あえなく没になった原稿
昨年(2010年)来,本部局の教育研究支援部広報室は,高校生向けのリーフレット「理学部物語」の全面リニューアルを行っている.現在のものはやや硬いので,高校生や一般の方にフレンドリーなものにしたいという.新しい理学部物語の記事の一つとして,私に約2000字のエッセイを書いてほしいとの依頼があった.締め切りは11月末と設定された.昨年10月頃の話である.

引き受けはしたのだが,その後は悪戦苦闘の連続.高校生や一般の方が対象というので,正直,ナーバスになってしまったのである.いろいろと書きなぐったのだが,どうもピンと来ず,時間ばかりが経ってしまった.

締め切りはとっくに過ぎ,2月に入った.もう,決断するしかなく,今まで書いてきた文章を寄せ集めた「理学とは,大学とは,研究とは」と題する原稿を広報室に送った.するとすぐ広報室のGさんが飛んできて,エッセイの内容は依頼の趣旨とは違うというのである.

もっと柔らかい,通常私がこの欄に書いているようなものを想定していたのだという.Gさんは,この欄のエッセイのいくつかのプリントアウトを示し,例えばこんなものと説明した.それで安心した私は,それならこの3月にウェッブサイトにアップする原稿をもう書いているので,それを送ります,ということで話がまとまった.

この2回目に送付した原稿であるが,これもその後いろいろなことがあったのですね.これについては,そのうち,報告することにしましょう.

さて,あえなく没になった原稿のことである.上記のようにこれまでのエッセイからの寄せ集めではあるが,それはそれとして一つの話になるように書いたので,今回はこれをアップすることにした.

「理学とは,大学とは,研究とは」

「理学」とは一体何ですか,と改まって問われると,答えに窮してしまう.そもそも理学の「理」とは,どういう意味なのだろう.手持ちの辞典やインターネットのフリー百科辞典である「Wikipedia」などを利用して調べてみると,理とは,「王」と「里」を組み合わせた漢字であり,王は「玉」のことで,里は読み方「り」を表しているのだという.もともとの意味は,「掘り出した石(あらたま,原石のこと)を磨いて,美しい模様や筋を出すこと」なのだそうだ.すなわち,そもそもは動詞なのである.これから「整える」,「治める」,「分ける」,「筋目をつける」といった意味が派生していった.

とすれば,理髪店や理髪師なる言葉の意味が良く分かりますね.すなわち,モジャモジャの髪をきれいに整えて,筋目を入れるのが理髪であると.

いろいろ調べていくうち,中国では古くから,今で言う哲学の重要な概念を表すものとして,「理」が盛んに論じられていたらしい.紀元前5世紀ごろの「墨子(ぼくし)」には,理を道徳的規範の意味で使っていたという.12世紀,「理気説」を完成させた南宋の儒学者朱熹(朱子ともいう)は,理を物事の法則性を表すものとして用いた.理気説では,宇宙や物質は理と気からできており,理とは本性や本質を,気とは物質やエネルギーのことを意味したのだそうだ.そして,人間は気(欲望)を捨てて,理(心の本性)にしたがって生きるべきだとする(性即理).そのため朱熹は,学問や知識の重要性を説いたという.

理という言葉,なかなか奥が深い.時代とともにいろいろな意味が付与されて使われてきたらしい.いずれにしても,抽象的であるが,「理学とは,この自然を構成する物質や,それらが織りなすさまざまな現象を対象として,本質的でないものを磨いて落とし,分類や整理をして,その本質や本性に筋道を立てて迫る学問」と言えそうである.

ところで,高校までは理学の分野は「理科」と呼ばれている.そして「数学」とは別の科目として扱われる.一方,大学では,数学は理学部の中にあるのが普通である.理学の中にどうして数学が入っているのだろう.

それは,数学と理学が互いに影響を与えつつ一緒に発展してきたこと,そして理学を表現する言葉が数学であるからである.たとえば,微分や積分は,物理学が発展する中から同時に発展してきた.

そうそう,19世紀に確立した流体の運動を記述するナビエ・ストークスの式は,この式の表わす現象の豊富さと指揮の難しさから,現在でも数学者の格好の研究対象となっている.すなわち,物理や化学,天文学や地球惑星科学,そして生物学などとともに,数学は理学の一員として手に手を携えて発展する学問分野なのである.

さて,この理学を実践しているのが大学であるが,大学とは一体どんなところだろう.私は,「知を継承し,知を創出する拠点」と表現したい.知の継承のためには,広い分野の基礎知識と,専門分野の深い知識,双方を身につけることが重要である.しかし,人類が永年築き上げてきた知の体系の修得に,大学での数年間では到底終えることができない.

そのため,大学では,受動的な学習態度から,自らが積極的に知を求める能動的な学習態度へと転換し,知を学びつつ「知を学ぶ技法」を修得することが重要なのである.

では,知を創出することとは一体何だろう.それは,現在の知の到達点を見定め,その先にさらに一歩踏み出すことである.これが,研究なのである.よい研究を行うためには,自らが課題を設定する力と,奥深く探求する力を身につけることが必要となる.

これら知の継承と創出に向けた努力の結果として,大学からは,社会を牽引して次代を担う人たちや,研究者として活躍する人たちが巣立つ.「知を継承し,知を創出する拠点」である大学は,学生と教職員とが一体となって築きあげるものである.

さて,世界の誰もがまだ解いていない課題に答えを出す研究には,苦しさがつきものである.では,研究における苦しさとは「失敗」のことだろうか.私の過去を振り返れば,日々失敗の連続といっても言い過ぎではない.大きな失敗もしている.何千万円もの装置を船に搭載したが,1年もの間,データをまったく取れなかったのはその最たるもの.仮説を立て,こうであるに違いないと懸命に解析した結果が,まったく無駄だったことも茶飯事だった.

しかし,失敗はひととき苦しいが,本当の苦しさではなかった.なぜなら,失敗して,それではだめですよ,と分かったのであるから.苦しさとは,課題の解決に向かっているのかどうかを判断できず,うじうじ,ぐずぐずしているときであった.

一方,研究の楽しさ,これはもう沢山.仮説を立てたとき,それが正しいと証明できたとき,研究がまとまり学会で発表したとき,そして論文が印刷されたとき,その論文が他の研究者に引用されたとき,みんなみんなそうであった.

私は,30年以上,自然を相手に研究してきた.確かに失敗したことも苦しかったことも,たくさんあった.しかし,一方では,ワクワクしたりドキドキしたり,楽しいことも嬉しいことも,たくさんあった.しみじみ,私は,研究を続けることができて良かったと思っている.


2011年3月15日記


追記:2011年3月11日(金)午後2時46分,マグニチュード9,0という巨大な地震「東北地方太平洋沖地震」が発生した.それ以降の出来事は皆さんご存知の通りで,「3月15日」付けでこのような文章を掲載するのも大いに気になるのだが,この文章はそれ以前に準備したもので,この巨大地震のことを書くのもまだ心の整理がつかない現在,このまま掲載することとした.(3月23日)


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