徒然なるままに(2014年5月)
1.サウジアラビア訪問

この(2014年)4月14日(月)から18日(金)まで,サウジアラビアの首都リヤドを訪問した.同国の高等教育省が主催する第5回高等教育コンファレンスに本学が招待されたからである.本学の参加は第2回からで,今回で4回目となる.今回本学からは,第2回から連続して参加している留学生課のK係長と,私と同じく初めて参加する歯学研究科のT先生の3人で参加した.

コンファレンスはリヤド郊外の国際展示場で開催された.コンファレンスは,「イノベーション」がテーマのシンポジウム,約350の大学が設けたブースでの大学紹介,そしてワークショップの3つの行事からなる.ワークショップは3つの小さな会議室で並行して行われたが,その中身は大学紹介である.プログラムによると,一つの時間枠は45分間で,75の大学がワークショップを開催することになっていた.

私自身は,ワークショップには参加しなかったが,シンポジウムには2セッションに出て,残りの時間はブースで主に学生相手に本学の紹介を行った.どちらも大変楽しむことができた.このコンファレンス全体を通じて,サウジアラビアの高等教育にかける熱意のようなものを感じることができた.

さて,サウジアラビアへは今回が初めてである14日の夕方に仙台を離れ,18日の夜に仙台に戻る日程で,リヤドのホテルには2泊したので,2泊5日の出張ということになる.強行軍と言えば強行軍であったが,それでもこの出張,大いに楽しむことができた.

以下,この出張で見聞した中で,3つのことについて書いてみたい.

<茶灰色の街と空>

サウジアラビアは人口約3000万人で,首都のリヤドには500万人が住んでいるという.街の中心街にこそ高層の建物があるが,ほとんどの建物は2階建てであった.そして建物の色は「茶灰色」とでも形容されよう.茶色そのものではなく,灰色そのものでもない.その中間色のような色合いである.もちろん,建物へ掲げられた看板などは鮮やかな色も使っているが,街全体の色調は茶灰色である.

街全体が茶灰色の印象を与える大きな理由は,植物が圧倒的に少ないこと,いやほとんどないことである.街路樹もほとんどなく,芝生もない.そして空地にもどこにも,(雑)草が生えていないのである.そして,リヤドの街の周辺には,山が全くないので,目に飛び込む光景は,2階建ての建物だけなのである.道路と建物以外の地面は,砂で覆われている.

そして,特に初日の15日は,空も茶灰色であった.飛行機でリヤドの空港に近づくあたりから気づいたのだが,細かい砂が舞い上がっているのだろう,地面近くが茶灰色であった.逆に空港に降り立つと,今度は空が茶灰色に見えた.外に出てみると,少し,目がチクチクする.きっと,細かい砂が目に入ってきているに違いない.なお,二日目と三日目は空に青さが出て,透き通ってきたことがわかった.

さて,私たちのホテルは政府が用意したもので,1泊数万円もする高級ホテルとのことである.ホテルの周辺は芝生が整備されていた.朝食の後,周辺を散歩したが,芝生にはスプリンクラーが作動し,水が撒かれていた.芝生の管理も,相当の費用がかかっているに違いない.

<男性は白,女性は黒>

サウジアラビアの男性は白く,女性は黒い.肌の色ではなく,そう,民族衣装のことである.男性の民族衣装は「トーブ」と呼ぶのだそうだが,長袖で足元まで覆う‘ワンピース’は,白い生地で作られている.頭には「クーヒィーヤ」と呼ぶ帽子をつけ,その上に白地に赤の文様が入った「シュマーク」と呼ぶ大きなスカーフをかぶり,その上に「イカール」と呼ぶ黒いバンドを置く.足はサンダル履き.ということで,サウジアラビアの男性は,見事に「白」である.

一方女性は,ガウンのような「アバヤ」と呼ばれる黒い布で全身をしっかりと覆う.そして顔には黒いマスク(きちんとした名前があるかもしれない)をしているので,露出しているのは,手と足と,そして目だけである.すなわち,全身これ黒一色,サウジアラビアの女性は見事に「黒」である.

ところでコンファレンスに参加した外国の女性も,このアバヤを着ることを要請(強制?)されていた.展示場の入口付近に女性専用のコーナーがあり,そこでこのアバヤを貸していたようである.また,日本から参加した女性の方に聞いたところでは,会場以外でも,例えばホテルでも,このアバヤを着ることを要請されたという.

黒いマスクをして顔まで隠した女性はサウジアラビアの女性とすぐわかるのだが,会場には黒いアバヤを着ているのだが,顔にはマスクをしていない女性もたくさんいた.この人たちはサウジアラビア以外の国々のイスラム教徒に違いない.また,会場には少数であるが子供も来ていたが,民族衣装は着ていなかった.何歳と決まっているのかはわからないが,おそらく大人とみなされる年ごろから民族衣装を着るのだろう.

