年報などの巻頭言
年明けから年度末にかけて,学内のいろいろな組織から年報などの「巻頭言」や「挨拶」の執筆を依頼された.たとえば,「保健管理センター年報」や「教養教育院特別セミナー・合同講義報告書」の「巻頭言」,「国際交流センター年報『北斗七星』」や「教養教育院年報」の「挨拶」などである.

この中で,保健管理センター年報の巻頭言であるが,既刊の年報を調べてみると,必ずしも毎年巻頭言があるわけでないこと,巻頭言の執筆者は理事や副学長クラスで,書いたのは1回だけであることがわかった.どうやら,保健管理センターは,教育担当の理事などセンターに関係する役職に新たに就いた方に頼んでいるらしい.

さて,この保健管理センターの巻頭言として,いったい何を書けばいいのだろう.私の前任者の巻頭言などを読むと,必ずしも「保険管理」に直接関係することを書いているわけではなかった.そこで私もこれにならい,「24冊目の血圧手帳」と題して,毎朝測っている血圧などに関することを題材に書くことにした.

一方,北斗七星の巻頭言は,3月も押し迫った時期に頼まれた.担当の国際交流センターの先生が頼むのを忘れていたのだという.分量は1500字程度ということである.あれこれ考えた挙句,ありきたりなのだが,「東北大学の国際化と国際交流センターの取り組み」と題し,昨年度本学が採択された事業や,国際交流センターが行ってきた学生によるサポート制度について書くことにした.

ところで,年報などの巻頭言や挨拶は,どの程度重要なのだろうか,どのくらいの人に読まれるのだろうか,などとも考えてしまう.実際に記録として残したいという本質的な部分で無いことは確かである.それでは無くともよいのか,というとそうでもないのだろう.刺身のツマのように,それがなければ(年報などが)成り立たないという訳ではないが,あれば彩を添えるようなものであろう.

以下,上記の二つの巻頭言をここに示す.先の例にならい,保健管理センター年報では「である」調で,北斗七星では「ですます」調で書いている.なお,北斗七星の巻頭言では何名かの先生方のお名前が出てくるが,ここに再録するに当たっては頭文字のみで記した.

再録したこれら二つの巻頭言が,刺身のツマのように年報に彩を添える働きをしているのかは,皆さんの判断にお任せしましょう.誰ですか,刺身のツマだから,「ツマらない」に決まっている,などという人は.

<24冊目の血圧手帳>

仙台にいるときは毎日,血圧と体温を朝と夜に,そして体重を朝に測っている.測り始めたのはちょうど10年前の2003年の年明けであった.家電量販店で二の腕に腕帯を巻くタイプの家庭用上腕式血圧計を購入し,無料の「血圧手帳」を薬屋さんで調達した.手帳に書かれた最初の日付は,2003年1月9日である.以来継続して測り続け,現在使っている手帳は,24冊目となった.また,血圧計も何回か代替わりし,現在は手首式血圧計を使っている.

なぜ血圧を測ろうとしたかである.当時仕事が立て込んでいたのだろう,疲れがなかなか取れないと日頃感じていた.そして時々,目を覚ましたときに頭がすっきりしないということで,「血圧が低すぎるせいではないか」と疑ったのである.医学的な知識がないまま,勝手に「頭に血が十分いっていない」と考えたのである.日頃血圧を測定する機会もなく,また,親や兄弟が低血圧だからという理由で,自分も低血圧だと思っていたことも根底にある.ところが実際測ってみると,低血圧ではなかった.なかったどころか,むしろ高血圧気味であった.

話は4年前の2009年2月に飛ぶ.毎年1〜2 回は風邪をひくのだが,この年の風邪はとてもひどいものであった.そこで,土曜日も診療をしている街中の病院へといった.診察後,医師から,風邪はそのうち治るでしょうから心配ないのだが,脈の乱れがとてもひどい,早く専門医に診てもらいなさい,と忠告された.そこですぐ人間ドッグを毎年行っている病院で検査をしてもらった.やはり,不整脈だという.このとき以来,不整脈の治療を行っているのだが,不整脈は脳梗塞を起こす確率が高くなるので,予防のためには血圧をもっと下げる必要があるという.そこで不整脈防止の薬とともに降圧のための薬も服用している.

不整脈の治療のために二か月に一度,定期検診を行っているのだが,毎回,この血圧手帳を持参し,担当医師に見せている.担当医師も,問診だけではなく,この手帳で2か月間の血圧の動向を知ることができるので,大変重宝しているようである.実際,いつも次回も持参してください,と言われている.

