多元研東1号館前のメタセコイア並木 |
前回この欄で,片平キャンパスのメタセコイア並木について書いた.その中で,多元物質科学研究所(多元研)東1号館前のメタセコイアの並木は13本からなっていること,しかし,西澤恭助先生の退官記念植樹は5本であったこと,その後,いつ,どのような経緯で8本が植樹されたかは不明であることを記した. 今回,多元研の前身の一つである旧反応化学研究所長を務められた本学名誉教授池上雄作先生によりその謎が解けたので,そのあらましをここに報告する. 私が理学部長・理学研究科長を務めていた2010年の5月,池上先生が青葉山の研究科長室を訪問された.先生が委員長を務める「岩井久雄記念宮城奨学育英基金運営委員会」の委員を務めてほしいとの依頼である.理学系の運営委員がいないので,ぜひ力を貸してほしいとのことであった. この委員を引き受けて今年で7年になる.この間,毎年少なくとも1回,年によっては数回先生とお目にかかっている.お会いすれば先生は無類の話し好きで,出身高校は違うが同じ山形県人であることも加わり,話題に事欠かない. 先生は本学理学部化学科をご卒業後,非水溶液化学研究所(非水研)に奉職され,改組後の反応化学研究所(反応研)では所長を務められた.そしていろいろな学内の委員会などでご活躍されたのであろう,本学の歴史にもとても詳しいことはその話の内容から伺えた. さて,今年の上記奨学育英基金運営委員会は6月30日(木)に開催された.委員会終了後,池上先生に,多元研前のメタセコイア並木は,最初の植樹は5本なのに現在は13本からなっている,なぜだろうか,という話をした.この時の先生は,この件に関し全く覚えがないという.そこで自宅に戻りいろいろと資料を探してみるとのことでお別れした. 7月19日,先生から手紙とともに,写真や冊子のコピーなどの資料が送付されてきた.これらの資料から,謎が解けたのである.7月18日付の池上先生のお手紙には次のように記されていた. 「さて,先生の『片平キャンパスのメタセコイア並木』の文,拝読いたしました.それで,先日お会いした折にこの話をお聞きして,私の手元にある資料を探していたのですが,メタセコイアの植樹は,当時の非水研新築工事を追う形となっていることがわかり,3回に分けて植えられております. 当初は,昔の化学工学の焼け跡に非水研が新築することで,建設の方は非水研が主体だったんですが,応用化学科が非水研と1/2ずつ同居していたので,相互に話し合って進めておりました. そのために,西沢先生の退官ことは非水研の記録には残らず,非水研の歴史をまとめた私のところには資料はありません.私の趣味の写真だけです.西沢先生退官記念植樹は応用化学科で行いましたが,その後の植樹は非水研で行ったように覚えております. この建物(の工事)は5回に分けて進められ,私も戦後の復興の歩みを実感したのでした.同封メモ,乱筆ですが参考になればと思いお届けする次第です.」 手紙には,建物と現在のメタセコイアの位置関係を示す,先生手書きの図が添えられていた.図には,現在の多元研東1号館のそれぞれの部分の工事の時期が示されている.現在となっては一つの建物のように見えるが,実は5回に分けて建設されたのであった. 第1期の建物は,旧本部事務局棟よりの部分である.1953年4月から建設が始まり,1954年3月に竣工した.第2期はその北門寄りの部分で,1954年4月に建設が始まり,1955年1月30日に竣工した.第3期はさらに北門寄りの現在の玄関部分で,1956年に建設が始まり,1957年5月29日に竣工した.さらに第4期は一番北門寄りの部分で,1959年4月に竣工した.池上先生は,この部分の2階に,同年5月に入ったとのことである.最後の第5期はその東奥に延びる部分で,1964年秋に建設が始まり,1965年3月に竣工したとのことである. 第2期の部分の前にメタセコイアが3本植樹され,第4期の部分に5本のメタセコイアが植樹された.したがって,建物玄関の右手側に合計8本,左手側に5本のメタセコイアが植樹されたことになる. この図面の他に,写真が趣味だという池上先生ご自身が撮影した写真と,反応化学研究所創立50周年記念号」に掲載された写真のコピー,1974年非水溶液研究所要覧(創立30周年記念,第11号,1974年10月)の表紙のコピーなどが送られてきた. 玄関部分を建設した第3期工事が竣工した1957年に撮影された写真には,奥の第1期で建設された部分には背の高いメタセコイア(写真では3本しか見えない)が,第2期で建設された部分には3本の背の低いメタセコイアが写っている. また,「反応化学研究所創立50周年記念号」には,1960年当時の建物の写真が,玄関から北門側の第4期工事で建設された部分が写っている.この部分の建物の前に,確かに背の低いメタセコイアが5本,見て取れる. 1974年10月に発行された非水研「要覧」(創立30周年記念第11号)の表紙は,この建物を南西側から写した写真が使われている.落葉している季節に撮影したのであろう,メタセコイアは葉の無い枝と幹という姿であるが,すでに4階建ての建物を凌ぐ高さまで成長しているのが分かる.ロータリー側の8本のメタセコイアの高さはほぼ同じであるが,北門側の5本のメタセコイアは,やや小ぶりに見える.なお,この写真,撮影年月日の記載がないものの,1974年に撮影されたものと考えるのが妥当であろう. 以上が,池上先生の資料による多元研東1号館前の13本のメタセコイア並木に関する資料である. 現多元研東1号館前の13本のメタセコイア植樹についてまとめると,次のようになる.5本の西澤先生の定年御退官記念植樹は1956年5月に,第2期の工事が完了していたものの,第1期工事の建物の前に行われた.その後,翌1957年までに3本のメタセコイアが第2期の建物の前に植樹された.最初の5本の記念植樹と次の3本の植樹の間は,1年程度ではなかったろうか. 第4期の建物の前への植樹は,反応研30周年記念号に掲載された「1960(昭和35)年当時の写真」に写っているので,1959年4月の竣工直後になされたものと思われる. 今となっては一体に見える13本のメタセコイア並木であるが,このような経緯があったのである.1956年の最初の植樹から,今年はちょうど60周年目にあたる.これらのメタセコイア,片平に学び,そして働く多くの人たちを見てきたことを思うと,感慨深いものがある. 2016年8月10日記 website top page |