快挙! モンテJ1復帰
J1から降格し,J2で3年間やってきた今年6位のモンテディオ山形(以下,モンテ)が,12月7日(日)のプレーオフ(PO)決勝で,3位のジェフユナイテッド千葉(ジェフ)を破り,4年ぶりのJ1復帰を決めた.

また,リーグ戦と同時並行して行われていた天皇杯でも,13日(土)の決勝に進み,J1優勝チームで,ナビスコ杯も優勝しているガンバ大阪(ガンバ)と戦い,おしくも敗れたものの,堂々の準優勝を成し遂げた.

モンテの1度目のJ1は,2009年から2011年までの3年間である.この時は,J2の2位となった自動昇格であった.そしてJ1で3年目の2011年,最下位となり降格した.降格後の2012年と2013年は10位と低迷したが,今年6位となってPOに進み,見事J1復帰を実現した.

モンテディオ山形の「モンテディオ」は,イタリア語で山を意味するモンテ(Monte)と,神を意味するディオ(Dio)を組み合わせた造語である.1996年以来,このチーム名で通している.

山形県は修験道の山である月山,湯殿山,羽黒山という出羽(あるいは羽州)三山を抱えている.県のロゴマークも,この出羽三山をモチーフとしている.出羽三山は県民の「心の山」とは,言い過ぎだろうか.そう,土井晩翠が作詩した私の出身高の校歌にも,「羽前の三山虚空を凌ぐ 偉大の姿は無言の教へ 霊ある呼吸は我が胸充たし 理想の高きを仰げと宣す」と登場する.

サッカーチームの名前は,広島のサンフレッチェ(毛利家にちなんだ3(サン)本の矢(フレッチェ)の意味)とか,札幌のコンサドーレ(道産子を逆に読んだものにオーレを付加)とか,いかがわしいものもあるが(ファンの方々,失礼!),「神の山」とは,なかなかいいではないか.それこそ,神々しい名前である(ファンとはこんなもんです).

J1復帰を決めたジェフとの試合が行われた12月7日(日)は,仙台市天文台のブレーンサポーターの会合があり,残念ながらリアルタイムでは試合を見ていない.帰宅後,ニュースでモンテの勝利と,したがってJ1復帰を知った.その夜はもちろん祝杯を挙げたことはいうまでもない.

結果を伝えた翌日の新聞を浮き浮きしながら読んだ.私が目にした各紙の見出しは次のようなものであった.「山形4季ぶりJ1復帰/体張り1点守りきる」(毎日新聞),「山形,4年ぶりJ1/粘って守って6位から昇格」(朝日新聞),「山形4季ぶりJ1/山崎一発 守りきる/リーグ6位からプレーオフ突破」(読売新聞),「山形J1復帰/しぶとい守備 愚直さが結実」(日本経済新聞).

河北新報(河北)は仙台市に本社を置く新聞社であるが,山形でも相当部数が出ているので,準地元紙である.1面とスポーツ面の他に,さらにもう2面にも記事が出ていた.「山形快進撃 J1復帰/4年ぶり」(1面),「山形躍進/一気に勝ち抜き4季ぶりJ1復帰/体を張り守備 踏ん張る」(スポーツ面),「『奇跡』スタンド総立ち/山形J1復帰/地元興奮 悲願達成 信じていた/市民らテレビ観戦」(社会面),「“昇格請負人”本領を発揮/J2山形・石崎監督/06年柏,11年札幌に続き3度目J1へ/熱い指導 選手の心つかむ」(第3社会面).

これらの新聞を読んで気を良くしたのだが,やはり,地元新聞である山形新聞(山新)を見ないことには気が済まない.ということで,連れ合いにメールして,「今日の山新,コンビニで買っておいて」と頼んだ.ところが,連れ合いがコンビニに行ったところ,なん売り切れだという.誰もが考えることは同じようだ.そこで連れ合いは,わざわざ山新の販売所に行って購入してくれた.

