話の準備 |
2016年3月の「学生の皆さんへ」のエッセイ,「短時間の発表ほど周到な準備を」(No.48)の中で,米国第28代大統領であるT.W. ウィルソン(Thomas Woodrow Wilson,1856-1924)が,短い話ほど用意周到に準備しなければならないと述べていることを紹介した. 挨拶の名手である丸谷才一(1925-2012)さんも,頼まれると周到に準備し,原稿を作成したうえで,それを手に持って話をしたことが知られている.確かに,どんなスピーチでも,短く中身の濃い話が一番である.挨拶を頼まれることの多い私も,そうしたいし,そうすべきなのだが,なかなかできないでいる. さて,上記のウィルソンの話は,外山滋比古さんの著書,「ユーモアのレッスン」(中公新書1702,2003年)で知った.外山さんは次のように書いている.ただし,漢数字を算用数字にして引用する. 「トマス・ウッドローウィルソン(アメリカの第28代大統領)は,歴代の大統領の中でももっとも演説がうまかったといわれているが,あるとき,こんなことを言った,と伝えられている。 『2時間の講演なら,いますぐにでも始められるが,30分の話だと,そうはいかない,2時間くらい用意の時間がほしい.3分間のスピーチなら,すくなくとも一晩は準備にかかる』」(134-135ページ). このウィルソン大統領が話したという上記の言葉を,今回改めてインターネットで調べていたところ,いろんなバリエーションが存在していることが分かった. あるブログでは次のような言い回しだった.「1時間の演説なら即座にできる.20分のものでは2時間の準備が必要だ.5分のものだと,一晩構想を練らなくては」. さらに,次のように4段階で表現しているブログもあった.「10分のスピーチをするなら,準備に1週間かける.15分なら3日.30分なら2日.1時間のスピーチなら,今すぐに始められる」. このウィルソンの言い回しを,出展を引用して記しているブログもあった.このブログの著者は,薄田泣菫(すすきだ りゅうきん)の著書から引用したという.そこで,この薄田泣菫の著書をあれこれと探したところ,インターネット図書館である「青空文庫」で,彼の本「茶話」の中に収められている「演説の用意」に,この話しが紹介されていることが分かった.(この薄田泣菫の「演説の用意」なる記事,とても面白いので,追記として全文を掲載した.) この「演説の用意」と題する話は,もともとは大阪毎日新聞の1917(大正6)年11月19日夕刊に掲載された記事だという.これから薄田泣菫が紹介した話をまとめると次のようになる.「10分の演説なら2週間,30分の演説なら1週間,話したいだけ話していいのなら今すぐにでもできる」. 調べればもっといろんな表現が出てくるのかもしれないがここまでにする.以上をまとめたのが末尾の表である. どうしてこう様々なバリエーションが出てくるのだろうか.おそらく原典に当たることなく引用するという,「伝言ゲーム」になってしまっているからであろう.途中で引用の間違いなどが起こっても,そのままになってしまうのではなかろうか. ということで,このウィルソンの話を原典に当たろうと思っている.調べが着いたら,この欄で紹介したい. 本・出展等 長いスピーチ 中程度のスピーチ 短いスピーチ 外山滋比古 「ユーモアのレッスン」 2時間なら今すぐにでも 30分なら2時間 3分なら一晩 薄田泣菫 「茶話」 話したいだけ話すなら今すぐにでも. 30分なら1週間 10分なら2週間 ブログA (出展の記載無し) 1時間なら即座に 20分なら2時間 5分なら一晩 ブログB (出展の記載無し) 1時間なら今すぐにでも 15分なら3日, 30分なら2日 10分なら1週間 2016年4月10日記 追記 薄田泣菫の「茶話」は,インターネット図書館である青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で読むことができる.「茶話」のURLは,以下の通りである. http://www.aozora.gr.jp/cards/000150/files/46616_53817.html その中から「演説の用意」を引用するが,原文では幾つかの漢字にルビがふってある.彼の独特の言い回しの重要な要素なので,以下の文章では,それらのルビを漢字の次に【 】書きで示すこととする. 演説の用意 長い文章なら,どんな下手でも書く事が出来る.文章を短かく切り詰める事が出来るやうになつたら,その人は一ぱしの書き手である.ゲエテだつたか,「今日は時間【ひま】が無いから,仕方なく長い手紙を認【したた】める」と言つたが,これは演説にもまたよく当てはまる. ウイルソン大統領といへば米国でも聞えた雄弁家であるが,先日【こなひだ】の事,仲の善【い】いある友達が,大統領に対【むか】つて,「貴君は名代の演説上手でいらつしやるが,一つの演説を用意なさるのに,どの位の時間が要りますね.」と訊いたものだ.何事によらず,素人といふものは出来上る時間を訊きたがるもので,もしか画家【ゑかき】に対つて,何よりも先に,「あなた,この画【ゑ】げになるのに幾日【いくか】掛りでしたね.」と訊く人があつたなら,その人がどんな美人であらうと,先づ素人だと見て差支【さしつかえ】ない.ウイルソンの友達も,いづれは何を見ても鼻を鳴らして感ずる輩【てあひ】だつたに相違ない. ウイルソンは答へた.「どの位の時間といつて,それは演説の長さによる事ですからね.」「いや御尤もの事で.」と質問者【きゝて】はそれだけで何【なに】も角【か】も飲み込めたらしい悧巧さうな顔をした.「してみますと,議会での大演説などは,お支度になかなかお手間が取れる事でせうな.」「いや,さういふ意味ぢやない.」と雄弁家の大統領は上品に口を歪めて笑つた.「一番手間を取るのは,所謂【いはゆる】十分間演説といふ奴で,あれを用意するには,正直なところ二週間はかゝりますよ.」「へい,そんなもので.」質問者【きゝて】は何だか腑に落ちなささうな返事をした. 大統領は言葉を次いだ.「それから,三十分位の演説だつたら,先づ用意に一週間といふ所です.もしか喋舌【しやべ】れるだけ喋舌つてもいいといふのだつたら,それには準備【したく】なぞ少しも要りません.今直ぐにと言つて,直ぐにでも喋舌れます.」 素人よ,もしか感心する必要があつたら,演説でも,文章でも,成るべく短いのを選んだ方が無難だ.早い話が,女房【かない】の諷刺【あてこすり】にしても,手短【てみじか】な奴にはちよい/\飛び上る程痛いのがある. website top page |