいえば,評議員(副研究科長の間違い:筆者注)の花輪先生のお気持ちということでは,後ろの文章が適当かも知れません. 双方とも編集実務担当者に送ります.紙面の都合で1編しか掲載できませんがご了承ください.実際に編集作業に入るのは今月末ですので,それまでに別な原稿と差し替えることができます.」 私としては,まだ時間があるということで,再度トライしてみることにした.実際には,その後外国出張が入ったのでしばらく遠ざかっていたが,年末に以下のような2つの文章をTM先生に送った. ***** 『ローマ帝国の衰退』 イタリア在住の作家,塩野七生さんの「ローマ人の物語」によれば,「統治すれども支配せず」の原則で他に例を見ないほど長期の反映を誇ったローマ帝国も,多神(宗)教であった時代から特定の宗教が支配する時代に移ったとき,衰退の道をたどりはじめたという.組織の健全なる発展と維持は,多様な考え方を許容し,常にありうるべき姿を模索する人たちが多数存在していることが重要であることを物語っている.大学にとって激動期にある現在,理学研究科の運営も,多様な考え方をその中に持ちつつ行っていくべきものであろう.それには,構成員全員が,運営を自分のこととして捉える必要があるのではなかろうか. ***** 『ナイトサイエンス』 科学や研究のことを肴に,酒など飲みながら,仲間内であれやこれやと論じ合うことが「ナイトサイエンス」である.これは実に楽しい時間である.素面のときには思いつかなかった突拍子もないアイデアが,次々と浮かんでくる.あたかも脳を縛っていた糸がプツンプツンと切れたように,奔放な思考状態となる.もっとも翌日,それらのアイデアはやはり突拍子もないことに気づくのであるが.最近,学生・院生など若い人たちが,このような形でお酒を楽しまなくなっているように感じる.昔よりナイトサイエンスの機会が減っているのを寂しく感じているのは私だけであろうか. ***** さて,以上,6編の300字コラム原稿をTM先生に送ったのだが,このうちどれが実際に掲載されるのか,この原稿を書いている段階では不明である.私は「ナイトサイエンス」ではないかと思っているのだが,どうであろうか. 2006年1月15日記 website top page |