続 川内キャンパスのメタセコイア | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(2016年)6月のこの欄に,「川内キャンパスのメタセコイア」と題して,メタセコイアが成長しすぎたので今後4~5年かけて剪定することを決めたこと,実際2016年3月に11本の剪定を行ったことを記した. この剪定は教育・学生支援部学務課が企画し,川内北キャンパス協議会の予算で行っているものである.計画を策定するに当たり,川内キャンパスのメタセコイアの植栽状況を詳しく調査したものと思い,学務課のN課長補佐に問い合わせたところ,やはりそうだという.そこで,どこに何本メタセコイアがあるのかを図面に落としてほしいと,無理を言って作成してもらった.この図を末尾に示す. 川内北キャンパスのメタセコイアは,外周道路に沿って並木状に配置しているものと,建物を囲むように配置されているものに大別される.しかし何本かは,それらとは独立に,孤立して植えられている.川内北キャンパスのメタセコイアの総数は144本である.おおよその場所と本数の表も末尾に示す. 本数はそう多くはないが川内南キャンパスにも植えられている.萩ホールの南側には,広場を挟み2列に並んだメタセコイア並木(片側12本ずつ,計24本)がある.この整然と並んだメタセコイア並木はとても威厳があり,壮観である.また,三叉路から植物園に向かう通称「中善並木通」の萩ホール側のメタセコイアの並木(9本)も圧巻である. なお,今年の3月に天皇・皇后両陛下が宮城県に行幸啓された際の18日に,本学の復興状況の説明を総長から受けるため萩ホールを訪問されている.このとき萩ホール前のメタセコイア並木をご覧になったのであろう,翌日食事をご一緒された宮城県知事に,萩ホール前のメタセコイア並木の話をされたとのことである. 第二次世界大戦の後の1948年10月,米国から昭和天皇に対し,メタセコイアの苗木1本と種子500粒が贈られた.その苗木と種子から発芽させたもう1本は,吹上御苑の庭に植えられた.昭和天皇はこのメタセコイアをとても気に入り,その成長を見守ったと言われている(斎藤清明著,「メタセコイア-昭和天皇の愛した木-」,中公新書1024,1995年,238ページ).そのようなこともあり,現天皇もメタセコイアに興味をもたれていたので,上記のような話になったのではなかろうか. さて,先にも疑問を呈しているのだが,どのようにしてこれらのメタセコイアが川内キャンパスに植えられたのであろうか. 今年度,入試関係でお世話になっている生命科学研究科のN先生は,理学部生物学科を兼務されている.ある入試関係会議の後,N先生にメタセコイアに興味をもっていること,そして,川内キャンパスになぜこんなにも多いのかに興味があることを述べた.N先生は,これらについて生物学科の先生方に聞いてみて下さるとのことであった. N先生は,本学理学部生物学科で長く教鞭をとられ,本学植物園長も務められた名誉教授のO先生に問い合わせてくださった.O先生から電子メールで返事があったと,私にそのメールを送ってくださった.その一部をここに紹介する(改編している箇所と,お名前を伏せたところあり.). 「昭和25年(多分3月)に『メタセコイア保存会から3本の苗木が東北大(生物学科)へ送られ,加藤陸奥雄先生(当時生物学科動物生態学講座教授,多分当時の学科主任,後に学長)と杉原美徳先生(第二教養部教授のち宮城教育大教授,裸子植物の研究者)が受け入れ,2本を生物学教室の敷地内に,1本を川内教養部に植えた』ことが分かっています.これら3本が親木となって,それからの挿し木で,仙台のメタセコイアは始まったのは間違いないでしょう. そこで,最初に仙台に来た3本のメタセコイアの中で教養部構内に植えられた1本を特定するために教養部長をなさったA先生(ご近所ですので)に教養部に記録があるかをお尋ねし,A先生から理学部化学科においでだったW先生にもお願いしてお調べいただきました.W先生によると,教養部の入り口付近(二高の斜め向かい)に植えたとのことです.ここには1本の巨樹があり,老樹である雰囲気を感じますが,その樹が最初の1本であると特定できる外形的な証拠は見付かりませんでした. (途中省略) なお,過日天皇陛下が記念講堂前(注:現在の萩ホール)のメタセコイアについてお尋ねになられ,このメタセコイアについて聞かれましたが,これは1984年に石田学長の『川内南地区緑化懇談会』(私は植物園長として参加)でグランドプランを作り,メタセコイア並木となりました.この苗木の由来は知りません。旧生物学科の最初の2本から挿し木すればよかったと今では思っています.」 O先生からの電子メールには,新しく分かった点と,これまでの話とは異なる点がある.まず,新しく分かったことは,川内南キャンパスのメタセコイアは,1984年に緑化に関するグランドプランができた後に植えられたことである.これは非常に明快である.とすると,川内南キャンパスのメタセコイアの樹齢は30年ほどとなる. これまでの話と異なる点は,仙台に来た3本のメタセコイアの1本が‘すぐに’川内の教養部に植えられたとする点である.6月のこの欄に書いたように,当時植物園長だった木村有香先生が書かれた生物学科50年史の文章に,「第3の株ははじめ北六番丁の旧宮城師範学校の庭に植えられましたが移植して今は川内の教養部にあります」とあるので,この点はO先生の記憶違いではなかろうか. なお,最初のメタセコイアが川内キャンパスのどこに植えられたかであるが,O先生の電子メールでは,A先生からW先生に聞いた話として,教養部の入り口(二高の斜め向かい)が指摘されている.確かに二高と宮城県美術館との交差点の本学側の歩道の中に,他のメタセコイアとは孤立して,1本のメタセコイアが植えられているのである.本学の敷地ではなく,歩道の中,というのが特異である.なるほど,その可能性はあるのではなかろうか. ということで,現時点でも川内北キャンパスのメタセコイアの植樹に関しては謎である.1984年に「川内南地区緑化懇談会」がグランドデザインを練ったとのことであるが,同様に「川内北地区緑化懇談会」が作られていたようなことはないのであろうか.この辺りのことも含めて,さらに調べていこうと考えている. 2016年9月10日記 <図.川内キャンパスのメタセコイアの配置> (クリックすると拡大図が表示されます)
<表.川内北キャンパス メタセコイヤ本数調(2016年7月28日現在)>
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