徒然なるままに(2010年10月) |
1.我が家の新しい冷蔵庫(途中経過) 以前この欄で,我が家の冷蔵庫の“賞味期限”が切れてしまったので,新しい冷蔵庫を物色している話を書いた(No. 55-2,No. 60-3).その後,この(2010年)6月に,新しい冷蔵庫を購入したので,その報告をしよう. 今年に入ってから半年間ほど,大手家電製品販売店の広告などから,新しい冷蔵庫を探していた.冷蔵庫の外形(大きさ),容積,消費電力,省エネ達成率,そして価格などを考慮し,既に書いていたように,大手家電メーカH社の415リットルのものが最適であると考え,6月に購入した. 古い冷蔵庫は1983年の製造だったので,27年間使用したことになる.古い冷蔵庫の容積は230リットルであったので,新しい冷蔵庫の容積は約2倍となった.一人での使用には大きすぎる気もするが,これより小さなものでも消費電力が多かったため,このような選択となった. さて,新しい冷蔵庫になって,長年使っていることによる部品劣化が原因となる発火の心配から解放されたこと,霜取り作業からも解放されたこと,そして自動製氷など機能が大いに進化しているので,満足している. 問題は消費電力である.新しい冷蔵庫の消費電力は,カタログには年間280kWh(一日当たり,0.767kWh)とあり,省エネ達成率182%を謳っている.このカタログ値が実際に達成されるかどうか,我が家に冷蔵庫が到着して以来,消費電力を簡易測定機で測っている. 測り始めから,1日当たり約1kWhの値とでた.これはおかしい,これでは古い冷蔵庫(20日間の計測で平均1.1kWh)とそんなに変わらない.電化製品の消費電力とは,車の公称燃費と同じなのか,とすら思った.実用的な使用での車の燃費,ご存知のように,公称値の30%減が常識となっている(と思っている). さて,今年は猛暑,仙台でも7月下旬から30℃を超える日が続き,熱帯夜も何日もあった.そこで,高い室温のせいではないかと考え,計測を続けていた.確かに原因はここにあったのである.最高気温がコンスタントに30℃を超えた7月20日から約1カ月間の平均消費電力は,1日あたり1.1kWhであった.これは古い冷蔵庫と同じレベル. 9月中旬になると,猛暑から一転して,秋らしい天候となった.下旬に入ると最高気温は平年値よりも低く,20℃を下回るときもあった.この9月下旬,20日から29日までの10日間の消費電力は,1日当たり0.8kWh台まで下がった.冷蔵庫の消費電力は,気温(室温)に敏感に反応しているのである. また,消費電力は,冷蔵庫の中に入れた物の量と,冷蔵庫のドアの開閉回数にも敏感である.私は仙台と山形とで土帰月来の生活をしている.土曜の朝にマンションを出ると,月曜の朝までマンションは不在となる.そのため,月曜日朝まで,冷蔵庫に入れているものが少ないうえ,ドアの開閉はまったくない.一方,月曜の朝には,一週間分の食料が冷蔵庫に押し込められることになる.このような使用状況が消費電力にも現れる.実際,土曜から日曜の消費電力は,月曜日から火曜日の値に比べ,約10%以上少ないことが分かった. これからは,気温は下がる一方である.連動して,冷蔵庫の消費電力も下がるはずである.年間を通じての消費電力,いったい幾らになるのだろうか.カタログ値どおり年間280kWh程度に収まるのであろうか.簡易測定器による冷蔵庫の消費電力の監視,止めるにやめられなくなっている. 2.「科学」の巻頭に歴史小説 (2010年)9月28日(水),定期購読している岩波書店の「科学」の10月号が研究室に届いた.さっそくページをめくると,巻頭エッセイ,目次,岩波書店発行の本の宣伝に続き,なんと小説が掲載されている.作家をみると,植松三十里(うえまつ みどり)さんであった.これは読まなければ. 連載歴史小説「黒鉄(くろがね)の志士たち −反射炉建設と大砲鋳造への挑戦−」と題されたこの小説,江戸末期,佐賀藩で起こった出来事を題材にしたもののようだ. さて,植松三十里さんである.直接お目にかかったことはないが,旦那さん(ここでは名前を記すことなく,このような表現としたい)はずっと以前からお付き合いのある方である.同じ海洋学分野で,海洋化学・大気化学を専門としており,研究者仲間と言ってもよい.同じ年代であり,また,日本海洋学会では私の前の副会長であった. そのようなこともあり,以前から,奥様が小説を書き始めたこと,「三十里」はペンネームで,名字が「植松」だけに,松を三十里(約120キロメートル)も植えたら,どんなに素晴らしいだろうとのことで付けた,などと聞いていた. 三十里さんの小説ではこれまで「お龍(おりょう)」(新人物文庫,2009年,383ページ)を読んだ.お龍さんは,ご存知,坂本竜馬の連れ合いである.小説は,登場する主人公に暖かい目で見ている著者の姿が読み取れ,読後感がとても清々しいものであった. 今回,お名前を見て思いだしたのだが,三十里さんは昨年4月,「群青 日本海軍の礎を築いた男」(文芸春秋,2008年5月)で新田次郎文学賞を受賞された.受賞発表翌日の新聞報道でそのことを知った私は,旦那さんにお祝いの電子メールを送っている. 「奥様が新田次郎賞を受賞されることを知りました.おめでとうございます.学会賞受賞と,ダブル受賞で,今年はいい年になりましたね.」(2009年4月17日) 文中にあるように,旦那さんは3月末に開催された2009年度日本海洋学会春季大会で,学会賞を受賞されていたのである.旦那さんからはその日のうちに次のような返事があった. 「ありがとうございます.本人には全く知らされておらず,突然の受賞通知で舞い上がっていました.私は酔っぱらって帰路を急ぐあまり,駅の階段で足を滑らせ,鼻を打って,鼻血が止まらずという強烈な想い出付きの昨夜でした.温度・湿度・気圧計が正賞だそうですが,なんといっても百万円ですよねぇ.」 受賞発表当日,旦那さんは顔を血まみれにして帰宅したようだ.確かに,これは強烈な思い出に違いない.なお,新田次郎賞の正賞は,「温度・湿度・気圧計」であること,このメールで初めて知った.なるほど新田次郎さん(1912-1980:ペンネームで,本名は藤原寛人(ふじわら ひろと)さん.数学者でエッセイストの藤原正彦さんの父君)は,気象庁に務めていたので,これは合点がいく. さて,旦那さんの学会賞の賞金は10万円,三十里さんの新田次郎賞の賞金は100万円,植松家の賞金110万円,さてどうなったのか.そのうち,旦那さんに聞いてみることにしよう.余計なお世話,と怒られそうだが. ところで日本では科学雑誌があまり売れていないようである.1980年代,多くの科学雑誌が出たが,1990年代後半,相次いで廃刊となった.私は個人的には中央公論社の「自然」が好きで,定期購読していたが,1984年に廃刊された.その中で岩波書店の「科学」は,1931年の発刊以来,一貫して科学の研究成果を一般の方向けに紹介している.販売が苦しい科学雑誌であるが,小説を掲載する効果がどのように現れるのだろうと,別な興味もわいてきているところである. 追伸:上記の文章の掲載の了承を得るため,予め旦那さんに送ったところ,新田次郎賞の受賞当日の「顛末」が書かれてあった.これがまた面白いのである.さすが,旦那さん,期待に違わず話題を作ってくれる.これもそのうち紹介するとしよう. 2010年10月15日記 website top page |