再び故青田昌秋先生のこと |
昨年(2012年)10月27日に亡くなられた北海道大学名誉教授,青田昌秋先生(1938-2012)のことについてもう一度書きたい.つい最近知ったことだが,東京海洋大学・前学長の松山優治さんら,生前の青田さんを知る友人たちが本を出版するのだという.私にも,次に述べるような事情で原稿の依頼が来た.最初に,この本のために書いた原稿を紹介したい.なお,ごく一部であるが,表現を変えたところがある. ***** <はじめに:この原稿を執筆するきっかけ> この(2013年)10月31日(木)の朝,一コマ目の海洋物理学の講義をするため,青葉山キャンパスにある研究室に行ったところ,紋別のUEさん差し出しの30日付のFAXが机の上に置かれていた.用件はメールを送ったので見て欲しいとのことである.しかし,メールは届いていなかった.そこで,現在使っているメール・アドレスを書いてFAXを送り返した.翌11月1日になり,本の原稿を執筆してほしいとのメールが届いた.メールには次のように書かれていた. 「青田先生のことで,ネットをいろいろ検索していたら,先生の『お二人の訃報に接して』を見つけました.青田先生が『花輪君』とお呼びしていた記憶があり,親交が深かったと察しました」.そこで,原稿の執筆を依頼したとのことだった. 青田さんの大声の豪快な笑いとその素敵な笑顔,今でも鮮明に思い出す.そのようなことで,Uさんの依頼に,二つ返事でお引き受けすることにした. <ちょうど1週間前:青田さんの名エッセイとの出会い> この執筆依頼のあった週の10月27日(日)のことである.毎日曜日は本屋さんに行くことが習慣となっているのだが,日本エッセイスト・クラブ編「散歩とカツ丼 ‘10年版ベスト・エッセイ集」(文春文庫)を見つけた.2010年に発表されたエッセイの中で,優れたものを集めたものである.単行本は2011年に出版されている.私はこのエッセイ集を読むのが毎年の楽しみであり,すぐさま手に取ったことはいうまでもない. 文庫を紐解いてびっくりした.青田さんのエッセイ「オホーツク流氷祈願祭」があるではないか.日本雪氷学会北海道支部の50周年機関誌に掲載された作品である.青田さんは名エッセイストであり,これでベスト・エッセイ集に3回選考されたことになる.このエッセイ,要約すれば次のようなものである. 青田さんが流氷研究を紋別で始めた当時,流氷は漁にとって邪魔な存在で,流氷早期退散祈願祭が行われていた.ところが,青田さんらの研究が理解されてきたこともあり,流氷は恵みをもたらす存在と認識され,今では,祭りは,流氷早期到来祈願祭に変わった. この青田さんのエッセイとの出会いから,1週間もたたないうちに植松さんから原稿執筆の依頼を受けるとは,偶然なのだろうが,何かの力が働いているとしか思えない. <「流氷倶楽部通信」へのエッセイ掲載と青田さん> 青田さんの足元にも及ばない筆力なのだが,私も文章を書くのが好きで,若い学生諸君向けの文章などを書いてきた.そして年に2回,半年分をまとめて先輩の先生方に送付していた.青田さんもその中の一人である.あるとき,青田さんから私のエッセイを「流氷倶楽部通信」に掲載させてほしいとの依頼があった.掲載するエッセイは,青田さんが選んでくれるという.もちろん,すぐさま快諾した.「海洋科学者のつぶやき」と題するコラムに5回,私のエッセイが掲載された.今は,紙面を汚していたのではないかと,心配している. <とても残念なこと:オホーツク海シンポジウムへの不参加> 青田さんは,東京大学の永田豊先生とともに,1986年,北方圏国際シンポジウム,通称「オホーツク海シンポジウム」を開催した.以後,このシンポジウムは現在まで続いている.当初より,青田さんからは毎年のように参加のお誘いを受けていた.しかしながら,これまで一度も参加する機会がなかった.理由は,このシンポジウムは2月上旬に行われるのだが,いつも修士論文や博士論文の審査の時期と重なってしまうからである.とても残念なことであった.一度でも参加し,青田さんから流氷にまつわる様々な蘊蓄をお聞きしたかった. なお,青田さんと二人三脚でこのシンポジウムを牽引してこられた永田豊先生(東京大学名誉教授)も,今年8月28日,突然逝去された.私は永田先生にも大変お世話になってきた.親しくお付き合いして下さった二人の先生を相次いで失い,呆然としている. <青田さんの集中講義:流氷が奏でるシンフォニー> 私たちの研究室では,毎年のように他大学や他機関から講師の先生をお呼びし,集中講義をしてもらっている.青田さんにも,もちろん来て頂いた.集中講義は,オホーツク海や海氷についての研究を中心に,1996年12月3〜4日の2日間にわたって行われた.