徒然なるままに(2008年11月) |
1.あー,山形県人! 全学のある会議のことである.理事である某先生が,配布資料をもとに案件の説明をし始めた.その途中,(1),(2)や@,Aなど,項目が列記されている部分があった.先生は,(1)や(2)を,「いちかっこ」,「にかっこ」と読んだのである.そして,@やAは,「にまる」,「さんまる」と読んだのである.でたー,山形読み. 言うまでもなく,世の中の標準(?)は,「かっこいち」,「かっこに」,あるいは「まるいち」,「まるに」である.これが,山形では上記のような読み方となる.某先生は山形県の出身であることは存じ上げていた.郷里を出て長いはずなのに,未だにしっかりと山形読みが身についていたのであった. なお,本学の理事には,もうお一人,山形県出身者がおられる.この方の読み方は,世の中標準の読み方である. 実は,正直に言うと,私もよくよく注意しないと,(1)や@は山形読みになってしまう.某先生と同じように,私も最近,多くの人に向かって案件の説明をする機会が実に多い.そこで,これらの読み方にはいつも気にかけている. 私の対応方法は,次のようなものである.書類はほとんどが横書きである.そこで,左から右に向かって読み進むとき,(1)や@に出会ったら,最初に出会ったものから読むことにしているのである.すなわち,(1)は,まずは「(」に出会うので,「かっこ」と読み始め,@も,まずは「○」に出会うので,「まる」と読み始めるのである.これまで,この件,誰からも何にも言われていないので,この対応は成功しているようである.さて,私がこんな苦労をしているとは,誰も知らないでしょうね. 数年前のことであるが,今山形の学校で,(1)や@をどう読むのか,当時中学生の娘に聞いてみた.答えは,「いちかっこ」や「いちまる」と読むという.山形県以外の大学で学んだ先生方も多いだろうに,今でもしっかりとこの読み方,伝統が守られているようである. 教育の力,恐るべし,である.それにしても,どうして山形県だけがこんな読み方になったのであろうか.どんな学問分野かは分からないが,卒論のテーマぐらいにはなりそうな話題である. 2.ベンジャミンとエレンのその後 1967年の米国映画「卒業」は,ベンジャミン(ダスティン・ホフマン)が教会で結婚式を挙げていたエレン(キャサリン・ロス)を略奪し,路線バスで逃げるシーンで終わる.この映画の音楽監督はフォークデユオ,サイモン&ガーファンクルのポール・サイモンで,全編彼らのヒット曲が配されており,私の大好きな映画の一つである.私はこの映画を1970年代初めの学生時代に見たのであるが,大学を卒業しようとしているベンジャミンが,何をすればいいのか戸惑っている状況を,自分に重ねたものであった. さて,最後のバスの中のシーンである.私は,バスに乗り合わせた老人たちが見守る中,二人が最後部の座席に座り,にこりともせず,何か不安そうな顔をしていたのがとても印象的であり,そして,とても気になっていた.その後,この二人は幸せな家庭を築いたのだろうかと. このような疑問を解消する本が最近出版されたのを,新聞記事で知った.この(2008年)9月30日の読売新聞の文化欄に,「『卒業』続編刊行 明かされる『その後』」と題する記事が掲載されたのである. うかつにも私はまったく知らなかったのだが,映画「卒業」には原作があったようだ.原作者はチャールズ・ウェッブで,同名の小説であるという.米国での出版は1963年,日本では早川書房から訳本が出版されているらしい.この記事は,チャールズ・ウェッブが40年ぶりに続編を書いていることを報じていた.続編は,「卒業 Part2」(羽田詩津子訳,白夜書房,2008年,296ページ)である. Part 2は,略奪から11年後の話という.早速購入して読んでみた.書かれたのは40年後であったが,小説で扱われた話は,11年後の1970年代半ばを舞台としている.すっかり,おじさんとおばさんになったベンジャミンとエレン(訳本ではエレインと表記),二人の子供,そして,ロビンソン夫人が登場する. 正直言って,読まなければ良かった.映画卒業のラストシーンから,あれやこれやと思い巡らしている方が楽しかったような気がする.小説を読んだ後では,ウー,想像する幅が一挙に,とてもとても狭くなってしまった.これは,当たり前か. 3.こんなときあなたは 本学は1907年の開学(勅令による)であり,昨年,開学100周年記念のイベントを催した.4つの大きな記念事業を行ったが,その一つは,百周年記念構造物の建設であった.具体的には,通称「川内記念講堂」を改修し,世界有数のコンサートホールにすることである.集められた募金のかなりの部分がこれに割かれた. 10月11日,昨年度から始めた本学ホームカミングデーの初日,東北大学校友会第1回総会に続いて,落成記念式典が開催された.型どおりのセレモニーのあと,東北大学交響楽団,男声合唱団,女声合唱団,混声合唱団による記念コンサートが行われた.その中の一コマである. 記念コンサートの最後の方で,ヘンデルによるメサイアの一部が演奏された.メサイアはすべて演奏すると2時間半から3時間の演奏時間になる大作だという.今回の演奏はそのごく一部である.このコンサートでは,二つ目のパートにハレルヤコーラスが配置されていた.ハレルヤはヘブライ語で,「主を褒め称えよ」という意味らしい.さて,演奏が開始されるや,「こと」は起こった 私の斜め前方に座っておられた本学のO先生が,立ち上がったのである.そのとたん,私は思い出した.そう,イギリスでは,ハレルヤが演奏されるときには,聴衆は立つのが礼儀なのだと.しかしすぐさま,私は立たないことも決めた. さて,O先生は,みんなが立たないことを不思議に思ったのだろう,両隣の方に立つことを促しているようである.演奏は既に始まっている.O先生から促された両隣の方もすぐには立ち上がろうとせず,後ろを振り返ったりして,聴衆の動向を探っているようであった.誰も立っていないのを確認したのであろう,結局,立ち上がらなかった.そうしているうちにO先生も着席した.おそらくはしぶしぶと. ヘンデルによるメサイアは,ロンドンでは1643年に初演奏が行われた.このとき,当時の国王,ジョージ2世も出席していた.ハレルヤのところに来たとき,国王は感動のあまり立ち上がったという.それ以来,ハレルヤが演奏されるときは,英国では,コンサート参加者は立つのが習慣となったようである. 私自身はクラッシックコンサートでメサイアを聞いたことはないので,日本のコンサートでも,聴衆が立つのかどうかは知らない.しかし,私自身は座って聞いていたいと思う.コンサートであれば,ハレルヤも「鑑賞すべき曲」なのであるから.実際,現在の英国では,ハレルヤのときには立つ,という習慣には,賛否両論があるという.さて,ハレルヤが演奏されるとき,あなたは立ちますか. 2008年11月15日記 website top page |