「走りながら」から「歩きながら」へ |
「若き研究者の皆さんへ(100)」のエッセイ「走りながら考えることも・・・」(2006年10月5日)の冒頭に,私はエスニックジョークとして次のようなものを覚えていると記した. − イギリス人は走る前に考え,フランス人は走りながら考え,イタリア人は走った後で考える − エッセイを書いているとき,その出典を探そうとして失敗していたが,つい最近,ひょんなことからそれがわかった.正しくは,次のようなジョークだったのである. − イギリス人は歩きながら考える.フランス人は考えた後で走り出す.スペイン人は走ってしまった後で考える − すなわち,そのエッセイの後のほうに書いたジョークの,日本人を揶揄した最後の文を除いたものが,正しかったことになる. 日本学術会議は日本学術財団を通して1996年から毎月,雑誌「学術の動向」を出版し,さまざまな情報を発信している.私も創刊当時,日本学術会議に設置された,いくつかの研究連絡委員会(研連)の委員に就任していたこともあり,この雑誌を定期購読している. この2007年1月号(第十二巻第一号)に,東京女学館大学の副学長である天野正子教授が,「思索が生まれる『現場』へ」(54-57ページ)と題する記事を寄稿している.その中に,上記のジョークが書かれていたのである.まず,この記事から,このジョークが日本人に知られた経緯を述べることとしよう. 日本にこのジョークを紹介したのは,朝日新聞ヨーロッパ特派員,笠信太郎氏(後に同紙論説主幹,さらに顧問:1900-1967)が1950年に出版した「ものの見方について」(河出書房市民文庫)の本であった.この本はたちまち50万部を売りつくほどの大ベストセラーとなり,1950年代初頭を代表する本になったという.そして,このジョークは,一時流行語にもなったのだそうだ. 笠氏は戦時期,ヨーロッパ各国,特にイギリス,フランス,ドイツに滞在していた.そして,この3か国の国民の「ものの見方」の特徴を解き明かし,そこから,戦後の「新生日本」の歩む指針を探り当てようとして書いたのが,この本であったという.本の中では,イギリス人,フランス人,ドイツ人を引き合いに出し,結局はイギリス人のものの見方に共感し,そしてそのようなもの見方を日本人がしなければならないことを主張しているという. 笠氏は彼の本の冒頭に,スペインの外交官マドリヤーガ氏の本から,このジョークを引用した.ウェッブサイトで調べたところ,マドリヤーガ氏は,国際連盟事務局長を務めた方で,「祖国を思う名著」を記しており,その中に,このジョークが書かれているのだという.どおりで,このジョークに,スペイン人が出てくるわけである.マドリヤーガ氏は,自国の人の特徴を分析して,(恐らく,反省の上に立って)表現されたのであろう. なお,これもインターネットで調べて知ったことだが,笠氏は,彼の本の中で,ドイツ人を評し,「ドイツ人は考えた後で歩き出し,歩き出したら考えない」とも書いているという.しかし,私自身は「ものの見方について」を読んでいないので,真偽のほどは確かではない. さて,天野氏の記事に戻ろう.「学術の動向」の記事で天野氏は,歩きながら考えることの重要性を説いている.「『歩きながら考える』スタイル」は,「『はじめに概念や定義,理論,方法ありき』の逆をいく,当事者の生きる現場を重視する発想である」と主張する. また,「歩く早さがちょうどよい」(2つ目の小見出し)のだそうだ.「歩きながら考えるとなると第一に抽象的ななことは考えられないから,足が地に着いた考え方ができる.第二に歩くこと(実践)と考えること(思索)がバラバラでなく,平行して進む.第三に一箇所に立ち止まらず,つねに考え続けることになる」と笠氏が主張していることを紹介している. そして,天野氏の記事は,次のように結ばれている(57ページ).やや長文になるが,最後の段落の全文を引用しておく. 「ひるがえって大学院で論文指導をし,専門学会誌での査読者を経験してきた研究者としての立場からするとき,問題よりも理論や方法の先行した論文の多さに疑念を抱かずにはいられない.理論や方法が差しせまって存在する問題を解き明かすために選ばれるよりも,理論や方法に見合った問題が選びとられる傾向がますます強まっているのではないか.洗練されているがリアリティに乏しい論文の数々.『歩きながら考える』研究スタイルは世紀をこえた現在も,その意味を失っていない.」 天野氏がこの記事で想定している研究分野は,人文学系であり,我々理工学系とは異なるのだが,このまとめは,つい,私たちの研究分野ではどうだろうか,とふと考えさせられる. さて,私の覚えていたと称するジョークの中身は,正しいものから,なんと異なっていたものであろう.これが試験の解答であれば,きっと点数をもらえないに違いない.私のエスニック感がおかしいことを物語っているようでもあり,今となっては恥ずかしい気もする. 笠氏の「ものの見方について」を読んでいないのにもかかわらず,このジョークをうろ覚えでも,どうして私の頭に残っていたのであろうか.1950年代当時,笠氏の本を読まれた中学校時代の国語か社会の先生が授業中に紹介したのを,あやふやに記憶していたのではないかと,思うのだが. 先の「若き研究者のみなさんへ」のエッセイは,「走りながら考えることも・・・」の題名から,「歩きながら考えることも・・・」の題名へと改めたほうが良さそうである. 2007年2月15日記 website top page |