私自身は,初日は出張と重なり,2日目は地球物理学専攻長を務めていた関係で仕事が立て込み,講義そのものは,残念ながら出席することができなかった. 青田さんからは,この集中講義の目玉は「流氷が奏でるシンフォニー」であるとお聞きした.紋別沖の流氷が,波や流れで動いて擦れて出る音を記録したものだそうだ.この流氷が奏でる音はとても素晴らしく,まるでシンフォニーのようであるという.講義の中で学生に聞かせたという. 後に知ったことだが,この音源,環境省の「日本の音風景百選」に選ばれたのだそうだ.それを青田さんが紹介した北海道新聞の記事「流氷の交響曲」(1997年8月5日)が,1997年版のベスト・エッセイ集に選ばれている.2002年のことであるが,青田さんからこのエッセイが掲載された文庫を,手紙とともに頂いている.その当時,私はこのシンフォニーを聞くことができなかったが,青田さんが所長を務められた北海道立オホーツク流氷科学センターで聞くことができるという.いつか聞けることを楽しみにしている. <おわりに> 私は「折に触れて」と題して毎月拙い文章をウェッブサイトに掲載している.この中でこれまで青田さんのことを2回取り上げた. 最初は2009年5月,「最近読んだ本の話」(No. 47)の中の「1. 渡辺淳一著『流氷への旅』」で,「A先生」として登場してもらった.この小説の主人公「紙谷誠吾」は,青田さんがモデルとの話である.次は昨年11月,「二人の訃報に接して」(No. 89)の中で,「2. 豪快な笑い,青田昌秋さん」として追悼文を書かせて頂いた. これらの文章は次のアドレスのウェッブサイトで読むことができる.興味を持たれた方はご覧になって頂ければ幸いである. http://www.pol.gp.tohoku.ac.jp/~hanawa/index.html ***** さて,この文章を準備しているなかで,文中にも書いた文春文庫の1997年版ベスト・エッセイ集を探した.重なり合った本の後ろに隠れていたので,少し苦労したのだが無事見つけることができた.贈られた文庫(日本エッセイスト・クラブ編「司馬さんの大阪弁 ‘97年版ベスト・エッセイ集」,文春文庫,2000年9月1日発行,318ページ)には,「花輪公雄先生 乞う ご笑読 青田昌秋」との署名があった. この文庫とともに,青田さんからの便せん4枚にわたる手紙が送られていた.次にこの手紙を紹介したい.なお,以下,原文のまま再録するが,一部句読点を補ったところがある. ***** 残暑お見舞い申し上げます.お察しのように当地,すでに秋,先ほど外に出たら肌寒い風が吹いていました.超ご多忙の花輪さんからの心豊かなお手紙,ありがたく拝受.ありがとうございました.「折に触れて」,その他に書かれた1頁ジャストで決められたエッセイ風の文章,楽しみながらも,本質をつかれた内容に感じ入りました. 流氷遊び人の小生の雑文が載った「象が歩いた」,お買い上げいただき文藝春秋社に成り代わり,お礼申し上げます.A先生とは,もと気象庁(函館海洋気象台,本庁)のAMさん(原文は実名)です.新聞に出た翌朝,早速電話あり.青田さん「書いたなー!」と.大笑いでした. 私,三月一杯でついに退職,六月から当地にある道立オホーツク流氷科学センター(流氷の博物館みたいなもの)の非常勤の雇われマダム(?)的所長という名前をいただいています.何かのイベントの時など,月に一度程出勤すればノルマは果たしたことになるのですが,毎日出勤して職員にあきれられています. 官舎も八月まで借りましたが,ついに引っ越しました.海はすぐ近くです.雑魚寝なら十人以上大丈夫です.我が和室には,雪見障子ならぬ流氷見障子もあります.教室の学生さんたちの冬の学校,流氷見物旅行の宿舎にしていただければ幸いです.海洋科学技術センターのTT君(原文は実名)の言,民宿でもやったらどう…….紋別シンポジウム続行,今後小生が事務局となるとのこと,是非遊びがてらに,学生さんの添乗員先生としておいで下さい! 先生のご配慮で数年前,貴大学で「集中おしゃべり」をさせていただいた時,学生さん達に「コンピュータにしがみついて,勉強ばかりしていると変になる! そんなときに流氷の音でも聞いてください」と,テープで流しました.そのときの音の話を北海道新聞に書いたら「象…」と同じシリーズに載りました.文庫本になったもの,一冊同封します.ご笑納ください.これでまた流氷遊び人の度合いの深さがバレますが. 大学法人化…で大変ですね.大きな河の流れ,よゆうある心で対処しなければ,お身体によくありません.くれぐれもご自愛の上で. 草々 平成十四年九月十五日 青田 昌秋 花輪 公雄 先生 ***** 「流氷遊び人」である青田先生の人生,とても豊かで充実していたように思える.あらためて合掌. 2013年11月10日記 website top page |