始まりの終わり |
世界各国が協力して,2000年頃から本格的に展開し始めたArgo(アルゴと発音)フロートが,この(2007年)11月1日(木)に,3000個に達した.Argo計画の当初目標の達成である. Argo計画とは,海面から2000m深までの水温と塩分を自動的に計測するフロートを,世界中の海に展開しようとする計画である.フロートは通常水深1000m付近の海中を漂流する.10日に一度,いったん2000mまで潜ってから浮上し,その途中,数十点で水温と塩分を計測する.計測したデータは,フロートが海面に出たところで地球を周回している衛星に送信される.その後再び1000m深の海中に潜り,また漂う.この漂流ブイがArgoフロートである.約300km四方に1個の割合で展開させると,世界中の海で3000個のArgoフロートが必要となる. 日本のArgo計画は,小渕内閣時代の「ミレニアム・プロジェクト(新しい千年紀プロジェクト)」の一つに採択され,2000年度から2004年度までの5年間推進された.その後は,参加機関が独自に得た経費で継続されている.(独)海洋研究開発機構(JAMSTEC)や気象庁などがこの計画に参加しているが,Argoフロートの展開個数から言えば,米国についで世界第2位の貢献である. 国際Argo計画オフィス(米国カリフォルニア大学サンディエゴ校スクリップス海洋研究所)は,この9月ごろ,もうすぐ目標の3000個に達するとして,Argoフロートを新たに投入するときは,写真を撮っておくようにとの指示を出していた.そして,目標の達成は11月1日ごろとも予想していた. 私はこの10月末に,カナダのビクトリアを訪問した(28日出国,11月1日帰国).PICES(北太平洋海洋科学機関)の第16回年次総会に出席するためである.PICESは,米国,カナダ,ロシア,韓国,中国,そして日本の6か国が加盟する国際機関であり,年に一度,各国持ち回りで年次総会を開いている.今回のPICESへの参加は,私にとって久しぶりのことであった. 総会に出席して2日目(10月30日)の朝,以前から知っているカナダの海洋物理学者Howard Freeland博士と挨拶を交わした.彼は,カナダにおけるArgo計画の中心人物である.再会の挨拶ともに,私は「今日現在,稼動しているArgoフロートは何本ですか」と尋ねた.彼は,2950個くらいだよ,との回答の他に,実は3000個は既に入っているのだけれども,とも付け加えた.つまり, 「11月1日,Argoフロート3000個達成!」と宣言するため,数字を操作しているのであった(嘘も方便,許されたし). さて,私はHowardに,日本でも近々にプレス発表するのだけれど,私達は「3000個の目標達成は,Argo計画の単なる『始まりの終わり(the end of the beginning)』にすぎない」と発表するつもりです,と話した.話ししたとたん,Howardは,この表現,大いに気に入ってくれ,明日,Argo計画の講演をするが,この表現を,Kimioのクレジット入りで使う,と言ってくれた.もっとも,私自身は翌朝には帰国したので,彼がこのフレーズを講演で実際に使ったのかどうかはわからない. 11月1日の目標達成に対し,国際Argo計画に参加している国々では,プレス発表をすることになっていた.私は,2005年度から,省庁横断で作られた「Argo計画推進委員会」の委員長を務めている.その関係で,10月中旬,気象庁のKさんから,プレス発表の内容などの相談を受けていた. その後,私は,プレス発表ではどんな表現を取ればいいのか,考えていたのである.というのも,単なる目標達成ではインパクトがなく,逆に,悪くすれば,目標が達成したから,もういいのではないかと,今後の支援が途絶えたり,縮小されたりする可能性があるからである. あれこれ考えているうち,思い立った表現は,既に記したように,「3000個の目標達成は,Argo計画の単なる『始まりの終わり』にすぎない」というものであった.すなわち,Argo計画は今後もますます発展する(させなければならない)計画なのである.実際,新しい機能や,新しいセンサーを搭載したフロートの開発がなされている.また,フロートの寿命は4年程度であるから,毎年700-800個のフロートを新たに投入する必要があるので,これまで同様,あるいはそれ以上の支援を必要としているのである. さて,カナダから11月1日に帰国し,翌2日から研究室に顔を出した.留守中溜まりに溜まった電子メールと格闘していると,11月2日早朝,Howardから,国際Argo計画のメーリングリストを利用して,3000個達成のお祝いのメールが配信されていることがわかった.その中の一節である. 「(略) I was impressed with what Kimio Hanawa told me on Tuesday, apparently the Japanese version of the Argo-3000 press release will say the equivalent of "This is the end of the beginning", and I can't find a better way of expressing the situation. (段落) So, we enter a new phase and a new beginning now, maintenance of the array for a demonstration period of 10 years.」 なんと,私の名前も含めてこの表現を紹介してくれていた.そして,数日後,私には面識のない別の研究者S氏からも,メーリングリストにより次のようなメールが配信された. 「Congratulations, well done. I too like the Japanese statement about this being the ‘end of the beginning’. (略)」 Howardの反応やS氏からのメールのようなこともあり,私は,「始まりの終わり」なる表現は,的確であると自負している. さて,日本におけるプレス発表であるが,これも留守中届いていたJAMSTECのSさんからのメールで,11月1日,私の外国出張中に既に終わっていたことを知った.考えていた表現が使えなくなり,少し,残念であった. ここで,「始まりの終わり」なる表現を思い立った理由を書いておこう.実は私の身近にヒントがあったのである.それは塩野七生さんの本の題名であった.塩野さんは,1992年から2006年まで,毎年「ローマ人の物語」を1巻ずつ出版した.2002年に刊行されたその第11巻の副題は,「終わりの始まり」である.永く栄華を極めたローマ帝国も,衰退の道をたどっていく.塩野さんは,そのきっかけは,皇帝自身がキリスト教信者になり,他の宗教を迫害し,国中を一神教の状態にしたことであった,と分析したのである.すなわち,皇帝のこの宣言により,八百万の神がいた状態は終焉し,ローマ帝国が「終わりの始まり」にたったというのである.なんとも言いえて妙な表現であろう.この本の副題がヒントとなったのである. 国際Argo計画は当初目標を達成したが,これは単なる「始まりの終わり」であって,決して「終わりの始まり」にしてはいけない.これには皆さん,同意してくださるものと思っている. 11月8日,米国気象学会は,2008年度の「スベルドラップ金賞」を,米国カリフォルニア州立大学サンディエゴ校,スクリップス海洋研究所の海洋物理学者,Dean Roemmich教授に授与すると公表した.受賞理由は,「For major contributions to the measurement and understanding of the ocean’s role in climate, and for leading the development and implementation of the Argo profiling float array」とのことである. Deanは,国際Argo計画を提案し,そして実際先頭に立って推進してきた人物であり,この受賞には誰も異論がないだろう.Argo計画の当初目標の達成と,Deanの受賞,タイミングもぴったりである. 私はこの報に接し,すぐにお祝いの電子メールをDeanに送ったことはいうまでもない. 2008年11月15日記 website top page |