狂騒曲「冥王星」
今年(2006年)の8月24日,チェコのプラハで開催されていた国際天文学連合(IAU)総会で,冥王星(Pluto)が惑星の地位から追われてしまった.このニュースは我が国でも大変な話題となり,8月25日付け新聞各紙の第一面を飾った.

冥王星が惑星でなくなったのは,「太陽系惑星」の新しい定義を,(1)太陽を周回し,(2)自らの重力で球状となり,(3)軌道周辺で圧倒的に支配的な天体であるもの,としたからである.結局,冥王星は,(3)の定義を満たすことができず,今後,「dwarf planet(矮<わい>惑星:現段階では仮称)」のグループの一員になる.

冥王星は,1930年,米国の天文学者,クライド・トンボー(1906-1997)が発見した天体である.冥王星は,トンボーの師,バーシバル・ローウェルにより,海王星の軌道計算をもとに,その存在が予想されていた天体であった.トンボーは,当時の新技術である「天体写真」を導入し,約1万枚にわたる写真の観察を行って発見したのだという.当初,冥王星は,大きさは地球とほぼ同じ(実際は,およそ5分の1)で,質量もある程度(実際は,地球の100分の1以下)持つということで,惑星の仲間入りをしたようだ.

冥王星は米国人が発見した唯一の惑星であるので,米国人にとっては愛着のある自慢の星であるという.ウォルト・ディズニーが生んだ最大のキャラクターであるミッキーマウスの愛犬が,あの耳の垂れた犬「プルート」である.1930年の冥王星発見がきっかけとなって,同年に誕生したディズニーのキャラクターである.

米国国家航空宇宙局(NASA)は,今年1月19日,冥王星の観測をメインミッションとする惑星探査機「ニューホライズンズ」を打ち上げた.2015年ごろ冥王星に到着するという.今年,2006年は,発見者トンボーの生誕百周年に当たっている.ニューホライズンズの打ち上げが,これを記念したのかどうかわからないが,なんとも皮肉なことに,打ち上げた年に冥王星は惑星から外れてしまった.

冥王星にちなんだ元素も存在する.原子番号94のプルトニウム(Plutonium)は,米国の物理学者であり化学者の,後にノーベル化学賞を受賞したグレン・シーボーグによって,1940年,加速器を用いた研究から発見された.冥王星にちなんで,この新しい元素は,プルトニウムと名づけられた.

なお,原子番号92番のウラン(Uran)は,1789年,ドイツの化学者マーチン・クラプロートにより発見され,1781年にドイツの天文学者ウィリアム・ハーシェルが発見した天王星(Uranus)にちなんで,ウランと名づけられた.原子番号93のネプツニウム(Neptunium)は,1940年,米国の物理学者,フィリップ・アベルソンとエドウィン・マクミランにより発見され,1846年にドイツのヨハン・ガレが発見した海王星(Neptune)にちなんで,ネプツニウムと名づけられた.このような歴史的経緯があったので,原子番号94の新元素は,プルトニウムになったのであろう.

惑星といえば,音楽の世界では,英国の作曲家グスターヴ・ホルストによる交響組曲「惑星(The Planets)」(作品32)が有名である.作曲家の指示に忠実に従えば,もっとも大規模なオーケストラの編成で,演奏されなければならないという.数年前,その第4曲,「木星」の一部に歌詞がつけられて,平原綾香さんが歌った「Jupiter」は大ヒットとなった.ものすごく雄大で,私も大好きな曲である.

さて,ホルストの惑星は,地球と冥王星を除く7曲から構成されている.ホルストの原曲に冥王星が入っていないのは当然のことで,作曲が完成した1916年当時,まだ冥王星が発見されていなかったからである.なお,地球が入っていないのは,この曲の構想そのものが,「占星術」に基づくものであったからだそうだ.占星術では,地球を中心に考えるので,他の惑星とは異なる天体とみなされる.

ところで,2000年に,第9惑星である冥王星が入っていないということで,指揮者のケント・ナガノが,英国の作曲家コリン・マシューズに依頼して,第8曲として冥王星を付け加えたという.この冥王星を入れた惑星のCDも,これまで何種類か発売になっているらしい.私の持っている「惑星」は,だいぶ昔に購入したホルストのオリジナル版であるので,第8曲冥王星は今まで聞いたことがない.当初より,冥王星の追加には賛否両論が渦巻いたというが,この騒動で,冥王星入りのCDが売れているらしい.

冥王星が惑星から外れたことにより,我が国の文部科学大臣は,教科書会社に記述の修正を求めた.教科書会社では,来年度使用する教科書を既にかなり印刷していたが,刷り直しをするという.間一髪間に合った,ということだろうが,「律儀な」日本人らしいと,私はこのニュースに接して感想を抱いたのだが,皆さんの感想はいかがだったろう.

大部分の人もそうであると思うが,私自身はこれまで,残念ながら一度も実際に冥王星を観察した(望遠鏡で見た)ことがない.しかし,日本人なら,「水金地火木土天海冥」と,9つの惑星を覚えるフレーズですっかり刷り込まれているので,身近に感じている天体である.ところでこの覚え方,「語呂合わせ」でもない不思議なフレーズだと思いませんか.「リズム覚え」とでもいうのであろうか.

これもニュースで知ったことなのだが,米国では9つの惑星を順序良く覚えるための語呂合わせがあるらしい.それによると,「My (Mercury) very (Venus) educated (Earth) mother (Mars) just (Jupiter) served (Saturn) us (Uranus) nine (Neptune) pizza (Pluto)」であるという.最後の,「ピザ」がなくなってしまったので,さて,どうするのだろうか.そのニュースでは,Neptuneを表すnineを,nothingにすればいいとの声があるとのことであった.これはなんとも,ブラック(?)ユーモアのようである.

私自身は,IAU総会での今回の決定は,実にもっともなこと,と思っている.総会以前から随時ニュースで流れていたように,この決定に至るまで大変な紆余曲折があった.そのため,このエッセイの表題に「狂騒曲『冥王星』」などと揶揄した表現をしてしまったが,他意はなく,むしろこの狂騒曲を多くの一般の人が「鑑賞」できたのは,大変いいことだったと思っている.

天文学は,何ともうらやましい学問である.ほとんどの人が1回も冥王星を観察したことがないし,明日,明後日の私たちの生活には,何の関係もない今回の話であるが,新聞の第一面を飾るニュースとなって,大騒動を作ってしまうのだから.いや,この感想はたぶん,的を射ていない.毎夜,空には星が輝き,そして,私たちの心の中にも,いつも星が輝いているのだから,天文学は人々が大いに関心を持っている分野なのである.すなわち,天文学は,人々の「飯の糧」ではなく「心の糧」を生んでいる学問なのである.


2006年9月15日記


(注)この稿を記すにあたり,毎日新聞の記事などのほかに,Wikipediaなどのウェッブサイトを参考にした.


website top page