井上ひさしさんの「ボローニャ紀行」
「イタリア半島は,長靴をはいた脚そっくりに見えるが,ではその長靴をはいているのは男か女か」.

井上ひさしさんは今年(2010年)4月9日に,肺がんで亡くなられた.享年75歳.早いものでもう8か月も経っている.私は決して熱心な読者ではなかったが,井上さんと同じ山形県出身,そして井上さんは高校時代を仙台で過ごしたことなどもあり,身近に感じる作家であった.もちろん,井上さんの代表作の一つであるNHKの人形劇「ひょっこりひょうたん島」(1964-69年に放送)は,リアルタイムに楽しんだ.もっとも,当時は作者が井上さんだとは全く知らなかったのだが.

また,井上さんの長編小説,「吉里吉里人」(新潮社,1981年,834ページ)は出版直後に読んでいた.説明するまでもなく,吉里吉里(きりきり)は地名で,岩手県の大槌町の北にある集落である.そのあたり一帯が,日本から独立する話であるが,国とは何なのかを考えさせる話であった.

そう,大槌町には,海洋学をやっている私たちになじみのある東京大学海洋研究所の大槌臨海研究センター(現在の東京大学大気海洋研究所国際沿岸海洋研究センター)がある.この敷地内の海側(大槌湾)へ突き出た突堤の先に,小さな,本当に小さな,幅も長さも10mに満たない蓬莱島(ほうらいじま)がある.この島が「ひょっこりひょうたん島」のモデルと言われている.

閑話休題.さて,この(2010年)10月のある日,東京出張の折に仙台駅の本屋で見つけたのが「ボローニャ紀行」(文春文庫,2010年3月,253ページ)であった.出張には,いつもカバンに1-2冊の本を入れて出るのだが,その日はすっかり忘れたのであった.最近,こういうことが頻繁に起こる.困ったものです.

さて,ボローニャと聞くと,大学人は西暦1088年に,ヨーロッパ初の大学(ボローニャ大学)が創設された街であることを思い出す.そのようなこともあり,この本を手に取った.ページをめくると,冒頭に引用した文が,この本の最初の文章であった.

さて,この本,「紀行」と題しているので旅行記のような印象であるのだが,もちろんその要素も入っているが,ボローニャの歴史や現在進められている都市再生への努力が紹介されている.むしろ,井上さんは,「ボローニャ方式」と呼ばれ,世界中から注目されているこの都市再生の,理念や住民の努力を紹介したかったのではなかろうか.そう,優れたルポルタージュの本なのである.

井上さんのボローニャへの入れ込み,そしてこだわりは,次の文章からうかがえる.

「二〇〇三年十二月初旬,三十年間の机上の勉強でいまでは恋人よりも慕わしい存在となったそのボローニャへいそいそと,恋する街へ敬意を表わすためにボローニャの名産品,秘蔵のテストニーニのカバンを肩にかけて颯爽と,わたしは成田を発ちました.(略)」(「テストーニの鞄」,pp.10-11)

すなわち,そのきっかけは何であったのかは分からないが,井上さんはボローニャを長年にわたり調べていたのである.

さて,全く知らなかったのだが,ボローニャは製品を包装する精密機械製造の一大拠点なのだそうだ.ティーバッグを作る器械のほぼすべてがここで作られている.以前はティーバッグの袋と糸をホチキスで留めていたのだが,日本茶のティーバッグを注文されたとき,ホチキスでは金気(かなけ)臭いというクレームがあり,糸で結んだのだそうだ.今では世界中でこの仕様となっているらしい(「街の動力」,pp.63-74).

また,ドイツ・ナチス軍とイタリアのムッソリーニ率いるファッショ軍双方に対して,レジスタンス運動を行い,大きな犠牲を払いつつも最終的には勝利しているのも,ここボローニャの地であったという(「そのとき,坊やは,背後から射たれた」,pp.156-166).

この本を読んで,ボローニャの人たちがうらやましくなった.まず,実に前向きなのである.そして,確かな理念のもとに,新しいことにチャレンジしているのである.一言で言えば,過去の歴史が人々にそうさせているのかもしれない.

ボローニャの街は赤レンガの建物で埋め尽くされているらしい.機会があったら,この本を手に,訪問したいものである.この本,皆さんにお薦めの一冊である.

さて,冒頭の問題に戻る.あなたの答えは,男,女,どっちだったろうか.答えは,そう,男なのである.その理由を知りたいですって.知りたい方は,どうぞこの本を読んでください.井上さんが記している理由をここに書くのはねー,ためらいますので.


2010年12月15日記


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