才野さんの追悼集原稿,その後
先月のこの欄で,才野敏郎さん追悼集への私の原稿は,細部まで確証がないまま世話人であるCさんへ送付したことを記した.その後,さらにいろんな方へお聞きした結果,KH78-4次研究航海の船内版クルーズレポートが見つかり,才野さんの乗船が確認された.航海の主研究テーマを除き,私の記憶は概ね正しかったことになる.多くの方を巻き込んでしまったこの顛末を今回は書いておきたい.

今年の日本海洋学会の秋季大会は9月13日(土)から17日(水)まで,長崎地区の会員のお世話で長崎大学で開催された.私は14日の午前に仙台を発ち,16日午前に仙台に戻るという日程で参加した.15日の夜は,長崎の夜景を一望できる山の上の宴会場で懇親会が行われた.そこでお会いした何名かの方に才野さんの乗船の有無をお聞きしたのである.

まず,当時東大の理学研究科にいた私と同学年で,現在は東京海洋大教授のYoさんである. YoさんはKH78-4次研究航海に乗船していることは確かであるが,才野さんが乗船していたかどうかは定かではないという.なお,Yoさんと私は誕生日が全く同じであり,知り合いで同じ誕生日であるのは彼しか知らない.

次に,私より1学年下で,Yoさんと同じく東大理学研究科の学生で,現在は東海大学教授のKuさんである.Kuさんはこの航海には乗船しなかったというので,わからないという.しかしながら,このような疑問であれば(船内版の)クルーズレポートを探すことが一番であり,当時海洋研の海洋物理学研究室(寺本研究室)の技術職員であったKiさんが持っているに違いないから,Kuさんの方からKiさんに聞いてくださるという.なお,Kiさんは私と同い年で,私も乗船するたびに大変お世話になった方である。

懇親会の日の夜,Kuさんが早速現在はリタイアしているKiさんに問い合わせのメールを出して下さった.そしてその日のうちに,Kiさんは,最近10年間のクルーズレポートは自宅に持っているものの,昔のものは研究室に置いてきたということで,現在研究室にいる准教授のOkさんや,助教のYaさんに調べてくれるようメールで依頼がなされた.

そして数日後の9月18日(木)の昼,Yaさんから,クルーズレポートが見つかり,その乗船者名簿から才野さんが乗船していたことがわかったとのメールがあった.そして,クルーズレポートを表紙から5ページ分スキャンし,PDFファイルで送ってくれた.確かに乗船者名簿には,才野さんの名前,そしてもちろん私の名前もあった.この当時,ワープロなどなかったので,手書きの原稿で,いわゆる「青焼き(青刷り)」で作ったレポートである.

Yaさんからメールをもらった後,すぐに,Kuさん,Kiさん,Okさん,Yaさんに御礼のメールを送った.また,以前この件でお世話になったIさん,Kさん,Sさんにも,クルーズレポートが見つかり,私の疑問が解消したことをPDFファイルも付けて改めて御礼のメールを送った.早速Iさんからは,このクルーズレポートをとても懐かしい拝見した,表紙はKiさんのデザインですね,との返信があった.

Kさんからも,「私の方はお役に立つ決定的な情報を見つけることは出来ませんでしたが,調べたことで自分の(才野さん追悼集への)作文をする上で大いに役立ち,私の方がお礼すべきかも知れません」との返信があった.

以上が今回の顛末である.多くの皆さんの手を煩わせてしまった.レスポンスしてくださった皆さんに御礼申し上げたい.

ところで,「KH78-4次」航海や「KH81-2次」航海の意味を述べておかなければならないだろう.「KH」は東京大学「海洋研究所」に所属する海洋研究船「白鳳丸(はくほうまる)」であることを意味している.現在の白鳳丸は2代目であるが,今回話題にした研究航海時の白鳳丸は初代の方である.総トン数3200トン,長さ約70mで,当時は我が国最大級の研究船であった.海洋研はもう一隻研究船を持っており,こちらは「淡青丸(たんせいまる)」である.淡青丸には「KT」を頭に付けて区別する.なお,淡青丸は昨年(2013年)1月,その任務を終え,新たに「新青丸(しんせいまる)」が就航した.

次の78や81は西暦の下2桁である.ただし,アカデミックイヤーであるので,当年4月から翌年3月までの航海が対象となる.最後の数字はその年次の何番目の航海であるかを示す.白鳳丸であれば,通常年の5-6回の航海が計画される.淡青丸であれば10-20回の航海が計画される.


2014年10月10日記


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