機長と客室乗務員からのメッセージ |
今月(2008年2月)の新潮文庫新刊の新聞広告は,2月1日の朝刊に掲載された.その広告により,内田幹樹(うちだ もとき)氏の「査察機長」(2008年,361ページ)が出版されたことを知った.1940年生まれの内田さんは,一昨年(2006年),残念ながら亡くなられている.もう内田さんの新しい本は出版されない,と思っていたので嬉しくなった. 内田さんの本との出会いは,実は昨年のことである.前から,そのような本があるな,と認識してはいたのだが,手に取ることはなかった.それが昨年の夏,イタリア出張から帰ったあと,購入して読んでみた.「機長からのアナウンス」(2004年,252ページ)である.昨年の5月20日の日付で,もう27刷りなので,この本はベストセラーと言ってよいだろう. ところで,私は,空港で,それも国際空港で,ビールでも飲みながら,航空機の離着陸を見ているのが好きである.私は,国内でも国外でも,国際線なら2時間前,国内線なら1時間前に空港に着いている.旅慣れた人なら,時間ぎりぎりに飛び込むのかもしれないが,私はたいてい余裕を持って空港に行く.出発したり到着したりするさまざまな国の,さまざまに化粧された航空機を見ながら,乗っている人はどんな人なのだろうか,どんな用事で飛び立って行くのだろうか,そしてどんな用事で到着するのだろうか,などとぼんやり考えている.また,海外の空港に降りていくとき,眼下に現れる町並みを見るのも好きである.そこにはどんな人が住んで,どんな生活をしているのだろうかと. 閑話休題.「機長からのアナウンス」は,とても面白く読めた.ベストセラーになったのも当然であろう.コクピット(操縦室)の中でパイロットがどんなことをやっているのか,まったくわからなかったが,この本を読んで,意外と忙しい時間をすごしているのにはびっくりした.また,この本では,機長の立場から航空行政へのメッセージが,真剣につづられている. この本が大変面白かったので,その後,続けざまに内田さんの本を読んだ.「機長からのアナウンス 第2便」(2005年,252ページ),「操縦不能」(2006年,348ページ),「パイロット・イン・コマンド」(2006年,362ページ)である. さて,2番目のエッセイ集,「機長からのアナウンス 第2便」の中に,私も何度も行っている国分町の飲み屋さん,「K屋」の名前が出てくる(実名で出てくるのだが,ここではイニシャルで).内田さんは仙台に泊まるとき,よくこの店を利用していたらしい.「管制も民営化は可能か」(185-190ページ)と題するエッセイの中にK屋さんが出てくる.以下,このエッセイから,K屋さんに関するところだけ,何箇所か引用しよう. 「僕がよく行く,とある仙台の割烹『K屋』さん.ママさんが奥の上がり座敷を用意してくれていた.いつもの場所だ.最初はビールにしましょうか?と明るいけれど少し枯れた声で仲居さんに目配せする.僕ら三人は外の寒さから解放されてホッと力が抜ける.ここは突き出しや前菜よりも,刺身から始まる料理が美味しい.それに合わせて薦めてくれる日本酒は,東京では手に入りにくいものばかりだ」. 「生牡蠣に舌鼓をうつ.ビールも造りたてよりも一日おいたほうが美味しいらしい.ここの生は,工場で一日寝せてから届けてもらっているという」. 「ここの刺身の盛り合わせは貝類が多く,僕の好みなのだが,それに合わせるようにきりっと冷えた『十四代』が出された.人が多くなったようで『いらっしゃいませ』が何回も聞こえてくる」.(筆者注.「十四代」は山形の名酒です.) 「女性には鶏,蟹,海老を食べさせておけば間違いない,と僕が言ったことから,それは蔑視だと,ここへ着くまでさんざん言われてしまったが,彼女はウニとホヤが美味しいと言ってご満悦のようだ.僕はどうもウニもホヤも苦手なのだが,ママさんにそっと頼んで出してもらった.でもウニはシーズン外なので宮城産ではないはずだ」. このK屋さんには,随分前から研究室で何度もお邪魔している.