かたちのレビュー「LPレコード」 |
日本経済新聞(2014年)10月9日のアートレビュー欄に,現在大谷大学教授である鷲田清一(わしだ きよかず)さんのエッセイ「かたちのレビュー 『LPレコ−ド』」が掲載された.鷲田さんは,2006年から4年間,第16代大阪大学総長を務められた哲学者で,大阪大学名誉教授である.なお,昨年4月からは,世界的な建築家伊藤豊雄さんの設計で有名な「せんだいメディアテーク」の館長を務められておられる. さて,このエッセイで触れられていることのほぼすべてで,鷲田さんと私の‘フィーリング’とでもいうのであろうか,感じ方が大変似ていることがわかった. 鷲田さんはまず,オートマチック車が苦手で,マニュアル車に乗っていると述べる.マニュアル車の「ミッションを入れるときのかすかな引っかかりかりがたまらない」のだそうだ.「機械と問答しながら走っているという感覚がある.だから独りぼっちではない.『よし,ここだ』と声を掛けたくもある」. 車の運転で「よし,ここだ」という場面であるが,ギアチェンジの場面では確かにそんな感じですね.私も免許を取ってから長年のマニュアル車派‘だった’から,これはよくわかる.マニュアル車には,自分が車をコントロールしている,支配しているという感覚がある.ところで,‘だった’と過去形なのは,昨年8月に購入した現在の車「スバルXV」は,CVT(continuously variable transmission:連続可変変速機)車だからなのだ.連れ合いの車も入れるとこの車は8台目であるが,7台目まではすべてマニュアル車だった. 鷲田さんは,このような(マニュアル車とオートマチック車の)違いが,「CDとのLPの違いにもありそうだ」とする.この間,音楽の媒体はLPからCDに移ったが,「CDの,あのカシャカシャとした響きには,ときどき底なしに悲しく」なり,「音楽嫌いになりかけた」のだそうだ. そして,「やっぱ,LPのほうが断然いい.針をおろすときのプチッという音,盤の傷まで拾ってプツプツと曲を邪魔するのが,あばたもえくぼのようでいい」と述べる. ここもいいですね,まったくその通り.私は今でも百数十枚のLPを大事に持っている.もちろんまだターンテーブルもあり,いつでもLPレコードを聞くことができる.もっともこのターンテーブル,2011年3月11日の大地震でラックから落下し,カバーが壊れてしまったのだが,かろうじて使用に耐えている.さて,CDの音であるが,私は「シャリ,ショリ」と表現したい.一方でLPの音は,「しっとりとした潤いがある」と表現しておきましょう. 先に進む.続いて鷲田さんは,LPの良さの要素にジャケットを取り上げ,「ちょっとしたインテリアにもなる」とし,「やはりジャズのそれがもっともアーティスティック」と述べる. 「なかでも舗道を歩く女性の足許を写したソニー・クラークの≪クール・ストラッティン」≫が好きだ.洒落たリズム,そして知性と官能のスタイリッシュなブレンド」と,なんとまあ,べたほめですね.続けて,ハードロックのそれはアーティスティックに過ぎるところがあり,「クラッシック音楽でジャケットにしびれることはめったにない」のだそうだ. なんと,ソニー・クラーク(Sonny Clark)のクール・ストラッティン(Cool Struttin’)が出てきたではないか.そう,私もこのLPレコード(Blue Note 1588)を持っている.舗道をハイヒールで歩く女性の,膝下まで伸びるスカートをから出た足許が大きく写っている白黒のジャケット,確かにとても印象的だ. もちろん私もこのソニー・クラークのクール・ストラッティンが大好きである.バババッ,バババッ,ババーバッバババというあの曲である(これではわかるだろうか?).震災後,仙台を含めた被災地を毎年訪れているジャズピアニストのIさんの,レストランを借りて行った3年前の演奏会のとき,リクエストできるというのでこの曲をお願いした.そしてIさんは昨年も来たのだが,私がいたからであろうか,リクエストしないでも弾いてくれた. 学生の頃であるが,友人から「名ジャケットに外れなし」という言葉を聞いたことがあった.このフレーズは一般的なのだろうか,ジャズというジャンルだけに通用するのだろうか.実際,いいジャケットのLPはいいのだろうと,レコードを購入するときの一つの判断にしたこともあった. LPのジャケットは約30p四方,一方,CDのケースは約12p四方である.CDでは,いくら写真やデザインが良かろうが,迫力も何もない.昔のジャズ喫茶店では,かけているレコードのジャケットを客に見えるように立てかけていた.気にいった客はジャケットを自由に手に取ってみることもできた.もう久しくジャズ喫茶店に行ったことはないのだが,今はどうなっているのだろう. さて,鷲田さんのエッセイの最後の節であるが,LPの値段のことが述べられる.鷲田さんが10代だった1960年代,LPは1800円から2000円だった.確かにソニー・クラ―クのこのLPも1800円であった.そして,現在のCDの値段もそんなものである.「どんな理由があるのか知らないが,卵の値段もこの半世紀,物価は大きく変動したのに,ほとんど変わらない.不思議だ」と結ぶ. 以上,鷲田さんのこのエッセイで述べられていることは,私の波長と合うとの話である. この7月上旬,本学名誉教授で総長特命教授として引き続き本学で教壇に立つN先生のお世話で,仙台に来られる鷲田さんを囲んで何人かで一献傾けようという機会が設けられた.私も誘われたのだがすでに別件の用事が入っており,参加はかなわなかった.次のこのような機会を大いに期待しているところである. 2014年11月10日記 website top page |