獺祭
この(2012年)6月の最初の日曜日の3日,山形のK書店で面白い本はないかと書店内を歩き回っていたところ,文庫本のコーナーで,突然「獺祭」なる字が目に飛び込んできた.手に取ってみると,書き下ろし時代小説で,著者は野口卓さんとある.私はこの著者を全く知らなかった.この本が2冊目という新人らしい.ともあれ,すぐさまこの本を購入することを決めた(「獺祭−軍鶏侍A−」,祥伝社文庫,2012年4月30日,320ページ).

さて,この文庫本は軍鶏侍(しゃもさむらい)シリーズ2巻目である.多少通じない部分もあるのだが,短い話の寄せ集めであり,この巻から読んでもそんなには困らなかった.(おそらく四国の)小さな藩である「園瀬藩」の城下町にある剣術の道場主,岩倉源太夫(げんたゆう)が主人公.岩倉は,訳あって40歳で隠居.剣の達人で,これまで3人を殺めた.岩倉の楽しみは闘鶏で,闘鶏用の軍鶏を飼っており,そのため,岩倉は軍鶏侍と呼ばれている.この闘鶏時の軍鶏の動きを参考に,彼は必殺剣,「蹴殺し(けころし)」を編みだした.

この巻の最初の話が「獺祭」である.「獺祭」は「だっさい」と読む.そう,「獺」は動物の「かわうそ」ですね.では,獺祭,「獺の祭り」とは何だろうか.この話の中でその意味が説明されていた.獺は川魚を取って食べているのだが,時折,すぐには食べないで,岸辺の岩の上に取った魚を並べることがあるという.そしてある程度溜まったところで,それらを一気に食べるのだそうだ.獺が取った魚を「祭る」ことから,このようなことを獺祭と呼ぶ.

翻って,文章を書くとき,古い書物などから多くの箇所を引用することも,獺祭と呼ぶのだという.また,書物を散らかしていることも獺祭と表現するらしい.このような表現,全く知らなかった.

さてさて,私がなぜこんなにも獺祭にこだわっているかといえば,現在,「獺祭」が一番お気に入りの日本酒の銘柄だからなのである.

かれこれ5〜6年前だろうか,しかとは覚えていないのだが,友人とたまたま訪れた国分町の飲み屋さんで出会った酒が,この獺祭であった.その飲み屋さんのお品書には日本酒の銘柄が5〜6種類しか書いていないのだが,その中にこの獺祭があった.このお品書から山口県の酒であることも知った.

日本酒は東北日本の方が本場と思って,実はたいして期待もせずに頼んだのだが,その美味しいこと,美味しいこと,絶品である.辛くもなく,甘くもなく,それでいて,さらさらしすぎることもなく,香りと味をでしゃばらずに,でもしっかりと主張しているお酒であった.一回飲んだだけでお気に入りとなり,以後,この店を訪れるたびに頼んでいる.なお,仙台で獺祭をだしている私の知っている飲み屋さんは,ここだけである.

実は昨年来,私は獺祭づいている.まず,昨年9月の福岡の学会のときのことである.研究発表初日に評議員会が開催された.評議員会は予定通り,夕方6時から2時間程度で終えた.その後,幹事仲間6人でJR博多駅近くの飲み屋さんに入った.その店の日本酒メニューに,獺祭を見つけた.早速,この酒はとても美味しく私のお気に入りなのです,と紹介したところ,全員で味わうことになった.期待に違わず,皆さんが美味しいとのことであった.

このグループに加わっていたのが,研究室の後輩で,現在はT大学の教授で幹事を務めているIさんである.Iさんは決してお酒に強い方ではない,むしろとても弱いのだが,これは美味しいですねと,獺祭の名前をメモし始めた.よほど,気にいったに違いない.

次の話.私や連れ合いの大学の同級生に,NHKからの依頼で動物や魚,広く自然環境に関するテレビ番組を制作しているSさんがいる.Sさんからは,これまで何度も番組制作時に相談を受けたことがあった.相談を受けていろいろと意見のやり取りやアドバイスをした結果,彼女が関わった番組に,私たちの研究室のクレジットが入ったこともある.

そのSさんから,昨年11月の上旬,突然電話がはいった.放送したテレビ番組の内容に,視聴者から質問が来たらしい.ノルウェーのフィヨルドは,事実として非常に生産性が高い(プランクトンが沢山いる状態)のだが,なぜそうなのか番組の説明に納得できないのだという.NHKもSさんも困ってしまい,私に電話をかけてきたのだった.