<気温は40℃>

行く前に読んだガイドブックでは,リヤドの4月の気温は25℃から30℃の間だという.そこで,長袖と半袖と両方のワイシャツを持参した.さて,ドバイからの飛行機の中で聞いたリヤドの情報である.15日の気温は37℃という.ガイドブックとは違うではないか,これはたまらんなーと憂鬱になったのだが,リヤドの空港で外気温に接しても,ちっとも暑さを感じないのには驚いた.

ホテルのテレビで見た天気予報によると,翌16日は38℃,17日は39℃との予報であった.実際,ホテルから国際展示場に行く道路の途中に現在の気温を表示しているところがあったが,17日の10時ごろ移動の車から見ると,気温は40℃であった.

毎日短い時間であるが外気温に触れていたのだが,やはり,ちっとも暑さを感じないのである.これは湿度がとても低いからに違いない.日本大使館に雇用されている現地の方によると,あと1か月もすればリヤドの気温は50℃になるという.4月は40℃くらいで,まだ過ごしやすいのだそうだ.日本の夏の高湿度による蒸し暑さは,比較すれば気温は低くとも,中東の人には耐えられない性質の暑さに違いない.

<ノンアルコール・ビール>

サウジアラビアは中東諸国の中で,一番イスラム教の教義を厳守している国であるらしい.他のイスラム教の国々とは違い,国内にはアルコールは一切ないという.入国した外国人も禁酒が強いられる.毎日のようにお酒と楽しく過ごす時間を持っている私であるので,この出張でどうなってしまうのか,実は戦々恐々としていた.

アラブ首長国連邦のドバイ経由でサウジアラビアのリヤドに入ったのだが,ドバイの空港からの飛行機の中でも,すでにアルコールのサービスはなかった.帰国の途について18日未明にドバイの空港に着いたのだが,それまでアルコールをまったく口にしなかったので,私たちは丸3日間,アルコールを抜いたことになる.

リヤドのホテルの冷蔵庫には,ソフトドリンクとともにノンアルコール・ビールがあったので,2泊目の夜に飲んでみた.これは美味しくなかったですねー.どこのメーカーかは見なかったが,日本のメーカーでないことは確かである.

さて,ホテルでの食事もすべて同国政府が出すということだったので,ノンアルコール・ビールも無料だと思ったのだが,チェックアウト時にしっかりと請求された.25リヤルとのことで,日本円では800円程度である.なお,今回の出張中,サウジアラビアでお金を使ったのは,このノンアルコール・ビールの代金を支払うときだけであった.

さて,サウジアラビアから帰国の途中,経由したドバイの空港での待ち時間に空港ラウンジを利用した.そこには,冷えたビールがあったので,T先生,Kさんと3人で,しっかりビールをごちそうになった.イヤー,なんとおいしかったことか.

ということで,恐れていたアルコールの禁断症状はまったく出なかった,これで,私の体はまだアルコール漬けになっていないことが証明されたようだ.もっとも,毎日疲れていたので,お酒の力を借りなくとも,すぐに眠りに落ちたというのが真相だろう.

ところで,主催者からもらった資料の中に,私たちが到着する前の日の14日夕方,宿泊したホテルで「カクテル・パーティを開催するので招待したい」とのカードが入っていた.アルコールが入らないカクテルなどあるのだろうかと思い,Wikipedia で調べてみたら,最近はノンアルコールのカクテルもある,とありました.うーむ,これも別に飲まなくとも良さそうだ.

2.「Falling Walls Lab Sendai」事前説明会

1989年11月9日,ベルリンを二分していた壁が崩壊した.当日のニュースで,多くの市民が壁の上に立ち,ツルハシで足下の壁を壊している場面が流された.それは,とても印象的なシーンであった.

その日から20年後の2009年,ベルリンの壁崩壊を記念して,ドイツにNPO団体「Falling Walls Foundation」が設立された.この財団の目的は,科学(Science)を遂行するにあたり,障害となっている壁(walls)を取り払うことを謳っている.

この財団の事業の一つが,「Falling Walls Lab (FWL)」イベントである.自分の研究を,持ち時間3分間(質疑を除くと2分半)で,3枚のスライドを用いてアピールするとともに,その研究が障害(walls)をどのように取り除くのかを説明する.研究のユニークさとともに,プレゼンテーションの良し悪しをも競うイベントである.このイベントには,大学生(18歳程度)から35歳までの若手研究者は誰でも参加できる.

