最近読んだ本の話(2009年5月) |
最近読んだ本について書いてみたい.ただし,読んだ本の内容の紹介ではなく,その本と自分との関係など,本にまつわるあれこれについての雑文である. 1.渡辺淳一著「流氷への旅」 今年(2009年)2月の集英社文庫の新刊広告で,渡辺淳一さんの「流氷への旅」(534ページ)が再び出版されたことを知った.渡辺さんの6大恋愛小説を出す企画の,その第1回目の小説として選ばれたようだ. 私は15年前くらいになるだろうか,この小説を読んでいた.渡辺さんの小説で読んだのは,たった何冊かであるが,そのうちの1冊である.渡辺さんの小説では,「化身」や「失楽園」などが有名であるが,それらは読んでいない.さて,なぜこの小説を読んだのか,理由は次のようにはっきりしている. この小説の存在を教えてくれたのは,東北海区(三陸沖合い海域)でのプランクトンの採集と,その研究で著名な女性海洋研究者,Oさんであった.この小説の主人公は,流氷研究者の「紙谷誠吾」である.Oさんから,紙谷誠吾のモデルがH大学(小説にはずばり大学の実名が出てきますが,ここではこうしておきます)のA先生であるというのを聞いたからである.私はA先生を良く存じ上げているので,面白そうだと思い,読んだのであった. なお,A先生が紙谷誠吾のモデルであることは,渡辺さんのエッセイ集「北国通信」(中公文庫,1987年,264ページ)の「紋別まで」(117−121ページ)に明言されている.そのさわりを,次に引用しよう. 「何故,オホーツク海側だけに流氷がくるか,ということは,なかなか難しい問題らしい.(段落)現在わかっていることは,日本海に比べてオホーツク海は,海水の対流現象が表面だけで,浅くおこなわれるため,塩分が少なく,常に冷えやすい状態になっているかららしい.(段落)このことは,紋別にあるH大(筆者注:ここも実名)流氷研究所のA先生(筆者注:名字が書かれている)にきいた,受けうりである.(段落)このA先生は,僕の最近の小説『流氷への旅』のなかで,紙谷誠吾として登場してもらった人である.といっても正確なモデルというわけではない.もう十年間以上も,紋別にいて流氷の研究一筋に取り組んでいる.その生き方をつかわせていただいただけである」(117−118ページ). このエッセイには,さらに続けて,次のように述べられている. 「でも,紋別まで行った観光客のなかには,流氷研究所をのぞいて,紙谷誠吾は本当にいるのだろうかと,たずねる人もいるらしい.(段落)今度行ってみると,茶目っ気のあるA先生は,僕に木の札を差し出して,黒と赤のマジックで,紙谷誠吾と書いてくれ,といわれた.なににつかうのかと思ったら,それを入り口の職員の名札が並んでいるところにかけておくのだという.(段落)『僕はあんないい男ではないので,架空の名札を下げて,来た人の夢をこわさないようにするのです』(段落)雪と氷の中で過ごす男は,やはりロマンチックである」(118ページ). さて,渡辺さんのエッセイで述べられた名札を掲げたことの後日談を,A先生から直接伺ったことがある.札幌にあるH大学本部から,お偉いさん(どんな人が来たのかは教えてくださいませんでしたが)がこの施設を訪問した.そしてこのお偉いさん,目ざとくこの札を見つけ,こんないたずらをするのはけしからん,とA先生に告げたらしい.ということで,紙谷誠吾の名札は,施設の入り口から撤去されたのだという.何ともユーモアのかけらもないお偉いさんなのでしょう,と私は思うのでありますが. さて,A先生,実は,名文筆家である.A先生のエッセイは,何度も新聞に掲載されている.また,一般書や啓発書なども執筆されている. 文芸春秋は,毎年,前年に書かれた多くのエッセイの中から,優れたエッセイを選んで一冊の本として出版している.この本には,プロ,アマ問わず,優れたエッセイが収録される.A先生のエッセイ,これまで2度も選ばれているのである.1編は私自身が偶然見つけたのだが,もう1編は,A先生のお手紙が添えられて送られてきた本で知った. A先生はすでに定年退職されて何年にもなるが,今でもニュースなどで,オホーツク海の流氷に関するコメントなどを出されている. 2.高島俊男著「お言葉ですがI−ちょっとヘンだぞ四字熟語−」 高島俊男さんの名エッセイ集である「お言葉ですが」シリーズの第10冊目の文庫本,「お言葉ですが I −ちょっとヘンだぞ四字熟語−」(文春文庫,282ページ)が,この(2009年)3月に出版された.