「フンボルト兄弟」への追記
(2008年)6月の「若き研究者の皆さんへ」の 「フンボルト兄弟」に書いたように,6月15日(日)の朝日新聞の書評欄を見て,フンボルト兄弟が,奇しくも見開きのページに同時に登場したことに気づいたのだが,その後日談ならぬ,前日談(こんな言葉はないのだが)である.

先に,5月4日(日)付けの読売新聞の科学欄のコラム「立体『考』差」で,編集委員の柴田文隆氏が,「フンボルトの理念」に関する記事を書いていた.以下は,その一節である.

「ベルリン大学では,生徒は受身で教わるだけでなく,自ら研究活動にも取り組むことが求められた.こうした理想は,提唱したドイツの文部官僚の名前にちなんで『フンボルトの理念』と呼ばれ,各国の教育制度にも影響を与えた」.

そして,この記事で,潮木守一(うしおぎ もりかず)桜美林大学招聘教授(名古屋大学名誉教授)による著書,「フンボルトの理念の終焉?−現代大学の新次元−」(東信堂,2008年,270ページ)を紹介していた.

ところで,本学の理念は,「研究第一」,「門戸開放」,「実学尊重」である.このうち,「研究第一(主義)」とは,一般に「世界最先端の優れた研究を実践している中でこそ,優れた教育ができる」ことを,表現していると,説明される.一見,「研究が第一で,教育は第二」と誤解されそうなスローガンであるが,実は教育に関する理念なのである.

さて,このような背景もあり,潮木先生の本に興味を持った.私はそれまで東信堂なる出版社を認識しておらず,勝手に普通の本屋さんでは入手が難しいだろうと思い,通信販売で購入することとした.在庫があったようで,本はすぐ送られてきた.本を手にとって知ったのだが,東信堂は,大学など,高等教育に関する本を多数出版している会社であることがわかった.

さて,インターネットで著者の潮木先生を調べているなかで,広島大学高等教育開発センターの大学論集第38集(2006年度)に「フンボルト理念とは神話だったのか−パレチェク仮説との対話−」(171-187ページ,2007年3月発行)と題する論文を発表していることがわかった.
そして,この論文がウェッブサイトに公開されていることもわかり,早速ダウンロードして読んでみた.また,早速届いた本を読み始めると,大変読みやすく,また,内容も期待に違わず興味深いものであった.

潮木先生の上記の論文と本は,論文の副題からわかるように,パレチェク(Sylvia Paletschek,ドイツの歴史学者)が,2001年に開催された国際シンポジウムでの講演で問題提起した「フンボルトの理念などはなかった」(パレチェクの仮説)を,潮木先生のそれまでの研究を踏まえ,検証しようと試みたものである.

ここに出てきたフンボルトとは,兄弟のお兄さんの方のヴィルヘルム・フォン・フンボルト(Wilhelm Von Humboldt,1767−1835)のことで,プロイセン(現在のドイツ)の言語学者であり,政治家,文部官僚である.ベルリン大学(現在のベルリン・フンボルト大学のことで,ベルリン自由大学とは異なる大学)の設立者とされている.

1810年に設置されたこのベルリン大学は,「大学教育史」では近代大学の最初の大学と言われ,19世紀以降作られた大学の理想のモデルとして取り上げられることが多いという.

さて,「フンボルト」なる名前は,一般の人たちにとって,「フンボルト海流」や「フンボルト・ペンギン」などで知られている.このフンボルトは,弟さんのほうで,アレクサンダー・フォン・フンボルト(Alexander Von Humboldt,1769−1859:現在,彼の名前を関する財団があり,科学技術に対する支援や海外の人を対象とする賞もある)のことである.博物学者・地理学者であり,探検家とされている.私は読んでいないが,彼の著書「コスモス」は,近代地理学の金字塔と言われているらしい.

前のエッセイにも書いたように,アレクサンダー・フォン・フンボルトは,南米大陸を探検したとき,ペルーの沖に北上する冷たい海水を運ぶ海流を発見し,同時に,この地域でペンギンを観察したという.これが,「フンボルト海流」と「フンボルト・ペンギン」の由来である.

6月15日(日)の朝日新聞の広告に出た「世界の測量 −ガウスとフンボルトの物語−」であるが,その広告には,「頭脳派ガウスと行動派フンボルトを主人公とした哲学的冒険小説」と刺激的な宣伝文句があり,また,ドイツでは大ベストセラーだという.そこで,是非ともこの本を読みたくなった.

ちょうど6月19日(水)に東京出張が入っていた.この本を購入しようと,仙台駅3階の,出張時にはいつも立ち寄る本屋さんで探した.しかし,どこにも見当たらない.広告の切り抜きを持っていたので,店員さんにそれを示し,探してもらったが入荷していないようだという.

さて,東京で会議が終わり,帰りの新幹線の出発時刻まで時間があるので,東京駅丸の内側の大手書店Mに出かけた.店員さんに広告を渡したところ,探してみるという.携帯電話を使ってあちらこちらと探してくれたのだが,やはり無いという.大手書店Mでもないということで,意気消沈して仙台駅に戻った.そこでふと,仙台駅の近くのAビルにも,この大手書店Mが入っていることを思い出した.半ばあきらめつつも,同じように広告を渡して調べてもらったところ,すぐさま,あるという.大いに喜んで,本を購入したことはいうまでもない.イヤー,東京駅近くのMでも聞いたのですが,無かったのであきらめていたのですよー,などと,店員さんにとってはどうでもいいことまで口走ってMを後にした.

さて,実はこの本,とっても難しい本であった.書いてあることが難しいのではない.たんたんとガウスやフンボルトの,そのときどきの考えや,思ったこと感じたことが,独白として書かれている.それらも特に哲学的思考の独白ではないのだが・・・.

この本をどう読めばいいのだろう.読者にそう思わせるからこそ,哲学的冒険小説なのだろうか.読み終えてしばらくたった今でも,どう理解すればいいのか,この本の内容が頭から離れない.本国ドイツでは大ベストセラーとなったという.ドイツ人は,このような本を好むのであろうか.皆さん,是非読んでください.そして,感想をお聞かせください.


2008年7月15日記


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