Here’s lookin’ at you,kid!
あなたなら標題の英語のせりふ,どう訳しますか.この文章,映画史上,もっとも有名なせりふとして知られているので,知っている人も多いのかもしれない.そう,日本語字幕では,「君の瞳に乾杯!」と訳された.

外国映画の中での私の一番のお気に入りは,「カサブランカ」である.1942年,アメリカで製作された.主演は,リックを演じたハンフリー・ボガードと,イルザを演じたイングリッド・バーグマンである.

第二次世界大戦のまっただなか,多くの人たちが,ナチスが蹂躙しているヨーロッパを逃れてアメリカへの亡命を試みた.この人たちの経由地が,北アフリカ,モロッコのカサブランカである.このカサブランカの,亡命者が夜ごとに集まる「リックのバー」を舞台に,物語は展開する.

私はカサブランカを,もう,何度見ていることだろう.恐らく数十回だと思うのだが.何度見ても飽きない.この映画には,伏線のような場面が数多く散りばめられており,見るたびにそれらを発見することも,理由の一つである.そしてもちろん,イングリッド・バーグマンを見たいことも.

映画カサブランカでは,有名になったせりふも多い.リックのせりふ,「そんな昔のことは覚えていない」,「そんな先のことはわからない」もその一つである.これは,リックを慕っているフランス人の若い女性が,酔っ払って,昨夜のこと,今夜のことを問い質したことに対する回答である.

さて,リックがイルザに向かって言う「君の瞳に乾杯」あるが,映画では,2つのシーンででてくる.これまで,何度聞いてもどのような英語で言っているのか,正確にはわからなかった.なんというヒアリング力の無さ,がっかりしてしまう.

そこで,この映画の台本を買って,調べようかとも思ったくらいである.もっとも,思っただけで,カサブランカの台本が本当に出版されているか,ちっとも知らないのであるが.

だいぶ前置きが長くなってしまった.最近,このせりふが,冒頭に記した英語の文章だとわかったのである.東京駅構内の本屋さんで,今年(2007年)2月末に手にした太田直子さんの「字幕屋は銀幕の片隅で日本語が変だと叫ぶ」(光文社新書,2007年)の,「まえがき」の冒頭に書かれていたのである(3ページ).ちなみに,このもっとも有名な訳文を付けた字幕屋さんは,この道の「御大」,清水俊二氏であるという.

著者の太田さんは,映画の字幕翻訳を始めて20年,既に1000本の映画を担当したそうだ.この本には,著者の苦労話が満載されている.そして,その一部として,現在の日本語を巡る状況に対する著者の考えが披露されている.いや,著者の憤りといったほうがよいかもしれない.これがもとで,この本の題名が生まれたのであろう.

字幕は,吹き替え(アフレコ)と違い,シーンの長さが決めてなのだという.つまり,吹き替えでは,役者が話している時間で日本語のせりふが拘束されるが,字幕はシーンの長さで字数に制限が出てくるのだという.その字数とは,1秒のシーンであればたった4文字なのだそうだ.これでは,字幕屋さんの苦労は並大抵のものではないことは容易に想像できる.

苦労の一つが観客の知識水準だという.知識水準は時代によっても変わる.したがって,同じ映画でも,数十年経ってからの字幕は,当初のものと違って当然なのである.そこで,著者は言う.

「字幕屋の悩みは深い.(段落)要は,どこに『知識の基準』を設けるかなのだが,知識の格差も多様さも広がる一方だ.映画の観客全員に納得・理解してもらえる字幕が理想でも,現実にはありえない.(段落)せめて『最大公約数』に限りなく近づこうと,字幕屋は今日も世間を漂流する.たいがい座礁する」.(164ページ)

その他,放送禁止用語を巡る話も,3つの項目で触れられている.この3つの項目の題名を挙げるだけで,著者の苦労がすぐわかってしまう.「くさいものにはふた」,「くさそうなものには全部ふた」,そして,「くさくなくともこっそりふた」という具合なのである.

イヤー,この本は実に面白かった.皆さんに絶対お薦めの本である.是非,手に取って読んでください.抱腹絶倒,請け合いです.

それにしても,この本の題名,なんとも長すぎる.字幕屋さんは1秒で4文字が勝負でしょう.この本の題名は19文字もある.読み終えるのに5秒もかかってしまうではないか.


2007年4月15日記


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