正月に撮る家族の集合写真
私が大学に入学したあたりから,現在まで続けていることがある.それは,元旦の朝に,家族全員の集合写真を撮ることである.入学したあたりから,というあやふやな表現になるのは,初めのころは断続的で,きちんと毎年撮るようになったのは,1978年からのことである.

集合写真と言っても,プロの写真家に撮ってもらうのではなく,私自身が撮ったものである.普段私はあまりカメラを手にしないので,にわか写真家によるその写真の出来栄えは,決してお世辞にも良いとは言えない.

今年も元旦に,私の家族は山形県天童市の実家に赴き,集合写真を撮った.今年は,私の親夫婦,兄夫婦,その息子夫婦(甥とその奥さん)と妹(姪),私達夫婦と娘,弟の奥さんとその娘(姪)の,12名が参加した.弟は仕事で南アフリカに行っており,残念ながら加わることができなかった.

ここしばらく使っているカメラは,連れ合いの父親,義父が大事に使っていたニコンF2である.1970年代初めに発売された本格的な一眼レフカメラで,聞く人が聞けば,あーあのカメラと言われるものらしい.義父は写真を趣味としていたようで,このカメラは義父の形見ともいうべきものである.私は,このカメラを正月の集合写真の撮影のときにだけ使わせてもらっている.

さて,数日後,撮ったフィルムを現像に出したところ,大失敗をしていることがわかった.プリントされた写真も見られたものではない.なんと,致命的な失敗を二つもしていたのである.

一つ目の失敗は,露光不測である.山形の正月は,天気が悪いことが多く,たいていは室内で写真を撮ることになる.通常,フラッシュを装着して撮影しているのであるが,当日の朝,私の家族の写真を撮ったときからそうであったのだが,シャッターとフラッシュが同期しなかったのである.フラッシュとカメラの接触部の不良と疑い,あれこれいじったのだが,よくわからない.そこで,手動で露出を調整したつもりであった.しかし,そこは素人,まったく甘かったようである.

二つ目の失敗は,もっと致命的で,フィルムの巻取りのための装てんを逆にしてしまったのである.パトローネに入っているフィルムを,シャッター幕の前を通し,一方の巻き取り部分に入れる.この巻取り部分で,入れる方向,すなわち,巻取り方向を逆にしてしまったのである.何せ、1年に1回しか使わないので・・・,言い訳にはならないか。

カメラ屋さんに出来上がった写真を取りに行ったとき,すぐ店の人から,「お客さん,フィルムの巻取りが逆でしたね,そうなるとこんな風に縦方向に何本もの筋が出てしまうのですよ,フィルム写真機を使っている人には,よくあることなのですが」と言われてしまった.

正月の集合写真の失敗は,これが2回目である.もっとも,前回はいつのことで,どうして失敗したのかは思い出せない.ともかく,数日後に再び家族に集まってもらい,取り直したことだけを記憶している.

さて,正月の集合写真は恒例であるし,家族全員が楽しみにしている.撮られた写真は,四つ切りサイズに引き伸ばされ,実家でも,私の山形の家でも,そして弟の家でも,額に入れて1年間飾られることになる.今回も撮り直しが必要であることは言うまでもない.1月下旬には弟が帰国するというので,彼の都合のいいときに撮り直そうと思っている.しかし,兄の娘,姪は大阪なので,帰ってこられるかどうか,心配である.

さて,こんなことがあったこともあり,最近実家と私の持っている集合写真を集めて整理してみた.1970年代初めからの写真であるが,実家でも私も,不思議とこれまで集合写真をアルバムに整理することも無かったのである.1978年,私は連れ合いの住む山形の家に移った.それから,2回の引越しを経て現在の家に住んでいる.実家の方も,この間家を建て替えている.どの程度,集合写真が集まるか心配であった.

結局,本格的に撮り始めた1978年から現在までの30年間で,1979年と1989年の写真が実家で,1988年の写真は私の家で見つからなかった.今回,とりあえずどちらかにある写真をカラーコピーして埋め合わせて,30年以上撮り続けた集合写真だけのアルバムを作ることとした.今後,フィルムが見つかればいいのだが,そうでなかったらスキャナーで取り込んで,再生しようと思っている.

集合写真を見ると,その当時のことが思い出される.当たり前のことであるが,昔撮った写真では,誰もが若い.撮り始めた初めの方は,祖父も祖母も健在のときであった.しかし,ある年を境に祖父が写真からいなくなり,そして,しばらくして祖母がいなくなった.一方で,私に連れ合いができ,弟に連れ合いができ,そして,私達の子供達が加わった.毎年,毎年,全員が確かに一つずつ年を取っている.また,時々,加わっていない家族もいる.病気で入院しているためであった.

1981年の集合写真は,屋外で撮っている.家族の周囲には雪がいっぱい積もり,撮影当日も雪が降っていたようだ.1981年は,ここ数十年の間でも,日本は際立って寒く,雪の多い冬に見舞われた年である.仙台でも前年の12月はそれまで経験したことも無いほどの大雪となり,大学に通うのに苦労したことが思い出される.

さて,この正月の集合写真,可能な限りいつまでも撮り続けたいと願っている.来年も,全員が揃うことはもちろん,願わくは,もっと人数が増えてくれるような事態になってくれるといいのだが.


2008年1月15日記


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