前年までは,いつも6月の出版であったのだが,今年は3か月も早く出版された.本の出版を新聞広告で知るやいなや,待っていましたとばかり購入したのは言うまでもない. さて,今回のエッセイ集,副題にあるように,初めの方に四字熟語にまつわるいくつかのエッセイが並べられている.高島さんは,漢字四つ並んでいれば四字熟語,というのはおかしいと主張する.そして,最近多くの四字熟語辞典が出ているが,漢籍から生まれ,それなりの意味を持つ四字熟語のほか,日本で生まれた漢字四文字の言葉が混在して収録されていることに,異議を唱える. 確かに,例えば,「交通安全」も「右側通行」も,四つの漢字でできているが,これを四字熟語と呼ぶのは,私にもとても違和感がある.私も,漢籍からとられた四字熟語のみを四字熟語と呼びたい.高島さんは,その意味では「四字成句」と呼ぶのが適当であると主張する.このような四字成句,現在の中国社会でも,日常的に頻繁に使用されているという. ところで,この本の題名の「お言葉ですが」であるが,この文庫本のあとがきに,次のような著者自身の解説があった. 「内容は多岐である.そもそもこのタイトルからしが初めからかけ言葉のようになっている.『言葉についての話です』という意味と,『お言葉ですが貴下の見解に愚生は同意できませんな』という意味である.であるから,言葉についての話を柱として,それに何らかの異議申し立て,さらに,そのときどきにわたしが興味を覚えたことを方面にかかわらず書いた.」(280ページ) この解説,私が前にこの欄「折に触れて」に書いた「毎年6月ごろの楽しみは・・・」(13)で述べたことそのままであり,私の解釈が間違っていなかったことにほっとした.もっとも,誰もがこのように解釈していたと思うのだが. ところで,この本を読んでびっくりし,また,がっかりもした.というのも,「だいたい小生の本は売れない.売れないから『お言葉ですが・・・』もこの第十冊で打ち切りになるのであるが,・・・」(75ページ)とあるではないか.何と,この文庫本で最後とのことである. 第十冊目になるこのエッセイ集は,2004年から2005年にかけて週刊文春に掲載されたものを集めている.このエッセイの連載が終わったのは,2006年8月17・24日合併号である.まだ文庫本に収録されていないエッセイは,50-60編程度はあるはずである.文庫本1-2冊分の分量である.もう「お言葉ですが」シリーズの文庫本は出ないのであろうか.そうだとしたら,とても寂しい限りである.文藝春秋には,是非出版して欲しい,とお願いしたい. 3.フランク・シェッツィング著(北川和代訳)「深海のYrr(上・中・下)」 昨年(2008年)4月,早川書房から,分厚い3冊の文庫本が出た.「深海のYrr(イールと発音)」(ハヤカワ文庫,上・中・下,それぞれ540,568,540ページ)である.この本の存在はもちろん出版直後から本屋さんで知っており,その題名に海が入っているので,いつかは読まなくてはいけないな,と思いつつも手を出していなかった. それが秋になって,同じ研究室の,大の読書家であるSさんが,この本をすでに読んでいたことが分かった.そこで,貸してもらったのだが,私は多くの本を同時並行的に読む癖があり,また大著でもあるので,だいぶ時間がかかってしまった.読み終えたのは,この5月の連休中のことである. いやー,すごい本だった.スケールの大きさ,その構想力と展開力に圧倒された.そして地球に住む人間の存在とその意識,宗教などを考えさせられた本である.人間は,地球上の唯一の知的生命体であると無意識に思っているのであるが,それが覆させられたとき,人間はどのように振る舞うのであろうか,著者にはそんな思考実験をしたかったのではなかろうか. 著者のシェッツィングはドイツ人で,大学卒業後,広告会社勤めを経て会社を新たに設立したという.小説家としてのデビューは1995年のことである.この小説は2004年に発表された.取材に4年もかかったこの小説,ドイツで大ベストセラーとなり,ついには「ダ・ヴィンチ・コード」を第1位の座から引きずり落としたのだという. 確かに,よくもまあ調べたものだと感心するところが多い.日本に関係する部分を取り上げると,小説では,海中ロボットを研究している実在の東京大学のU先生が開発した無人潜水調査艇URAが大活躍する.