再び「台風」の吸い上げ効果 |
先のエッセイで(2005年11月15日付け),台風の吸い上げ効果なる表現に違和感を持つことを記したが,再度これに取り上げる.ただし,今回のタイトルでは,「」を吸い上げ効果のほうではなく,台風のほうにつけた. 最近,海洋関係の人達とのナイトサイエンスでこの話題を出したところ,同じように違和感を持つという人がいた.彼が指摘するには,竜巻が水を吸い上げるようなイメージと混同するからとのことである.私もその通りと考える. 竜巻は,強い風が吹く領域の半径がせいぜい数メートルから数十メートルの渦である.強い上昇気流を伴っているので,地表面にあるものは「らせん」を描きながら大気中に持ち上げられる.地表面が海面のときは,海水がしぶきとなって巻き上がる. また,ときおり海面から蒸発した水蒸気が上昇の過程で凝結し,それが可視化(目に見えるようになること)される現象を‘water spouts’(水竜巻とでも訳せばいいのであろうか)と呼んでいる.英国で出版された海洋物理学の教科書「Ocean Circulation」(第2版,2001年)の34ページに,この写真が掲載されている. さて,台風は竜巻と同じような‘渦’ではあるが,その大きな空間スケールのために,地球の自転の効果が効いている(コリオリ力が働いているともいう)渦である. ここで,台風の‘風’に対する(岸から離れた)外洋の応答についてみよう.実は,台風の風の場は,「水位の低下」をもたらすのである.これは次のような理由からである.地球は回転しているので,海面上を風が吹くと,引きずられる海水は風下側に真っ直ぐ移動するのではなく,コリオリの力により,北(南)半球では風下に対し右(左)側にずれる(以下,北半球を想定する).海水中の引きずりの程度(乱流粘性係数)が一定であると仮定すると,海面における流れは右手45度に向き,深くなるにつれて弱まりながら,運動の方向は時計周りにずれていく.すなわち,流れの向きは「ら旋」を描くことになる.これを「エクマンら旋」という.また,海面から海水が引きずられている層(この層をエクマン層と呼ぶ.実際にはおよそ数十メートル)までの流速を積分し,全体としてどの方向に水が引きずられるかを計算すると,風の向きの右手直角方向となる.図に描いてみればすぐわかるように,台風のような反時計回りの風の場では,エクマン層の水は,台風中心から外に向かって動くことになる.このような流れの場を発散場という.水が外に押し出されているような場であるので,その中心部の水位は低くなる. 台風の風に対する応答は,その中心部で水位の低下をもたらすと書いたが,これは岸から離れた外洋のことであり,岸がある場合,話しは簡単ではない.風向きによっては,海水が岸に吹き寄せられ,水位の上昇が起こる.沿岸で台風による水位の上昇が特に大きくなるのは,この「吹き寄せの効果」が加わるときである. さて,台風の‘風’は,水位を低下させる働きをする.しかし,台風の中心気圧は低いので,気圧低下による水位の上昇のほう勝り,水位は台風周辺の海域の水位よりも高くなる.このような観点からも,「台風」の吸い上げ効果なる表現には違和感を持つのである. なお,宇野木早苗先生の教科書「沿岸海洋物理学」(東海大学出版会,1993年)では,「台風の中心は気圧が著しく低いので,いわゆる吸い上げ作用で,台風内の海面は周辺海面に比べて大きく盛り上がり」なる表現をしている(288ページ).また,久保田雅久さんとの共著「海洋の波と流れの科学」(東海大学出版会,1996年)では,「気圧降下にともなう静的水位上昇」(116ページ),あるいは,「気圧の吸い上げ作用」(119ページ)と表現している.「台風の」とか「台風による」ではなく,「気圧の」とか「気圧降下による」としているこれらの表現は,注意深い言葉の使い方であると思っている. どうでしょう,「台風の吸い上げ効果による」水位の上昇よりも,そのまま「気圧低下による」水位の上昇のほうがすっきりすると思いませんか. 2006年3月15日記 website top page |