最近読んだ本の話(2009年9月)
再び最近読んだ本の中からいくつか選び,本にまつわるあれこれの雑文を記す.

1.黒木登志夫著「落下傘学長奮闘記−大学法人の現場から−」

この本は,突然学長になってしまった(だから,落下傘)著者の,7年間にわたる奮闘記である(中公新書ラクレ,2009年3月,363ページ). 2004年4月,国立大学は国立大学法人となった.著者の学長職(2001年6月から2008年3月まで)は,法人化前の3年間と,法人化後4年間である.この法人化で何が変わり,何が変わらなかったのか,あるいは法人化に対して大学人がどのように対応しようとしたか,著者の大学,岐阜大学を通してつぶさに垣間見ることができる.

国立大学の法人化後を論じた本も多数出版されているが,否応なく大学の先頭を切って乗り切らねばならなかった学長という立場の人が書いただけに,臨場感が抜群である.私も当時の状況を思い出しながら,わくわくしながら読み終えた.うーん,これは大学人必読の本,とは言いすぎであろうか.

さて,ここで紹介したいのは,次の話である.この本の第10章は,「学長の生活日誌−忙中閑あり−」と題するもので,学長職の日常が描かれている.そしてその一節の題名は,「挨拶はたいへんだ」(313ページ)であった.黒木先生は,学長職につく前,挨拶が大変だろうと思って,丸谷才一さんの「挨拶はたいへんだ」を読んでいたのだそうだ.思わず,黒木先生にしてやはりそうかと,にやりとしたのでした.どうして私がそうなのかは,この欄の「イヤー,挨拶はたいへんなのです」(48)をご覧ください.

学長にとって,もっとも大事な挨拶の一つに,入学式と学位記授与式における「告辞」がある.黒木先生は,告辞にふさわしいテーマと内容を選ぶために,3か月くらい前から考えるのだそうだ.そうでしょうね,きっと.告辞は新聞にも取り上げられるし,大学のウェッブサイトにも長く掲載される.用意周到に準備しなければならないのは,当然でしょうね.

ところで,黒木先生は忙しくて日頃の挨拶の原稿は作らなかったとのこと.その代わり,大事な挨拶のときには,パワーポイントを準備したとのことである.なるほど,これはいい考えである.聞いている人も理解しやすいだろう.私も,プロジェクターが使えるような場面では,真似してみることにしましょうか.

2.日本エッセイスト・クラブ編「カマキリの雪予想−‘06年版ベスト・エッセイ集−」

この(2009年)8月,標記エッセイ集(文春文庫,317ページ)が出版された.プロの作家のみならず,一般の方が書いたものの中から,特に優れたものを60編ほど集めたエッセイ集である.この文庫本の元となる単行本は,選考の対象となった年の翌年に出版される.文庫版で出版されるのは,その単行本出版から3年後のことである.つまり,今年の文庫に収められたエッセイは,実際には2005年に書かれたものである.

私は,この文庫が出るのを毎年楽しみにしている.ここしばらくは7月中に出版されていたが,今年はなぜか1か月遅れの8月の出版である.この出版を新聞広告で知るや,早速購入し,大いに楽しんだのは言うまでもない.

さて,このシリーズが文庫本でも出版されていることを知ったのは,今から7年前の2002年に,現在H大学名誉教授のA先生から,お手紙とともに「司馬さんの大阪弁-‘97年版ベスト・エッセイ集−」(2000年,318ページ)を頂いたからである.A先生はとても筆が立つ先生で,エッセイを新聞などによく寄稿されている.実際,A先生のエッセイは,これまで二度もこのシリーズに取り上げられた.上記の本に,A先生のエッセイが掲載されていたのである(本欄のエッセイ47-1も参照).

今回の本は,文庫本として24冊目である.私は15冊目からの読者であるので,最初の14冊はまだ読んでいない.もう絶版になっているものも多いと思われるが,そのうち,古本屋めぐりでもして,入手しようと思っている.

ところで,私は,海外出張の前は,どんな本を持っていこうかと,いつも迷う.活字がびっしりと詰まった小説もいいのだが,たいてい選ぶのはエッセイ集である.小説は読んでしまえば,たいてい二度と読む気がしなくなるからである.

