ノモンハン事件と一人の軍人 |
正義感に燃えた感情豊かな青春時代(そうであったと信じたい)に,見たり,聞いたり,読んだり,経験したりしたことは,「一生もの」という.すでに老境にさしかかったものからすると,確かにその通りで,たとえば学生時代に見た映画の中には,今でも鮮明に,かつ懐かしく思いだせるものもある.そして,もう一度見てみたいものだ,と思うこともある. 私のそのような映画の一つに,日活映画「戦争と人間」がある.3部作(それぞれ,1970年8月,1971年6月,1973年8月に公開)からなる映画であるが,いずれも大学入学後の教養部時代に観ている.原作は五味川純平氏の同名の小説であり,監督は山本薩夫氏である. さて,数年前のことであるが,DVDに収録されていたら観てみたいものだとインターネットで調べてみると,3部作が「DVD−BOX」として販売されていることが分かった.そしてひょんなことから,山形市に本店があるH書店の天童店に,このDVD−BOXを見つけた.しかし,定価が2万6千円と高価なこともあり,すぐには手を出さずにいたのであった.それがあるとき,再びインターネットで検索したところ,中古品が4万2千円で販売されていることを知った.これで決心がつき,H書店天童店に出かけて購入した.それにしても,新品より中古品の値段が高いとはなんということであろう. この「戦争と人間」は,日活の総力を挙げて製作された.日活所属の俳優達が総動員されたかのような,出演者の豪華なこと.物語は昭和初期から始まる.新興財閥伍代家が,軍部の動きをにらみつつ,大陸に進出して,事業を拡大する過程を,このような動きに危機感を持つ,いわゆる左翼の運動と対比されて描かれている. 資料によると,当初5部作で,戦後の東京裁判まで描かれる予定であったが,会社の都合で3部作となり,急きょ3作目の脚本が変更されたという.この3作目には,「完結編」なる副題が付けられている. この完結編の後半は,1939年(昭和14年)に起こったノモンハン事件が舞台である.悲惨な戦闘の結果,主人公の柘植進太郎少佐(俳優は高橋英樹)は戦死し,伍代家次男であり狙撃兵となっていた伍代俊介(北大路欣也)は負傷する.そして,ノモンハン事件で戦死した兵隊(1万数千人と言われる)を火葬にするため,多数の木の井桁が燃え上がる場面が最後のシーンである.背景には軍人勅語が流れ,日本はこの後も,太平洋戦争に突き進んでいく,とのナレーションを残して. 3部作すべてであるが,とりわけこのノモンハン事件を描いたところは,日本映画史上の中でも,そのスケールの大きさは比類なきものである.戦車が多数出てくる戦闘シーンは,ソ連軍の協力を得て撮影されたという.今ならコンピュータ・グラフィックが駆使されるのであろうが,すべて実写である.もっとも,その後の第2次世界大戦の際の,ヨーロッパにおける戦闘の実写フィルムが使われたらしいのだが. このノモンハン事件では,日本軍が徹底的に蹂躙され,殲滅される.しかし,日本軍はどうして水が足りなかったのか,どうして戦車に火炎瓶で立ち向かったのか,事件後,帰還できた日本軍将校がどうして関東軍幹部から自決を強要されたのか,それまでノモンハン事件の背景などをまったく知らなかった私は,これらのことについて,ただただ唖然とし,疑問が沸いたのみであった. このようなこともあり,ぼんやりとではあっても,前々からノモンハン事件のことを知りたかった.この(2009年)9月のある日曜日,新刊書が並ぶ一角で,小林英夫著「ノモンハン事件−機密文書『検閲月報』が明かす虚実」(平凡社新書483,2009年8月,226ページ)を見つけるや,すぐ手に取った.書名から分かるように,近年明らかとなった「関東憲兵隊」の「通信検閲月報」をもとにしたノモンハン事件の研究である. この本を読んだ直度,田中克彦著「ノモンハン戦争−モンゴルと満洲国−」(岩波新書1191,2009年6月,241ページ)も見つけたので,これも手に取った.