IPCCノーベル平和賞受賞に対する私のコメントについて
10月12日夕方,会議を終えて研究室に戻り,パソコンの前に座った.夕方6時に,ノーベル平和賞の発表が予定されていた.

地球物理学の諸分野はノーベル賞の対象でないので,毎年この時期行われる受賞者発表などはまったく気にかけておらず,日本のメディアの報道を待っているだけであった.しかし,今年(2007年)は大いに事情が違った.

2日前の10日の朝に,毎日新聞のT記者からの電子メールで,今年のノーベル平和賞は,IPCC(気候変動に関する政府間パネル)か,前米国副大統領アル・ゴア氏が受賞しそうだ,と知らされていたからである.IPCCが受賞した場合,第4次評価報告書の執筆者の一人として,私からコメントをもらいたいので,12日夕方6時の居場所を教えて欲しいというのものであった.

さて,Tさんからノーベル財団のウェッブサイトのアドレスも知らされていたので,6時少し前にそこにつないだ.しばらくして,6時5分ごろであろうか,IPCCとアル・ゴア氏,双方が受賞との文章が突然現れた.

Tさんから情報をもらったときには,半信半疑であったが,実際にウェッブサイトに現れたアナウンスの文章をみて,大手新聞社の情報収集力には唸ってしまった.あとで知ったことだが,スウェーデンのある新聞社が,発表数日前に予想した候補者を公表しており,この予想でこれまでも多くの受賞者を当てているらしい.

さて,アナウンスが流れた後,しばらく電話はなかった.ようやく6時20分ごろ,電話が鳴った.電話は,Tさんではなく,朝日新聞のS記者であった.Sさんとは,今年にはいり,2月2日に行われたIPCC第4次評価書第1次作業部会の記者発表のときなど,2回取材を受けたことがある.Sさんは,IPCCのどこが評価されたと思うのかなどを聞いてきた.そして最後に,「率直に言って,今のお気持ちはどうですか」との質問があったので,「もちろん,素直に嬉しいですよ」という回答をした.

翌日の朝日新聞には,「二酸化炭素の増加による温暖化を証明することはむずかしかった.今年,ようやく90%以上確実だと科学的,中立的に示すことができた.それを評価され,うれしい」という私のコメントが掲載された(追記を参照のこと).

さて,Sさんとの電話を6時25分ごろに終えたとたん,また電話が鳴った.今度は予告どおり毎日新聞のTさんであった.やはり受賞しましたねー,などの話のあと,Tさんは,10日に電子メールで送っていただいたコメントを使わせてもらいます,とのことであった.

実は,Tさんから10日に電子メールをもらった後,もし,本当にIPCCが受賞したら,こんなことをコメントしますと,彼に次のような電子メールを送り返していたのである.

「ゴアかIPCCがノーベル平和賞でしょうか? それは大変ですね.12日の夕方6時は,研究室におります.5時ごろまで別の部屋で会議をしていますが,多少遅れても,6時には研究室にいます.(段落)これで思い浮かべるのは,S.R. ワートが書いた「温暖化の<発見>とは何か」(増田耕一,熊井ひろみ共訳,みすず書房,2005年,262ページ)の記述です.添付PPTファイルの最後のページをみてください.彼は,地球温暖化の発見は3回あるとし,IPCCが3回目の発見者であるとしています.私もなるほどと思います.IPCCが受賞すれば,このようなことをコメントの一つにしたいところです.」

実際,ワート氏は,本の序文(2ページ目)の中で,次のように表現していた.なお,( )内の注は筆者である.

「1896年,孤独なスウェーデン人科学者(アーレニウスのこと)が地球温暖化を発見した−理論上の概念として.1950年代,カリフォルニアの少数の科学者(R.R. Revelle,H.E. Suess,C.D. Keelingらのこと)が地球温暖化を発見した−起こりうる出来事として,遠い未来にもしかしたら生じるかもしれない危険として.2001年,世界中の何千人もの科学者を集めた並外れた組織(IPCCのこと)が地球温暖化を発見した−すでに天気にはっきりとした影響を与え始めていて,さらに悪化しそうな現象として.」

私はこの地球温暖化研究の歴史のまとめ方に同意できるし,ワート氏の見方に感心していた.講演会などでもこの見方を紹介することとし,その部分のPPTファイルを作成していた.それをTさんに送った次第である.もっとも,ワート氏は2001年の第3次評価報告書をもって発見としているが,私自身は,今年発表された第4次評価報告書を挙げたいのだが.

さて,12日の電話では,Tさんに,これはワート氏の見方であって,私のオリジナルな主張ではないのだが,と伝えると,先生も同じ考えなのでしょう,それでいいのですよ,ということであった.実際,13日毎日新聞の第3面には,私のコメントとして次のように掲載された.

「(段落)『IPCCは,地球温暖化に関する3回目の発見者だ』.今年公表されたIPCC報告書の執筆を担当した花輪公雄・東北大教授(海洋物理学)は語る.(段落)最初の発見は1896年,スウェーデンの科学者が石炭の消費で温暖化が起こると予言.次いで,1950年代に米国の研究チームが二酸化炭素(CO2)濃度が上昇しているのを観測した.IPCCは地球規模で気温や雪氷の変化を分析して,温暖化の原因が人間活動にあると断定,温暖化に関する『3回目の発見』となった.」

記事にはワート氏の名前がない.研究者はオリジナリティを重要視する.私も同意しているとはいえ,この見方を提出した科学史家であるワート氏の名前を,どこかで出しておかなくてはならないと思えた.これが,この文章を書いている理由である.

さて,Tさんの電話の後,しばらくたった7時20分ごろ,読売新聞のN記者からも電話がはいった.SさんやTさんと同じような質問がでたが,主な内容は,今回の受賞は,今後の地球温暖化研究に対して,どういう影響があるだろうか,というものであった.

私は,地球温暖化に対する理解が深まることで,特に予測精度の向上が焦点だと思うが,研究に対するこれまで以上の支援があるでしょう,という答えとともに,地球温暖化の抑制に対する議論と具体的な行動が,これまで以上に広範囲になされることを期待したいと,コメントした.

私の上記のコメントは,紙面に採用されなかったことが,翌朝,コンビニで購入した読売新聞を読んでわかった.Nさんに,既に私は朝日新聞からも,毎日新聞からも取材を受けました,と言ったからかもしれない.あるいは,あまりにありきたりのコメントであったからかもしれない.実際,どっちなのだろう.

2007年10月15日記

<追記>
10月16日の夜になって,朝日新聞のS記者から電子メールが届いた.取材に基づいて原稿は書いたのだが,掲載されなかったが,これに懲りずに,また,協力して欲しい,とのお詫びの電子メールである.本文に書いたように,少なくとも宮城地区で配布された朝日新聞には掲載されている.そこで,掲載されていることを電子メールで回答するとともに,記事のコピーをSさんにFAXした.翌17日,Sさんから,FAXのお礼とともに,たくさん話をきいたのに,短くて申し訳ありませんでした,との電子メールをもらった.原稿を出した記者が,掲載されたかどうかわからない,ということもあるのですね.同じ日付の新聞といえども,短時間に紙面は変わっているとのこと.こんなことが起こっても,不思議はないのかもしれない.


2007年10月17日記


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