エッセイとは,その人がある出来事に対して,あるいはある経験をしたことに対して,感じたことを記したものである.へー,この人はこのようなことに,こんな風に感ずるのか,へー,この人はこんな感覚を持っているのか,などと驚くことや感心することが多い,自分の持っていない感覚や感情,すなわち「感性」に出会うと,実に新鮮なのである.また,読後,身につくはずはないのだが,自分にそんな感性が身につくかのように感じてしまう.さて,皆さんは,どうですか.

3.岡田武松著「測候瑣談」と「続測候瑣談」

昨年(2008年)の5月,長年日本の海洋学を牽引してこられ,現在も活発に活動されているU先生から,標記2つの本を贈って頂いた.先生が身辺整理をされている中でこの本を見つけ,この本の行く末を私に託したい,とのお手紙が添えられていた.

著者の岡田武松(1874-1956)は,中央気象台(気象庁の前身)の台長を長く務められた(第4代,1923-1941).気象学や海洋学を学んだ方なら,誰もが名前を知っている我が国気象学の創始者の一人である.また,日本海洋学会の初代学会長でもある(1941-1947年).そのため,日本海洋学会では,若手研究者を対象とした賞として,同氏の名前を冠した岡田賞が制定されている.

U先生から贈って頂いたこの「測候瑣談(そっこうさだん)」(293ページ)は,1937年10月に岩波書店から発行されたもので,1933年に鉄塔書院(正確には鉄は旧字体)から出版されたものを改めて出版したものである.「続測候瑣談」(333ページ)の方は,同じく岩波書店より1937年8月に出版された.したがって,岩波書店からは「続」が初めに出版されたことになる.

さて,読み終えたのが頂いてから1年以上も経ったのには理由がある.頂いてからすぐ読み始めたのだが,何せ70年以上も前に出版された本である.読み始めた途端,背表紙が剥がれてしまったのである.もう,これ以上読み進めると,背表紙がぼろぼろになり,なくなってしまう(!)と思い,そこで読むのを中断していたのであった.

その後,修復できないかな,と思いつつも,時間ばかりが過ぎてしまった.それがこの8月末,たまたま本学図書館北青葉山分館のH管理係長にお会いしたとき,ふとこのことを思い出し,相談してみた.H係長によれば,仙台市にそのような修復ができる職人さんがおられるという.そこで,これ幸いと,お願いしたところ,数日後,H係長とともにS製本所社長のSさんが来られ,実際に本を見て下さった.話の途中,もう無理のような発言もされていたのだが,結局,何とかしましょう,ということになり,持ち帰ってくださった.

数日後,SさんとH係長が修復した2冊の本を届けてくれた.大変立派に修復してくださり,また,和紙で作った,品のよい,2冊の本を入れるバインダーのようなものまで作ってくださった.本棚に入れるときは,そのバインダーに入れておくようにとのことである.

Sさんによれば,確かに背表紙は傷んでいたが,本そのものはしっかりしているらしい.現在出版されている本に使われているよりは,はるかにいい紙に印刷されているという.これからも,長く持ちますよ,とのことである.

さて,本の題名にある「瑣談」とは,瑣末の「瑣」であるから,「つまらない,取るに足らない話」との意味であろう.そして著者は,本の中で自分のことを「瑣談子」と記している.「序」によれば,神戸海洋気象台の同人誌「海と空」(現在の海洋気象学会の学術機関誌)に,「測候仲間の逸話や測候事業の挿話なぞを書いたものが,大分たまったので,夫を集めて測候瑣談とした」とある(続測候瑣談,1ページ).

この本は実に面白い.へえー,へえーと感心しながら読み終えた.海洋関係でいえば,故日高孝次先生や,故宇田道隆先生の名前も出てくる.書きぶりは,著者自身が「漫談」と表現しているように,ユーモアたっぷりである.たとえば,人物の表現では,誰々さんのおつむは「雲量2」,てな具合である.もう,おかしくて,おかしくて.もちろんのこと,気象観測の歴史を知るにも,気象にかかわる行政を知るにも,いろんな意味で資料としての価値も一級品であると思う.

なお,この本に記載されていることをネタに,いっぱい書きたいことがあるのだが,「この欄は本の紹介ではない」としているので,稿を改めて記すことにしましょう.

さて,私ばかりが読んではもったいない.本の修復も終えているので,もし,この欄の読者で読みたい方がおられるのであれば,連絡を頂ければお貸しできる.この本を私に託してくれたU先生も,きっとお貸しすることを許してくれるものと思っている.


2009年9月15日記


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