放送大学宮城学習センター脇のメタセコイア |
今回は何度かこの欄で取り挙げている本学のメタセコイアに関するものである. 片平キャンパスの金属材料研究所がある区域の北西部に,放送大学宮城学習センターがある.ある用件で現センター長のO先生を訪問したおり,センター事務部におられるHさんと話す機会があった.Hさんは本学の事務部長を務められて定年退職し,その後センターに移られた方である.同じ山形県出身で同い年ということもあり,前から懇意にさせていただいていた. さて,私から,ひょんなことからメタセコイアが気になっていること,最初に本学に贈られた3本の苗のうち2本が,センターの建物の脇に植えられたことなどを話した.するとHさんからは,大分前のセンター長であった荻野先生が,ある雑誌にメタセコイアの記事を書かれていることを話してくれた.後日PDFでその記事を頂いたが,お返しとして私が先に書いていたメタセコイアのエッセイを送っている. 当時第19期日本学術会議第4部会員で,放送大学宮城学習センター長であった,東北大学名誉教授荻野博先生が,「学術の動向」2005年11月号のコラム「オアシス」欄(83ページ)に,「メタセコイアの『100本の苗』」と題する記事を書かれていたのである. 荻野先生は理学部・理学研究科に長年奉職され,2001年3月に定年ご退官された.ご専門は化学(ケイ素-金属錯体化学)である.先生は1996年度から1998年度までの3年間,第26代理学部長・理学研究科長も務められた. さて,荻野先生の記事の概略を紹介する. 荻野先生は群馬県の前橋高校の生徒であったとき(1955年頃),同高同窓会から高さ1メートル余りのメタセコイアの苗木が贈られたことを記憶しているという.そして,「そのとき,これはアメリカから寄贈された『100本の苗』の1本だと聞かされた(ように記憶している)」とする.しかし,冷静に考えると,アメリカからの苗は既に5年も経つので,寄贈された「100本の苗」そのものではなく,「その1本の苗からの苗」であったのだろうと推察する.そのようなこともあり,「高校時代にこの木を見て以来,メタセコイアは筆者にとってとても気になる木になった」のだという. 「100本の苗」のうち,本学には3本の苗が配られ,うち2本が理学部生物学教室の庭に植えられた.生物学教室の建物は,荻野先生(がこの記事を書いた当時)の勤務先である放送大学宮城学習センターとして使われている.先生は毎日2本のメタセコイアを眺めているという. 仙台市は1975(昭和50)年に,2本のメタセコイアを「保存樹」に指定し,その旨の標識を立てたのだそうだ.しかしその標識には「樹齢約27年,昭和50年指定」と書かれていたという.正しくは(筆者注:昭和25年に植樹されたので)「樹齢26年」とすべきであるとし,また標識の一部が壊れていたこともあり,仙台市長に手紙を書いたのだという.仙台市側はすぐに対応し,新しい標識を立てたのだという. また,眺めているうち,1本が弱々しいことに気づき,「メタセコイアの様子を調査して欲しい」と東北大学に申し入れたのだそうだ.なんでも,メタセコイアの管理者は,東北大学なのだそうだ.これはまったく知らなかった.そして本学も迅速に対応し,「傷んでいた木は樹木医が何日もかけて治療し,根元の土もパワーショベルで入れ替えられた」のだそうだ.この治療は2003年3月とのことで,2本のメタセコイアの根元と,パワーショベルが写っている写真が記事に掲載されている. 荻野先生は最後の節で,近くの広瀬川にはメタセコイアの化石(硅化木)が見られるとし,次のように記事を結んでいる.「したがって,本センターは化石と生きた化石の両方を見ることのできる稀有の場所である.筆者はそんな場所で働くことに秘かな喜びを感じている」. この記事で,学習センター脇の2本のメタセコイアのうちの1本は,樹木医が手を入れて治療した木であることを初めて知った.この記事を読んだ後で実際に確認しに行ったのだが,なるほど,建物に近い北側のメタセコイアは,南側のゼタセコイアよりも樹高が低く,幹もかなり細いのであった.とても一緒に植樹されたとは思えないほどの差である.このような差ができた理由が,この記事で分かった. また,南側のメタセコイアの近くには,仙台市が保存樹として指定したとの新しい円形の標識があった.指定日付は1975年6月5日であり,樹齢は27年,管理者は東北大学と書いてあった.残念ながら,樹齢については訂正されなかったようだ. なお,荻野先生は放送大学宮城学習センターの教授・センター長を,東北大学退職後の2001年4月から2007年4月まで務められた.その後,同大学・副学長を2007年5月から2011年3月まで務められ,現在は理学部・理学研究科を外部から支援する組織である青葉理学振興会の理事長に就任されている. 2017年7月10日記 website top page |