サイモン&ガーファンクルの「明日に架ける橋」
昨年(2006年)の12月24日(日),九州大学応用力学研究所の外部評価のために福岡市を訪れた.16時前にホテルにチェックインし,シャワーを浴びてテレビをつけたところ,「明日に架ける橋」が流れてきた.もう大好きな歌なので,チャンネルをそのままにしていた.この番組は,この曲が世界中で多くの人々を魅了し,ついには賛美歌となったことを紹介するドキュメンタリーであった.

後で調べたら,私が見ていたのは,16時から17時までの,NHK総合テレビでの再放送番組「明日に架ける橋−賛美歌になった愛の歌」であることがわかった(他の地域では,その1週間前に再放送).女優の緒川たまきさんが,ニューヨークや南アフリカのこの歌に関連した場所に赴き,関連した人たちや一般の人たちへのインタビューなどで構成されている番組であった.

「明日に架ける橋(原題はBridge Over Troubled Water)」は,1960年代から70年代はじめにかけて大活躍したフォーク・ロックのデュオ・グループ「サイモン&ガーファンクル(S&G)」が1970年に発表した歌である.

番組から,この曲は,ニューヨークのユダヤ人街で育ったサイモンが,教会で聞いたゴスペル・ソング(黒人霊歌)「Oh, Mary, Don’t You Weep」の歌詞にヒントを得て作詞・作曲したものであることを知った.この中の一節「Bridge Over Deep Water」を,「Bridge Over Troubled Water」として歌詞に入れ,歌の題名にもしたのだという.

さて,2001年9月11日,テロリストに乗っ取られた民間航空機2機が,ニューヨークの世界貿易センタービルの2棟に衝突し,数時間後,センタービルは2棟とも崩壊した.世界中を震撼させたこの事件では,数千人の犠牲者がでた.この直後,アメリカ政府は,「明日に架ける橋」を含む多数の曲を,放送禁止の措置にしたという.「明日に架ける橋」の,3番の歌詞の冒頭のフレーズである「Sail on silver girl, sail on by」のところが,航空機の運航を示唆するもの,というのがその理由だったのだそうだ.

サイモンは,この大惨事の直後から,犠牲になった方々への追悼コンサートを積極的に行った.コンサートでは,「明日にかける橋」は欠かせない曲である.そのような活動があったので,まもなく放送禁止は解かれたという.私には,テロとこの歌の間に,何の関係も見出せないが,極限に追い込まれると過剰・過敏な反応をしてしまうという例であろう.

話は南アフリカに移る.南アフリカは,長い間人種隔離(アパルトヘイト)政策を取っていた.当然,人種差別反対の運動が盛り上がってくる.このような運動の中で,アレサ・フランクリンがカバーした「明日に架ける橋」(1971年)は,人々に希望を与え,結果的に反対運動を勇気付ける歌,ということで黒人の間で随分広まったという.

南アフリカ国内での反対運動や,国際世論もあり,1991年,アパルトヘイト政策の根拠となっていた法律「人種登録法」が廃止された.翌1992年,サイモンは南アフリカに招待され,6日間にわたり,コンサートを行った.しかし,過激なグループは,そのような運動の幕引きは「生ぬるい」ということで,コンサート初日,主催者の事務所などに爆弾を投げ込んだ.それでも,一連のコンサートは6万5千人もの大観客を集め,滞りなく終えることができたのであった.

現在,南アフリカのどの学校でも,「明日に架ける橋」は生徒の愛唱歌となっているという.そして南アフリカでは,サイモンを知らなくとも,誰もが「明日に架ける橋」を知っており,いまや「賛美歌」の一つとして,日常的に教会でも歌われている.

南アフリカでは,「明日に架ける橋」は多くの黒人に賛美歌として愛唱され,慕われていることを初めて知って感動した.そのようなこともあり,私はこの番組に思わず引き込まれ,じっとテレビの前に座り,最後までこの番組に付き合った.

さて,S&Gは,私にとっても,特別に思い出深いグループである.その理由は私の高校時代にさかのぼる.

小学校や中学校時代は,家にあったのは小さなレコード・プレーヤーだったので,EPレコードなる片面に1曲ずつ入ったものしか聴けなかった.LPレコードはかけられなかったのである.したがって,音楽との接点は,レコードをかけて聴くよりも,もっぱらラジオやテレビを通してであった.

私が高校1年の1968年の冬,あることがきっかけで,父親が,卓上の,今で言うラジカセのようなステレオを,私個人用に買ってくれた.ちっちゃな,オモチャのようなステレオであったが,それでもその後は,レコードさえあれば,いつでも自由に聴ける状況になった.

そう,確かクリスマスのころであったと思うが,自分の小遣いで初めてLPレコード(アルバム)を購入した.このアルバムが,「Simon & Garfunkel’s Greatest Hits」(1968年)だったのである.当時,ラジオから流れる彼らの歌に酔いしれていたので,初めて購入するアルバムは,迷わずこれを選んだと思っている.このアルバムは彼らのオリジナルのアルバムではなく,たぶん,当時のCBS・ソニーレコード(株)が,独自に編集し,日本のみで発売したものではなかろうか.実際,彼らのdiscography(レコードなどの目録)に,このアルバムは掲載されていない.

1968年は,ダスティン・ホフマンとキャサリン・ロスが主演した映画「卒業」(原題,The Graduate,1967年,米国)が日本で公開された年でもある.この映画でサイモンは,音楽監督をしており,全編に彼らの曲が使われている.「ミセス・ロビンソン」,「4月なれば彼女は」,「スカボローフェア」など.日本でも,これらは大ヒットとなり,当時,ラジオからいつも流れていた.

私が購入したアルバムは,題名からわかるように,それまでヒットした曲を中心に編んだものであり,彼らのもう一つの代表曲「サウンド・オブ・サイレンス」は,アルバム最後の曲として収められている.なお,私が実際に映画「卒業」を見たのは,大学に入学してからの,1970年代はじめのころであった.以上のような訳で,S&Gは,私が特別の思いを抱いているグループなのである.

37年前に発表された「明日に架ける橋」というたった1曲の歌が,世界中の人々の心を豊かにし,希望を与え続けてきた.そして大げさかもしれないが,南アフリカでは,政治体制までも変える原動力ともなったのである.

素晴らしい歌であれば,年齢を問わず受け入れられ,国境を超え,人種を超え,そして時代を超えて,生き続ける.「明日に架ける橋」はこのような歌の一つであり,世界史に残る名曲として,永遠に歌い継がれるのであろう.


2007年1月15日記


<追記>
このエッセイを準備している間,マンションにある100枚程度のLPアルバムの中から,実際「Simon & Garfunkel’s Greatest Hits」を取り出してみた.ところが,レコードのジャッケトはあるのだが,肝心のレコード盤がはいっていなかった.レコード盤を割ってしまったので捨てたのだろうか,別のジャケットに紛れ込んでいるのだろうか.どうしてレコード盤がないのか,まったく記憶がない.CDでもS&Gのアルバムを買っているので,あったとしても今からそのレコードを実際に聴く機会もないと思うのだが,思い出のレコードが失われてしまったのであれば,なんとも残念なことである.


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