その後,東京出張の折にSさんと会い,この件の詳しい事情を聞いた.確かに,放送で行った説明は,私にとっても納得しにくいものであった.もちろん,そのように説明した根拠が全くないわけではなく,ノルウェーの生物研究者の書籍にそのような趣旨で書いてあることもわかった.その後,あれやこれやと考え,もっともらしい理屈を作って,Sさんに提案した.NHK側も私の提案に納得して,再放送の時はその説明に入れ替えることになった.

この相談からしばらく後,山形の家の方に,Sさんから日本酒の4合瓶が2本入った宅急便が届いた.相談のお礼とのことだった.その1本が,木箱に入った獺祭であった.説明書きには,「磨き(精米率)2割3分(23%),遠心分離機で絞った純米大吟醸酒」とあった.その後,毎週末に帰る山形の家では,1日コップ半分までと決めて,このお酒を楽しんだことはいうまでもありません.お酒はからっきしダメな我が連れ合いも,この酒を嗜んでいました.

さて,次の獺祭との出会いは,この正月元旦,天童の私の実家でのことである.私の甥,兄の息子が,獺祭を準備してくれていたのであった.私は忘れていたのだが,昨年のいつか,獺祭という美味しい酒がある,と彼に話していたらしい.それを覚えていて,正月用にとインターネット通信販売を利用して用意したとのことであった.毎年正月元旦は,私の実家で皆とのおしゃべりを肴に,お酒を楽しむことになっている.今年は,タイに住んでいる弟が帰国しなかったので,私と甥とが,一升瓶に入った獺祭を十分に楽しんだ.

獺祭との出会いは,まだ続く.2月27日(月)に,私は広島の第6管区海上保安本部で,海上防災講演会「東日本大震災と日本海洋学会の活動」と題する講演を行った.海上保安本部長のMさんに頼まれたのである.Mさんは,広島に行く前は塩釜の第2管区海上保安本部長であった.私はその時も海上防災講演会で講演を行っている.

この講演会終了後,会場となったホテルの別室で懇親会が開催された.そこで用意されていたお酒が,獺祭であった.Mさんいわく,広島にもいいお酒があるのだが,山口にもいいお酒があるので,ホテル側にそれを準備してもらいました,とのこと.私は,獺祭,もちろん知っていますよ,いいお酒ですね,などと知ったかぶりをしたのは,いうまでもありません.この獺祭,他の人にも大人気で,あっというまになくなりました.

さて,そんなこんなで,この1年だけでも獺祭との出会いが数多くあった.いつもこちらの期待に応えてくれた銘酒である.この6月末には,正月に会えなかった弟が日本に帰ってくる.これに合わせ,甥が再び獺祭を準備するので,天童の実家で会おう,ということになっている.弟の話も獺祭も,どちらも楽しみですね.

と,ここまで書いてきて,獺祭が今以上の人気となり,製造元の力以上にお酒の需要が出たらどうなるのだろう,などと心配になった.なんでもそうなのだが,人気が出ると,慢心してしまうのか,味が落ちるなどという.くれぐれもそうはならないように願いたいものである.

ところで,そもそも蔵元である旭酒造(株)は,どうして「獺祭」と名付けたのだろう.このエッセイを書く機会にインターネットで調べてみたら,次のようなことが書かれていた.以下,ウェッブサイトから原文のままの引用である.

「弊社の所在地(注:山口県岩国市周東町獺越)である獺越の地名の由来は『川上村に古い獺がいて,子供を化かして当村まで追越してきた』ので獺越と称するようになったといわれておりますが(出典;地下上申),この地名から一字をとって銘柄を『獺祭』と命名しております.獺祭の言葉の意味は,獺が捕らえた魚を岸に並べてまるで祭りをするようにみえるところから,詩や文をつくる時多くの参考資料等を広げちらす事をさします.」

「獺祭から思い起こされるのは,明治の日本文学に革命を起こしたといわれる正岡子規が自らを獺祭書屋主人(注:だっさいしょおくしゅじん)と号した事です.『酒造りは夢創り,拓こう日本酒新時代』をキャッチフレーズに伝統とか手造りという言葉に安住することなく,変革と革新の中からより優れた酒を創り出そうとする弊社の酒名に『獺祭』と命名した由来はこんな思いからです.」

こんな気概を持った人たちが造る酒が「獺祭」なのである.美味しいのも,むべなるかな.今後のこと,心配する必要もないようですな.


2012年6月15日記


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