研究者冥利の一つ
東京工業大学栄誉教授である大隅良典先生のノーベル医学・生理学賞受賞に沸く10月4日(火)の午後,XBT科学に関する国際集会に出席するため東京へ向かった.

XBTとは「eXpendable BathyThermograph」のことで,日本では現在,「投下式水温計」と訳されている.1960年代,米国海軍が開発した測定機器で,民生用にも使われている.航行する船舶から直径5cm,長さ30cm程度のプローブを海に投下し,自由落下させる.プローブにはサーミスタ(温度によって抵抗値が変化する素子)が取りつけられているので,落下している間の水温の情報が得られる.XBTプローブには多くの種類があるが,多用されているのは海面から800mまで計測できるT-7というタイプである.

XBT計測は,精密な測定機器に比較して安価であること,また,移動する船舶から計測可能なので民間商船でも使用できることにより,海洋モニタリングの一手法として位置づけられてきた.1980年代から90年代は,年間5万本程度,近年はアルゴフロート(漂流しながら定期的に浮き沈みして計測し,データを送信するブイ)による海洋監視網が展開されたので少なくなったものの,それでも年に数万本は用いられている.

さて,今回の国際集会は,XBTを用いた海洋監視のあり方,そのデータの取り扱い方,データセットの作成の仕方など,XBT観測の政策的なことを議論するパートと,プローブの落下速度問題に関する議論など,XBTに関係する科学を議論するするパートの2つからなっていた.

4日は会合の2日目で,夜の7時半から,六本木の居酒屋で主催者が招待する夕食会が開催されることになっていた.事前に,会の途中で挨拶をすることを,組織委員会の委員である研究室のKさんや,MIRC(海洋情報研究センター)のSさんから頼まれていた.

夕食会の会場となった六本木の店は,広いスペースに多くのテーブルと椅子が配置されていた.私たちのグループには,8人用の席が5列,割り当てられていた.2階にも席があり,中央が吹き抜け構造であるので,2階の人は1階の人を,1階の人は2階の人を,自然と見ることになる.このようなオープンスペース構造なので話し声が飛び交ってとてもうるさく,乾杯や挨拶などのイベントは何一つできないような有り様だった.したがって,テーブルごとに自然と夕食会が始まり,近くの人たちとの会話となった.

さて,宴もたけなわとなったころ,Kさんから通路に出るように言われた.私の‘退職’を記念して,参加者からお祝いのプレゼントがあるという.NOAA/AOML(米国海洋大気庁大西洋海洋研究所:NOAAが持っている2つの研究所の一つで,フロリダにある)のG. Goniさんからは時計付きコンパスを,オーストラリアのCSIRO(連邦科学産業研究機構)海洋研究所の方からは,研究所があるタスマニア島のウイスキーを,そして,皆のメッセージが書いてある色紙を頂くことになった.

突然のセレニモニーであり,とても感激してしまった.道理で,Kさんからは,かなり前からこの会にはぜひ出席して欲しいと,何度も言われていた.このサプライズを企画していたからであったことが分かった.

今回のようなXBT科学に関する国際集会は毎年どこかで開催されるのであるが,今年日本で開催されると,今後日本で開催する機会は何年もないであろう,そこで,私が退職するのは1年半後であるが,この機会を利用して,私のこれまでのXBTプローブの落下速度の問題やXBT観測の仕事に感謝しよう,ということになったらしいのである.

NOAA/AOMLから贈られた時計付きコンパスには,「To Dr. K. Hanawa: In appreciation for your contribution to the ocean observing system. From your friends at NOAA/AOML」と記した文字板が取りつけられていた.

また,色紙には,多くの人たちが私に対するメッセージを書いて下さった.R. Coleway(CSIRO)さんからは,「Dear Hanawa-san, Thank you for your amazing contribution to XBT Science. You will be missed in the XBT community. Best wishes for your retirement!」. Goniさんからは,「Dear Hanawa-san, Thank you very much for all your contribution to oceanography and to the XBT observations. You are an example for all of us.  ありがとう!」.

あと1年半後とはいえ,「retirement」には少し違和感があるのだが,多くの人がこれまでの私の仕事を認めてくれて,感謝の言葉を記してくれたことは,本当に大変嬉しいものである.

さて,この夕食会では挨拶ができなかったが,実は次のような挨拶を考えていた.

〇20年から30年前,私たちは自分たちを「XBT oceanographer」と呼んでいた.研究者仲間には,Dean Roemmich(SIO,米)やWarren White(同),Bob Molinari(NOAA/AOML), Gary Meyers(CSIRO)らがいた.

〇現在使用されているXBT水深計算式を提案した1995年の論文は,IGOSS-TTQCAS(Integrated Global Ocean Service System-Task Team on Quality Control for Automated System)のメンバーと一緒に書いた.メンバーには,M. Szabados(NOAA),A. Sy(BSH,独),P. Rual(ORSTOM,仏),R. Bailey(CSIRO)らがいた.

〇私がこの「XBTプローブの落下速度問題」(水深計算式の精度不足のこと)に出会ったのは,1985年の研究航海である.東経134度線に沿って,北緯33度から29度までCTD(電気伝導度水温水深計)とXBTを交互に用いて観測した結果,等温線に綺麗な波打ち現象(XBT波動)が出現した.これはとても自然現象として信じることができないので,XBT水深計算式に系統的な誤差が含まれていることを確信した.そして,この航海で比較実験を行ったのがこの問題への最初の関わりであった.

翌日の朝,GoniさんとP. Gouretsky(BSH)さんには大要このような話をして,1995年に日本の雑誌に書いていた日本語による解説論文を手渡した.Goniさんにはサインまで求められた.

上記のように,私が‘XBT問題’に遭遇したのが1985年の航海,その後,XBT問題に関する論文としてHanawa and Yoritaka(1987),Hanawa and Yoshikawa(1991),Hanawa and Yasuda(1992)を出版した.1992年には上述のIGOSS/TTQCASのメンバーとなり,集大成の論文としてHanawa et al.(1995)を出版した.この論文が契機となり,1995年からXBTデータの通報に使うフォーマットが変更され,1996年からはXBT水深計算式がHanawa et al.(1995)で提案したものに変更された.

私が主体的にXBT問題とかかわったのは,1985年から1995年までの約10年間であった.ところで,XBT問題は決着がついているとは言えず,その後は研究室のKさんがこの問題の解決に携わっている.

XBT問題との出会いは30年前のことで,これに関して私自身が第1著者となった論文は20年前が最後である.このような過去のことに対し,今回のこのとても嬉しいサプライズである.賞をもらったわけではないが,このようなことがあるのも,研究者冥利の一つである.


2015年11月10日記


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