「塩分濃度」,その後
先月(2007年5月),この欄に書いた「塩分濃度」のことを,また取り上げてみたい.

先の文章をウェッブサイトに貼り付けた直後,九州大学の海洋物理の研究者であるIさんからメールをいただいた.Iさんの了解が得られたので,以下に引用しよう.

「I @九大です.特に用事ではないのですが・・・.(改行)貴HPのエッセイを楽しませていただいています.最近アップされた『折に触れて』の『塩分濃度』は,まさに,おっしゃるとおりです.(改行)私も,周りが使うたびに,いちいち訂正していますが,専門家も使う有様で困ったことです.ところが,年明けに大手A新聞で,花輪先生が『塩分濃度』とコメントされているのを見て,自らの信念が大きく揺らいでしまいました.(改行)ほっとしたあまりの,言わずもがなのメールでした.」(一部改変)

このメールを受けとって,すぐ次のようなメールをIさんに送り,エールを交換した.

「Iさん,はい,私はもちろん『抵抗勢力』の一員です.新聞記事は絶対事前に見せてくれませんので,あのような状態になってしまいます.私も使っていると思われるのがしゃくですので,だいぶ前からこの原稿を準備しており,機会をうかがっていたところでした.少しでも注意して使ってくれるといいのですが・・・.(改行)ある方からは,『塩分濃度』がはびこるのは,『海洋物理屋が使っているからだ』と言われています.『東北大では使いません』と彼に言ったら,『**大の海洋物理屋は使っている』と言われてしまいました.専門家からの教育が必要ですね.がんばりましょう.」(一部改変)

さて,その後も「塩分濃度」は気になっており,インターネットでの検索などを試みた.「塩分濃度」を検索すると,でてくる,でてくる,ある検索エンジンでは,58万1千件もヒットした.ちなみに,「塩分」では,281万件であった.

ざっと見たところ,海洋研究者の使用例は見つけられなかったが,他の分野の研究者や公立試験研究センターなどのウェッブサイトに,多数の使用例があった.予想以上の蔓延率である.

また,この中で,「塩分濃度計」なる製品があることがわかった.海洋研究者が使う装置は,もちろん,「塩分計(salinometer)」と呼ばれている.決して「塩分濃度計」ではない.調べてみると,塩分濃度計なる名称は,河川水や地下水の塩分を計測する測器に付けられていた.すなわち,学問分野で言えば,海洋学分野ではなく,陸水学などが関係する分野といえる.

「塩分摂取量」などの用語もあることがわかった.あるウェッブサイトでは,**料理の「塩分摂取量は*グラム」などと,目安も書いてあった.塩分はまさに塩の代わりに使われているのである.

そこで心配になり,料理のレシピを検索してみた.「砂糖何グラム」などに混じり,「塩分何グラム」などと書いていないか,心配したからである.その結果,「塩何グラム」や,「塩少々」などの表現はあったが,「塩分何グラム」は,私の探した範囲では見つからなかった.まだ,料理人は「毒されていない」,というので安心した次第である.

インターネットでの検索結果をもう少し.塩分があれば,「砂糖分」もあっていいはずである.検索してみたら,確かに700件ほどヒットした.いくつか読んでみると,砂糖の割合や濃度の意味で,正しく使われている.そこで,さらに「砂糖分濃度」を検索してみた.でてくることはでてくるのだが,「砂糖分」と「濃度」を別々に使った文章があるサイトがヒットしたもので,「砂糖分濃度」は1件も見つけられなかった.当然でしょうね,これは.

「砂糖」にできることが,どうして「塩」にはできないのだ,などと言いたくなりますね.この文章,誤解しないでください.塩に怒っているのではなく,塩分濃度を使っている人に怒っているのですから.

さて,ほぼ1年前からであるが,大手出版社S館が出している子供向け図鑑の中の一冊,「地球」を,TK大のMさんやT大のNさんたちと共同で執筆・監修している.子供向けといっても,先ごろ発表されたIPCC第4次評価報告書の内容など,最新の情報が取り入れられており,私自身は,大人も十分に楽しめる図鑑であると思っているのだが.

S館でこの図鑑を担当しているのは,Hiさん,Oさん,Kさん,Hoさんである.ほぼ1年前(2006年4月),彼らが研究室を訪れ,図鑑全体の構成についていろいろ打ち合わせをした.そのときの話から,担当者全員が文科系の出身であることがわかった.

海洋の担当は,女性のOさんである.このページの主題は何々で,背景の図はこれ,周辺の小さな図はこれとこれ,説明文はこれとこれ,など,その後のメールでのやり取りで次第に図鑑の骨格ができてくる.今年にはいると,見開きページごとに試し刷りが送られてくるようになった.毎回,新鮮な気持ちで文を読み直し,絵を見直しては,あれこれと注文を付けている.もっとも,付けすぎたかもしれないのだが.この過程は実に楽しいものである.いつか,これについてもこの欄で紹介したい.

さて,当然のことながらこの図鑑の中にも,塩分が何度も出てくることになる.当初,塩分濃度もあったのだが,編集の過程で,Oさんに,塩分濃度はかくかくしかじかの理由でおかしな用語なので,単に塩分にしましょうと提案した.Oさんは素直に理解してくれ,この図鑑では塩分で統一することになった.

S館のような大手出版社には,社内査読(チェック)制度があるらしい.確かに大きな力を持っているようで,Oさんから,たびたび,社内からこんな意見が出ましたけど,どうしたらいいでしょうか,などの問い合わせもはいる.

さて,これを書いている現在,2回目の校正の途中である.幸い,塩分にはいまのところチェックがはいっておらず,そのまま残っている.

図鑑はもうすぐ出版される予定である.正しい用語法は,子供のころから教えないといけない,などと私は意気込んでいるのだが,出版まで塩分がそのまま残るかどうか,現在,やきもきしているところである.


2007年6月15日記


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