徒然なるままに(2012年1月) |
1.板東玉三郎丈 毎年11月10日に開催される京都賞の授賞式に,2010年に続き2011年も出席した.基礎科学部門(2011年度は地球科学・宇宙科学分野)の選考委員を務めた関係で,受賞式や晩餐会など,一連の行事に稲盛財団から招待されたのである. 今年の京都賞の思想・芸術部門(2011年度は映画・演劇分野)の受賞者は,5代目板東玉三郎丈であった(丈は歌舞伎役者などに付ける敬称).贈賞理由は,「歌舞伎の女形としてそれまでにない独特な世界を展開し,梨園の生まれではないにもかかわらず,立女形(たておやま)の地位を確立すると同時に,演劇・舞踊の分野の枠を越えた多彩な活動を国内外で繰り広げ,高い芸術的水準で多くの観客を魅了し続けている」とのことである(稲盛財団ウェッブサイトより). 玉三郎さんは14代守田勘弥氏の養子となって歌舞伎界に入り,7歳で初舞台を踏み,14歳のときに5代目玉三郎を襲名した.玉三郎さんの受賞式での挨拶は短いものであったが,玉三郎を襲名したときに養父から言われた言葉を紹介していた.「今日から専門家になるのだから,これからは厳しいよ」,「これでいいと思ったらおしまいだ」,「器用貧乏になったらいけないよ」などと教えられたそうである.そして,これらの言葉を胸に,今日まで精進し続けてきたのだいう.常にアグレッシブな玉三郎さんの演劇活動は,養父からの教えを常にかみしめていた賜物なのであろう. 授賞式では観客席から壇上の玉三郎さんを見ていたのだが,背筋をぴんと伸ばして椅子に座った玉三郎さんのその姿,それはそれはいいものであった.こういう姿こそ,絵になっていたと,表現するのであろう.材料部門で受賞された方が,この方はだいぶお歳を召した方なのだが,同時通訳を聞くためのヘッドフォンを床に落としたとき,玉三郎さんは自ら立ち上がって拾おうとするなど,大変な気配りの人であることもわかった. 晩餐会の最後には,玉三郎さんは私たちのすぐ目の前を通って退席したのだが,見た目の若いこと若いこと.私より年上(1950年生まれ)とはとても思えない若さである.益々の活躍を期待したい. 2.感想ではなく意見を 大きい組織になると,何かを決めなければならないときには,ワーキング・グループ(以下,WG)を設置し,そこで予め案を練って提案することが多い.最近,学内・学外組織を問わず,このようなWGの取りまとめ役を依頼されることが多くなった.これこれこういう理由で絶対に嫌です,あるいは無理ですからお引き受けできません,と依頼側を説得することも面倒なので,大抵は引き受けることになる.そしていつも後悔することになる. さて,WGでの活動の話である.ある程度議論が進んで取りまとめに入るようなとき,原案を作りメンバーに諮るようなときがある.最近はみんな忙しく,顔を突き合わせての議論はとても期待できないので,必然的に電子メールでの議論となることが多い.問題は,このやり取りでのことである.提案する側は,原案に対して,賛成か反対かを明確にし,賛成であればその理由を,反対であればその理由と対案を書いてくれることを期待している.もちろん,そのようにきちんと対応してくれる人が多いのであるが,ときには情緒的に「感想」を返してくる人がいる.これには困ってしまうのである. 案に対して,「何々はこれで十分でしょうか」,「何々はこの取り扱いで大丈夫でしょうか」などという表現で済ます回答である.もちろん,そのような印象を持ったということは重要な情報である.しかし,案をどう修正すればその印象が無くなるのか,その提案があって議論は初めて前進する.顔を合わせての議論では,情緒的な発言に対してはすぐに,その懸念を払拭するための方策はなどと質問できる.一方,電子メールでの議論では,想像できるようにこれがなかなか厄介なのである. 言うまでもなく「意見」と「感想」はまったく異なるもの.感想をお聞かせくださいという依頼ももちろんあると思うが,WGの議論などでは大抵は意見を求めている.この意見には,当然修正の提案も含まれる.むしろそのような新たな提案を求めているのである.前進するためには意見を戦わせることが肝要.そのような中で問題はアウフヘーベンされるのである. 2012年1月15日記 website top page |