最近読んだ本の話(2011年8月)
今年(2011年)3月11日の巨大地震のあと,しばらく本を手に取ることをしなかった.大学の後始末のことで精一杯で,手にとる暇も,読む気力もなかったのである.また,新幹線の不通が続き,地震後しばらくほとんど出張をしなかったことも理由の一つである.新幹線の中は私の読書の稼ぎ時.もっとも,最近は自然と眠ってしまうことも多く,これは困ったものだが.さて,地震後ようやく本を手にしたのが5月中旬であった.今回は,このような状況の中で,昨年あたりから読んだ本にまつわる話を三つばかり.

1.木田元「木田元の最終講義 反哲学としての哲学」

日本経済新聞の最後のページに連載される「私の履歴書」に,昨年(2010年)8月から9月にかけて,哲学者木田元先生が書いた記事を読んで以来,先生の著作に興味をもったので,気にかけていた.

そして目にしたのが「哲学の横町」(晶文社,2004年7月,321ページ)である.木田先生が書かれた本の批評などをはじめ,多くのエッセイがおさめられている.木田先生と言えばハイデガー(Martin Heidegger,1889-1976)なのだが,ハイデガーに関係するエッセイも集められていた.

そんなことで,実は15年前に購入したのだが読みきれずに本棚に飾っておいた本,「アーレントとハイデガー」(E. エティンガー著,大島かおり訳,みすず書房,1996年5月,181ページ)も,今年に入り読み終えることができた.ハイデガーと彼の学生であったハンナ・アーレント(Hannah Arendt,1906-1975)は恋に陥るも,アーレントはユダヤ人であることもあり,その後二人の間では深い葛藤が,ハイデガーが亡くなるまで続く.その複雑な関係を,二人の間の書簡を使って綴ったのがこの本である.

さて,木田先生の本でもっとも最近読んだのは,「木田元の最終講義 反哲学としての哲学」(角川文庫,2008年5月25日,173pp)である.木田先生は1999年に長年勤められた中央大学を退職された.そのときの最終講義メモを中心に,3編の論文が掲載されている.

繰り返しだが,木田先生と言えばハイデガーである.「存在と時間」を山形農林専門高等学校(現山形大学農学部)時代に読み,何が書いてあるかさっぱり分からず,それを理解するために東北大学文学部に入学したという.そして,職を得て,退職するまで,そしてそれ以降も,ハイデガー一筋の筋金入りの研究者である.それにしても,このような大学入学の動機も,あるものですね.

さて,副題の「反哲学としての哲学」であるが,木田先生によると,ハイデガーの仕事は,結局ギリシア時代より続いてきた哲学批判であった,として付けられた.すなわち,「(注:哲学は)あくまで<西洋>という文化圏にしか生まれてこなかった特異なものの考え方,西洋文化形成の設計図となったある不自然なものの考え方が意味されています.そうした『哲学』を批判すること,つまり『反哲学』とでもいったことが彼ら(注:ハイデガーとニーチェの二人)の狙いだったのです」(60ページ)と.

そして,西洋で連綿と続いてきた哲学を根本的見直す作業,すなわち近代主義批判を行うことが,ハイデガーに「時間と存在」を書かせたこと,しかし,それを同じ土台である近代主義でしようとしたので,ハイデガーは自己撞着に陥り,そしてそれに気づいたがゆえに,壮大な構想のもとに書き始めた「存在と時間」は,ついに完成しなかった,と木田先生は結論する.

この「反哲学としての哲学」が大変面白いので,現在「反哲学入門」(新潮文庫,20010年6月,302ページ)を読んでいるところである.ともあれ,哲学の本,字面は追えるが,なかなか解釈が難しい.ハイデガーの著作を読んでいないので,これは当然か.そのうち,私自身がハイデガーの「時間と存在」を読んでから,再び木田先生の本を読むことにしよう.もっとも,いつ読む気になるのか,それが問題であるのだが.

ところで,「木田元の最終講義 反哲学としての哲学」の本の最後に,木田先生の業績目録がついていた.それを眺めていたら,森詠さんの小説,「警官嫌い」(光文社文庫,2004年6月)に解説を書いていることが分かった.森詠さんは私の大好きな作家である.しかし,この本は全く知らなかった.そこで,この本を探しているところである.木田先生の解説,一体どんなものなのだろうか.

2.森詠「赤い風花 剣客相談人3」

森詠さんと言えば,前にこの欄で取り上げたことがあった(「不思議な作家森詠さん」,No. 18 ,2006年12月15日).実は,今でも森さんの小説の「追っかけ」をしている.最近の森さんは時代小説に集中しているようだ.相次いで二つのシリーズを二見時代小説文庫に書き下ろしで出している.

まず,「忘れ草秘剣帖」シリーズ.「進之介密命剣 忘れ草秘剣帖@」(2009年7月,274ページ),「流れ星 忘れ草秘剣帖A」(2009年11月,286ページ),「狐剣,舞う 忘れ草秘剣帖B」(2010年3月,294ページ),「影狩り 忘れ草秘剣帖C」(2010年7月,298ページ).

時代は幕末,諸外国が日本へ開港を迫ってる喧騒とした時代.小舟の中に刀で切られた若者が横たわっていた.見つけた長屋の人たちの介抱により,一命は取りとめるも,若者の記憶は喪失したまま.この若者,自分が誰だかわからないまま,開港に向けた時代の大きなうねりの中で,次々と刺客に狙われていく.このシリーズは上記の4巻で完結.