さて,本学の学生に対する定期健康診断であるが,初年次学生が99%ともっとも受診率が高く,4年次がそれに続き75%,もっとも受診率が低いのは2,3年次学生でそれぞれ71%,72%である(平成23年度実績).4年次に受診率が高くなるのは,受診していないと健康診断書を作成してもらえないからだという.若い時は自分の健康に注意を払うこともなく,また,体調の管理などにも気を使わないので,外的な要因がないと健康診断を受けるモチベーションが上がらないのかもしれない.学生諸君には,健康であることの大切さ,そして定期健康診断の重要性をもっと訴える必要があるのだろう.(了)

<東北大学の国際化と国際交流センターの取り組み>

2012年4月,私はNY先生の後任として,国際交流センター長に就任いたしました.本学の教育の国際化に向けて,微力ながら邁進したいと考えておりますので,ご理解とご支援,そしてご指導とご鞭撻,どうかよろしくお願いいたします.

さて,2011年3月11日に発生したマグニチュード9.0の「東北地方太平洋沖地震」,それによって引き起こされた巨大津波,そして東京電力福島第一原子力発電所の事故により,東北地方太平洋岸を中心として大きな人的そして物的被害が出ました.「東日本大震災」と名付けられたこの大惨事ですが,早いものですでに2年を経過いたしました.本学にも甚大な被害が出ましたが,日本中はもとより世界中から多大なご支援を得て復旧,復興が進みつつあります.ご支援くださった方々や組織,団体に,この場をお借りし,厚く御礼申し上げます.

大震災直後,本学に学んでいた留学生のほとんどの皆さんが母国へと一時帰りましたが,状況が明らかになるにつれて復帰し,1年も経たないうちにほぼ全員が戻られています.ただ,新たに本学に留学する学生は,人数的にはやや足踏み状態のようです.この背景の一つには,放射能汚染の問題がありそうです.事故を起こした原子力発電所付近は高放射能レベルであるものの,本学のある仙台地区は汚染をまったく気にする必要はない地区であるとのメッセージを,不断に発信続ける必要があるものと考えております.

さて,2012年度は,本学の教育の国際化にとって,とても重要な年度になりました.それは本学が文部科学省の事業「グローバル人材育成推進事業(全学推進型)」に採択されたことです.全国で11の大学(国立4校,公立1校,私立6校)が採択されましたが,4年前の2009年度から始まった「大学の国際化のためのネットワーク形成推進事業(いわゆるG-30事業)」とこの事業,双方に採択された国立大学は本学のみです.G-30事業では,学部も含めて多くの留学生を受け入れることが主眼でしたが,この事業は逆に,多くの本学学生を海外の教育機関へと留学させることに力点が置かれます.国際交流センターは,この二つの事業推進において,まさに中核的な役割を担っております.

グローバル人材育成推進事業では,大学入学時から2年次までの学生の皆さんを中心に海外留学を経験させる「スタディ・アブロード・プログラム(SAP)」を開発することとしています.その中心となる派遣先大学が,米国カリフォルニア大学リバーサイド校(UCR)です.UCRは,このようなSAPの開発に定評ある大学で,SAPのみならず,留学前研修や留学後研修にも豊かな経験を持っている大学です.この2月11日には,UCRエクステンションセンターの中に,本学のリエゾンオフィスとなる「東北大学センター」を開所いたしました.ところで,リバーサイド市と仙台市は,1957年に姉妹都市協定を結び,交流を深めてきました.将来,本学学生がリバーサイド市の様々な部署でインターンシップ研修を行うようなプログラムの開発も予定されております.

また,このような学生の留学を推進するための一つの方策として,「グローバル・キャンパス・サポーター(GCS)」制度をこの4月から導入しました.国際交流センターが世話してきた交換留学生同窓会(ESA-net)のこれまでの活動を発展させたこのGCS制度は,すでに半年から1年の交換留学を経ている本学学生を雇用し,留学を考えている学生に対し,その体験を生かして様々な情報を伝え,海外という障壁を取り払って留学の動機づけをすることを狙ったものです.この制度は,学生による学生に対する支援制度の一つと位置づけられます.

国際交流センターの陣容もこの1年で大きく変わりましたので,ここにご報告いたします.長年副センター長として本センターの活動を支えて下さったSS教授が,一身上のご都合で昨年9月末に退職されました(現在東北大学名誉教授).後任として本年2月よりSK教授が本学経済学研究科より着任されました.また,4月には,学外からMM准教授をお迎えいたしました.2013年度は,副センター長のKY教授,SY教授とともに,専任教員4名の体制で活動を行うこととなります.今後とも,国際交流センターの活動に,ご理解とご協力を賜りますれば幸甚に存じます.(了)


2013年4月10日記


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