山新の1面は,全面この話題である.「モンテ 4年ぶりJ1/千葉破り復帰/PO決勝 1-0,山崎 決勝点」とある.コラム「談話室」もJ1復帰を祝している.3面の「この人」欄では,石崎信弘監督(56歳)を取り上げている.石崎監督は1995年にモンテの前身チームであるNEC山形の監督に就任し,監督としてのキャリアをスタートさせた.今年16年ぶりに再び就任し,1年目でJ1復帰を果たした.河北に紹介されているように,石崎監督がJ2からJ1への昇格させたチームは,モンテが3チーム目であり,「昇格請負人」と呼ばれているという.

スポーツ面は見開き2面の4分の3ほどを使った試合詳報である.「1点死守 成し遂げた/上位を連覇 モンテ,J1復帰/入魂ヘッド−山崎祈った 突き刺した/守備奮迅−体投げ出し 食らいつき」.イヤー,大本営発表のような見出しが並んでいる.

モンテの今年の順位の推移がグラフで出ていた.第10節までは,22チーム中15位あたりをうろうろ,その後勝ち越すが第30節あたりまで10位前後をうろうろ,そして少しずつ順位を上げ,第40節以降は6位をキープしてPOに残った.勝敗を調べてみると,モンテは8月以降,リーグ戦と天皇杯戦を合わせて25試合を行ったが,これを16勝3分6敗で乗り切っている.なお,J2のシーズンを通しての勝敗は,18勝10分14敗の勝ち点64であるので,いかに後半に調子を上げたかがわかる.

山新の社会面は,2面のうち約半分を使ってモンテの偉業を讃えた.「第2章 扉開いた/モンテJ1復帰 歓喜の『大青炎』/天皇杯へ 夢は続く」とある.ここで,「大青炎」は「大声援」のもじりだが,青はモンテ・カラーだからである.本文中では,サポーターからの「頑張ればできると教えてもらった」,「疲れが吹き飛んだ」,「感動を有難う」と称賛と感謝の言葉を紹介している.

ところで,調べていたら,先のJ1時代の3年間,モンテは3年連続して「フェアプレー賞」を受賞したことがわかった.フェアプレー賞は反則ポイントの少ないチームが獲得する賞だそうだ.そして今年も,J2のフェアプレー賞を初めて受賞した.この受賞は逆に,プレーが消極的である,アグレッシブさが足りない,などとも言われそうだが,それでもやはり,自慢していいのではなかろうか.

さて,13日に行われたガンバとの天皇杯決勝であるが,力及ばず,1対3で敗れた.後半の20分ごろからテレビで観戦したが,健闘はしているものの,やはり個人技もチームプレーも力に差があったと思う.

14日の毎日新聞のスポーツ面には,「ガ大阪 有終の3発/J1復帰初年度 快挙3冠/山形下克上ならず」なる見出しの記事が出た.その中に,斉藤雅春さんの署名記事で,「互いの良さ出た一戦」なる見出しを持つ「リターンパス」欄の最後のパラグラフに,次のような記述を見つけた.「互いの良さが出た決勝.一瞬のスキを逃さないガ大阪の良さを引き出したのは,山形の運動量と前に出る姿勢だった」.この決勝でのモンテの大健闘は,多くの玄人にも認められているようだ.

この決勝戦は,モンテとガンバ双方のチームとも警告や退場が一つもない試合だった.闘っている選手たちも,見ている観客も,気持ちのいい,清々しい戦いだったのではなかろうか.

ところで,天皇杯の決勝に東北地方のチームが残ったのは2度目であるという.決勝を翌日に控えた12日の河北の記事によれば,81年前の1933年の第13回大会に,東北帝国大学と東北学院専門部(現東北学院大学)の学生を中心とした大会のために特別に結成された「仙台サッカークラブ」が決勝に進んだのだそうだ.決勝では,早稲田大学と慶應大学のOBで作った「東京OBクラブ」に,1対4で敗れた.天皇杯決勝に本学学生も出場したとは知らなかった.

さて,モンテと,宮城県のベガルタ仙台との試合は,「みちのくダービー」と呼ばれている.双方がJ1時代やJ2時代は,このみちのくダービーはとても盛り上がった(と思う).詳しい戦績は知らないが,モンテが負け越していることは間違いない.まずは来年のみちのくダービー,これはもちろん,モンテがいただくことにしよう.

ところで,これまでPOで昇格したチームは,ことごとく1年で降格しているのだそうだ.これにお付き合いする必要はないですぞ.モンテ,頑張れ!


2014年12月15日記


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