次は,「長屋の殿様 剣客相談人」シリーズ.「剣客相談人 長屋の殿様 文史郎」(2010年11月,280ページ),「狐憑きの女 長屋の殿様 剣客相談人A」(2011年3月,343ページ),「赤い風花 剣客相談人B」(2011年7月,369ページ).

下野(しもつけ)の国の小藩である那須川藩の元16代藩主,若月丹波守清胤(わかつきたんばのかみきよつぐ)は,32歳の若さで隠居させられてしまう.若月家に婿となった清胤であるが,跡目騒動のあおりを受けたのであった.ついには脱藩して,傳役(もりやく)の篠塚左衛門とともに長屋住まいをし,名前も大館文史郎と変える.同じく長屋住まいの浪人,大門甚兵衛と3人でよろず相談人をすることとなる.口入屋(くちいれや)から来る相談事は,いつも事件を呼んでしまうが,剣客である文史郎たちの働きにより,事件は無事解決となる.このシリーズ,まだまだ続きそうである.

二つのシリーズとも,状況設定がいいですね.いくらでも話が広がる,いや,広げられる設定ですから.長屋を生活の舞台にしているのもいいですね.長屋住まいの人たちの活き活きとした生活ぶりが,話に潤いとアクセントを与えている.もっとも,テレビの時代劇からもわかるように,この設定,ワンパターンと言えばワンパターンなのだが.

3.植松三十里「おんなの城」

時代小説と言えば,植松三十里さんである.最近,多くの作品が相次いで文庫で出版された.昨年度,新田次郎文学賞を受賞したことが効いているのだろう,本屋さんでもすぐ見つかるような場所に並べられるようになった.私の目にも,今までにも増して,三十里さんの本がすぐ飛び込んでくるようになった.

私が今年(2011年)になって読んだ三十里さんの作品を書いておこう.読んだ順序で書けば,次のようになる.

「お江 流浪の姫」(集英社文庫,2010年12月,279ページ,文庫書き下ろし). 「燃えたぎる石」(角川文庫,2011年4月,297ページ).「命の版木」(中公文庫,2011年3月,276ページ).「群青」(文春文庫,2010年12月,425ページ).「黒船の影」(PHP文庫,2009年5月,205ページ).「半鐘 江戸町奉行所吟味控」(双葉文庫,2011年6月,290ページ,文庫書き下ろし).「おんなの城」(PHP文芸文庫,2011年7月,284ページ).

三十里さんは多様な題材を扱っているが,いずれも主人公に対する書き手の温かい視線が色濃く出ている.何せ読後が清々しく,安心して読める.

この中で,双葉文庫書き下ろしの「江戸町奉行所吟味控」は,シリーズ化できそうである.あるいは,当初よりそのような意図なのかもしれない.今後がとても楽しみである.三十里さんにもこのシリーズ,ご本人が大いに楽しみながら執筆していただけたらと思う.

ところで,前回三十里さんをこの欄で取り上げたとき(「『科学』の巻頭に歴史小説」,No. 64-2 ,2010年10月15日),追伸として旦那さんからメールをもらったこと,そしてそれをそのうち紹介しようと書いた.今回,約束通り,そのメールを紹介する.昨年,10月11日のメールである.もちろん,旦那さんと三十里さんの了解は取っておりますよ.

「結婚30周年の記念ということで,家族と娘夫婦,5人でサンフランシスコで大型キャンピングカーをレンタし,自給できるはずの水がポンプの故障で出なかったり,昇降用のステップが格納されなかったりで,大混乱でしたが,ヨセミテ公園など4泊して無事,素晴らしい想い出深い旅を終え,帰国の途につき,機内でメールを書いています.

我家のボスと私の話題,ありがとうございます.ちょっと恥ずかしい気もしますが,ボスはそのままで良いのではというコメントでした.念のため,血まみれで帰宅した訳ではなく,井の頭線の永福町駅の階段で鼻血が出てしゃがんでいると,若い女性が,公衆便所からトイレットペーパーを一巻き持って来てくれて,ちぎっては次々渡し続けてくれ,すっきりした顔になり,救急車が呼ばれる直前,終電一本前の電車で帰宅しました.

後日談として,新田次郎賞の受賞式では,我家のご近所に住む藤原正彦ご夫婦と歓談.ボスは,編集者の連中と二次会.私は,一足先に中央線で自宅のある吉祥寺駅に.寝過ごしそうになって慌てて下車.副賞の「温度・湿度・気圧計」と花束の山は,持って降りたのですが,賞状の入った筒が,ころんと転がり落ち,電車はそのままドアを閉めて発車.これは一大事と次の終電で追いかけ,駅の落とし物係でゲット.もちろん,戻る終電車は出た後で,タクシーで帰宅.翌日は何事もなかったように.ヤレヤレでした.

亭主,釣った魚に餌をやり続け,ひとり,我慢すれば,すべてうまくいくという話です.

植松
from 多分,成田空港から
p.s. 9月下旬に,静岡新聞の連載小説『美貌の功罪』が文芸春秋社から『辛夷開花』という単行本で出ました.これもどうかよろしく.」

そう,「辛夷開花」(こぶしかいか)も文庫になったら,読みましょう.こんなことを書くと,旦那さんから,単行本を買いなさい,と怒られそうだ.でも,今年に入ってから7冊も読んでいる.旦那さん,売り上げにそこそこ貢献してますので,ヒラに,ヒラにお許しを.

2011年8月15日記


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