この本は,モンゴル民族に焦点を当て,モンゴル人にとってのノモンハン戦争を記した本である(なお,田中氏は,「事件」ではなく「戦争」だとする).モンゴル民族が二つに分けられ,一方は日本の傀儡政権である満洲国の国民として,一方は事実上ソ連の支配下にあったモンゴル人民共和国の国民として存在した.日本とソ連という,ノモンハン事件は当時の2大大国のエゴがぶつかりあった戦争であるが,モンゴル民族は敵味方に分かれて戦わざるを得なかったのである. 二つの本とも,錯綜した事情はともかく,関東軍のお粗末な情勢分析により,悲惨な戦争に突入したと結論付ける.そして,その様に至った理由の一つに,ある一人の職業軍人の存在を指摘する.ある軍人とは,当時関東軍作戦課参謀の辻政信少佐である. 小林氏は,「ノモンハン事件の勃発と拡大過程を見る時,関東軍参謀の辻政信を除いて語ることはできない」(54ページ)としている.そして,小林氏は,本を書いた目的の三つ目を次のように述べる.「ノモンハン事件の戦争指導のあり方を通じて,日本社会の根底に横たわる共通の弱点に迫ることである.この戦争の実質的な指導者(典型的なのは関東軍参謀辻政信だが)は突出して異常だったのか,と問えば,こうした類の連中,半藤利一の表現を借りれば,小才の利く秀才たちは,日本の社会や組織の中にごまんといる.そして,条件が整備されると,彼らが今でも日本社会のいたるところで,また様々な組織の中で政策決定者となるのである.(段落)彼らはことが成功した場合には,自らは犠牲者の血を吸って立身出世し,失敗した場合は組織の第一線で奮闘した前線指揮官たちにその責任を転嫁し,時として自殺に追いやる.こうしたリーダーシップ欠如という日本社会に綿々と継続する弱点をこのノモンハン事件でも検出してみることとしたい」(12-13ページ). 一方,田中氏は,「辻政信という功名心と名誉欲に取りつかれた参謀がいて,かれは持ち前のアヴァンチャリズムを発揮して,この戦闘の発端から最後まで動かしてきたのだ」(219ページ),「辻政信−この人は並でない功名心と自己陶酔的な冒険心を満足させるために,せいいっぱい軍隊を利用した.そうして戦争が終わって軍隊がなくなると,日本を利用し,日本を食い物にして生きてきたのである」(231ページ)と断罪する. 辻政信は,ノモンハン事件後,大本営参謀本部作戦課に復帰した.そして太平洋戦争では,兵站班長,作戦班長として,マレー,ガダルカナル,ビルマなどの作戦を指揮したという.敗戦をバンコクで迎えた後,外地を転々とし,1948年,極秘に日本に戻った.1949年に戦犯解除になると執筆活動に入り,多くの本を出版した.その後,衆議院議員(石川県一区)を2期務めた後,参議院の議員となった.その在任中の1961年,東南アジアの視察中にラオスで失踪したという.裁判所は,辻政信に1968年7月20日付けで死亡宣告を出した. ところで,小林氏の本を読んでいる最中の9月11日(金)の毎日新聞の第2面の下に,出版社毎日ワンズの新刊として,辻政信が1950年代に書いた「シンガポール攻略」と「ノモンハン秘史」という二つの本の宣伝広告が,顔写真入りで出ていた.なんという,偶然であろうか. 相次いで二冊の本を読んで,ある程度,ノモンハン事件を理解できたような気がするのだが,その中で生きた一人の人間,辻政信とはいったいどんな人だったのだろうか,もやもやとした気持ちが残る.また,一人の人間が巨大な組織(軍)をこうもたやすく動かせてしまうのか,一人の人間がこうも歴史を作れる(戦争を牛耳れる)のか,考えてしまう. この辻政信,映画「戦争と人間」では,脇役・悪役として活躍した故山本麟一さん(1927-1980)が演じた.けだし名演である. 2009年11月15日記 website top page |