昨年3月に博士の学位をとったI君が,学生時代,アルバイトでお世話になった店でもある.I君は博士課程2年から九州大学で委託研究生として過ごしたが,彼が仙台に戻ったときは,いつも押しかけていた. さて,昨年の8月25日のことである.昨年3月に修士課程を修了し,長崎海洋気象台に勤めた研究室出身者のK君が来仙した.この日は,片平キャンパスで本学の100周年記念事業が行われていたので,私は夕方までそちらの方に出て,その後,研究室の同期のT君と3人で,K屋さんを訪れた. 私達がテーブル席に着くと,ママさんが,久しぶりですねと,注文を取りに来られた.いろいろ注文した後,私から,ママさんは内田幹樹さんとお知り合いなのですね,と話しかけてみた.ママさんは,ちょっと驚いたような顔をして,どうして知っているのですか,と聞き返してきたので,最近,内田さんの本を読んで知ったのです,お亡くなりになったようですね,と答えた.ママさんは,少し遠くを見るような視線で,内田さんとは兄弟のようにして育ったのですよ,と答えてくれた.その後,しばらく,内田さんのことを話してくれた.内田さんは,全日空のパイロットをされているときも,その後フェアリンクに移ってからも,この店をたびたび利用されていたらしい.また,本が出るたび,ママさんにサイン入りの本が贈られてきたという. 私達がK屋さんを訪れた直後,9月1日には,「機体消失」(2007年,334ページ)が出版された.もちろん,すぐさま入手し,楽しんだ.文庫本の出版に際し,内田さん自身では校訂が適わず,奥さんが単行本の原稿を直したとの奥さんの「あとがき」がつけられている.そして,今回の「査察機長」である.出版日である2月1日は東京出張であったので,行きしなに仙台駅の本屋さんでこの本を購入した.行きと帰りの新幹線は,ワクワクしながらこの本を読んで過ごしたことは言うまでもない. 内田さんの文庫本はこれで6冊目である.他にもエッセイや小説を残しているのか,私はまったく知らないのだが,あるのだとしたら,是非出版して欲しいものである. さて,内田さんはパイロットであるが,客室乗務員であった方が書いたエッセイ集もある.伊集院憲弘氏の「客室乗務員は見た!」(新潮文庫,2007年,286ページ)である.著者は,日本航空に入社し,チーフパーサーや客室マネージャーなどを勤めた方で,このエッセイ集には,客室乗務員の苦労がつづられている.イヤー,客室乗務員泣かせのお客さん,なんと多いこと多いこと,困ったものです. そのような話の一つに,パリから成田に向かう飛行機の中で,ファーストクラスにいたヤクザが一人で興奮しはじめ,突然隣の席の人を殴り始めたり,さらには食事トレイをぶちまけたりと,大立ち回りをしたエピソードがあった. 客室乗務員では取り押さえることができず,コクピットに応援要請があった.そこで,その便では副機長役を務めていた「ヤマダキャプテン」が出向いて,ヤクザと渡り合う羽目になった.ヤクザは大学でボクシング部に入っていたという. さて,この渡り合い(殴り合いではないようです)の中,お互いの出身高校や大学を名乗りあったのだそうだ.ヤクザの出身高は,長野県の有名進学校であるM高,そして大学は有名私大であるK大だという.一方,取り押さえようとしたヤマダキャプテンの出身高は山形東高で,大学は東北大だという.そう,ヤマダキャプテンは,高校も大学も,私の先輩なのであった.こんな些細なことでも嬉しくなりますね,ここのところで,思わずにやりとしました. さて,ヤクザが卒業した高校や大学をイニシャルで書いたのだが,どこのことか知りたいですって,そして,この話の顛末を知りたいですって.知りたい方は,どうぞ,本を手にとって確かめてください.でも,渡り合いあいながら,どうして出身の高校や大学を互いに名乗りあう必然性があったのでしょうね,不思議です. 2008年2月15日記 website top page |