同じく東京大学大学院理学系研究科で,メタンハイドレードを研究しているM先生の実名が出てくる.JAMSTECの「しんかい」も出てくるし,組織では石油公団も出てくる,とう次第である. この小説の舞台は海であるので,海に関する記述も頻繁に出てくる.これもよく調べたものだと感心する.たとえば海流では,メキシコ湾流(学術用語は単に湾流であるが),北大西洋海流,ノルウェー海流,南極周極海流,ペルー海流などが現れる. 著者が専門家に取材したりしてよく調べていることは,深層循環,いわゆる「ブロッカーのコンベアベルト」を記述したところのさわりを引用しただけで,たちどころに理解できる. 「グリーンランド海盆を出た粒子は,アフリカを過ぎて南下し,南極に向かう.(段落)あなた(筆者注:海水の粒子のこと)の旅は南極周極海流,海流の操車場,永遠の循環と続く.(段落)冷たい海から冷たい海に.(1行開け)あなたは一粒の粒子だけど,幾筋もの遠大な流れの一部だ.あなたは海底を流れ,赤道を越え,南大西洋海盆に到達し,南米大陸の先端をめざす.そこから,あなたたちは静かに流れていく.けれど,ホーン岬を過ぎると激流に流れ込む.それは,パリの凱旋門のロータリーをまわる交通量に匹敵する流れで,あなたは激しく翻弄される.南極周極海流は,氷に覆われた白い大陸を西から東にまわり,すべての海の海水を輸送する.この海流は決して止まらず,陸にぶつかることもなく,永遠にまわり続ける.」(下,498ページ) このあと,約1ページ半ほど省略.コンベアベルトが閉じるところは,次のように描かれている. 「あなたはメキシコ湾流生誕の海盆に到達した.熱帯の熱をいっぱいに蓄えて,旅はニューファウンドランド,さらにアイスランドへと続く.あなたは誇らしげに上層を流れ,熱はいつまでも失わないというように,気前よくヨーロッパに分け与える.けれど,知らず知らずのうちにあなたは冷たくなり,北大西洋の海が塩の重みをあなたに負わせる.重くなったあなたは,いつの間にかグリーンランド海盆にいることに気づく.あなたの旅の出発点だ.」(下,500ページ) 大いに感心はするのだけれども,一方,やはり怪しげな記述のところもたくさんある.そのようなところを1か所,次に挙げる. 「海面の窪みやふくらみを船上から測定するのは困難だ.事実,衛星による測定がなければ,海で起きている現象を知ることはなかっただろう.現在では,海底の地形図を作製するだけではなく,海面の様子から深海の現象を推測することにより,大洋の海洋力学が分かるようになったのだ.ジオサットは直径数百キロメートルにおよぶ海の渦を発見した.(略)しかし,エディはずっと大きな渦の構成要素なのだ.衛星による別の角度からの測定で,海洋全体が循環していることが明らかとなった.この還流は,北半球では時計まわりに,南半球では反時計まわりに循環し,極地に近づくほど速くなる.(2行省略)海洋大循環からすると,メキシコ湾流は大きな流れではない.北米に向かって時計まわりに循環する大還流の構成要素となる.一つの中規模渦の西の端にあたるのだ.大還流の中心が大西洋の真ん中ではなく,西よりにあるため,メキシコ湾流はアメリカの海岸に押しつけられて海面が高く盛り上がる.そこに強い風が吹きつけ,北極に向かうメキシコ湾流の速度を速め,同時に海岸との摩擦はゆるやかになっていく.外部からの影響がないかぎり,回転運動は安定した動きだ.こうして北大西洋の還流は,安定した循環を続けることになる.」(中,315ページ) 海洋学や気象学を修めた皆さん,これらの記述をどう理解しますか.上記の記述が誤っている,あるいはあやふやだ,と判断したときにはどう直しますか. 追加で,訳語の問題を.これはいつものことであるが,単に「塩分」でいいところが,ことごとく「塩分濃度」になっている.また,単に「塩」でいいところが,たいてい「塩分」になっている.塩分濃度撲滅運動家の私としては,まだまだ活動が足りない,と自省した次第である.おまけにご愛敬で.小説では,「シミュレーション」がいたるところに出てくるのだが,私が見つけた限りでは1か所,「シュミレーション」になっていましたぞ(中,406ページ). さて,このように怪しいところもあったのだが,私はこの小説を大いに楽しんだことを,再度お断りしておく.この小説の映画化が決まったと本の帯に書いてあった.おそらくコンピュータグラフィック(CG)大活躍の映画になるのだろう.この映画,ぜひとも見たいものである. 2009年5月15日記 website top page |