予選は世界各国で行われているが,2014年度は東北大学が中心となって仙台でも行うことになった.「Falling Walls Lab Sendai (FWLS)」である.日本では本学が最初の参加となる.この仙台大会で1位から3位の人は,11月8日にベルリンで行われる決勝コンペティッションに参加できることとなっている.

さて,この大会を成功させようと,秘書室のKさん,総長室のOさん,本学特任教授のSさんらが中心となり,実務・実行部隊を作り,大会を成功させようと張り切っている.また,教員側も運営委員会を設置し,参加者の募集を現在行っている.

その一環として,この(2014年)4月23日,事前説明会を青葉山キャンパスの工学研究科中央棟の大会議室で開催した.内容は,本学研究推進本部URAセンターのリサーチ・アドミニストレイター特任准教授のSさんによるFWLSへのエントリの仕方の説明と,同じく同センターの特任教授Tさんによる「3分間プレゼンの前に,“1分話力”〜人にモノを伝えるとは〜」と題する講演である.Tさんは,投資信託関係の営業を経験された方で,元外資系会社の取締役社長も務められた.

私もFWLS運営委員会の委員を務めている関係で,この会で挨拶を行った.私の挨拶の内容は,大要以下のようなものである.

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Falling Walls Lab Sendai事前説明会に,こんなにも多くの方が参加して下さったことに,主催者側として厚く御礼申し上げる.FWLS運営委員会委員として一言,ご挨拶したい.

FWLSとはどのようなものであるのかの詳細は,私の後に話しされる本学特任教授のS先生の講演に譲りたい.私の挨拶では,今日今ここに立って挨拶をしている時間もまさにそうなのだが,短い時間でメッセージを伝えることの難しさについて話してみたい.

皆さんは丸谷才一さんをご存知だと思う.小説家であり,翻訳家であり,そして文芸評論家でもある.私は丸谷さんの小説やエッセイの大ファンであったが,残念ながら,一昨年の秋(2012年10月13日),87歳でお亡くなりになった.

さて,丸谷さんが出版した本の中に,「挨拶はむづかしい」(朝日新聞社,1985年),「挨拶はたいへんだ」(同,2001年),「あいさつは一仕事」(同,2010年)という3部作がある.3冊の本の題名をつなげると,「挨拶は難しく,大変で,一仕事なのだ」という具合になる.私も全くその通りだと思う.

これらの本は,挨拶とはこういうものだ,挨拶とはこういうふうにすべきだ,などと挨拶について論じた本ではない.丸谷さんが実際に行った挨拶の原稿を集めた本なのである.丸谷さんはもちろん著名な方なので,結婚式での祝辞,お葬式での弔辞,文芸賞授賞式での祝辞など,多くの挨拶を頼まれた.

丸谷さんはもちろん,「何々(ここにはミニスカートがはいるのだが…)と挨拶は短いほどよろしい」と言う立場に立つ人である.そのため,しっかりと原稿を作成して挨拶に臨んだとのことだ.原稿は推敲に推敲を重ね,余計なところをそぎ落とし,短いながらも内容のある,密度の濃いものを目指したとのこと.実際,文芸賞授賞式での挨拶の原稿は,鋭い批評になっており,文芸作品として成り立っている.

一昨年の秋,丸谷さんが亡くなられた後,何人もの方が悼むコメントをされたが,ある方のコメントの中に,丸谷さんの挨拶は天下一品で,「丸谷さんが挨拶される会なら,ぜひ出てみようという人までいた」とあった.

ということで,丸谷さんはしっかりと原稿を作られて挨拶に臨んだので,その原稿がもとになって本が作られ,その場にいなかった私たちも,丸谷さんの挨拶を味わうことができるのである.なお,付け加えると,丸谷さんは原稿をしっかりと手に持って,こんな感じで話をなされたとのことである.

さて,短い時間の間に,内容のある密度の濃い話をするためには,それなりのしっかりとした準備が必要である.また,人を惹きつけるためのそれなりのテクニックもある.本日の会では,本学の特任教授で,元ゴールドマン・サックス・アセット・マネジメント代表取締役社長を務められましたT先生に,この辺りの話しをしていただくことになっている.

本日の2時間の事前説明会,皆さんに十分楽しんでいただいて,ぜひFWLSにチャレンジして欲しい.きっと,皆さんにとって,FWLSへの参加は,大変有意義で有益な機会となること間違いないであろう.
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この事前説明会には,こちらが予想した以上の100名もの学生や若手研究者が参加してくれた.大変嬉しいことである.しかしながら,この会への参加者は理系の人たちが多かったとの分析で,今月(5月)の27日に,もう一度この事前説明会を,文系部局のある川内キャンパスで開催することとしている.文系の諸君もぜひ,FWLSに参加してほしいものである.


2014年5月10日記


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