青葉理学振興会設立の経緯 その2 -理学部開講80周年記念事業-
【はじめに】

前回のこの欄で,青葉理学振興会(以下,振興会)の設立は,1991(平成3)年に行われた本学理学部開講80周年記念行事の準備の中での議論が発端であったことを述べた.

先月(8月)8日(水)の朝,事務側で本振興会を担当している総務課総務係長のKさんが,振興会の他の文書ファイルとともに,開講80周年記念行事関係の文書ファイルを,私の研究室にもってきてくれた.Kさんは,当初ファイルの存在は分からないということであったが,再度倉庫を探して見つけてくれたのであった.今回は,その背表紙に「理学部開講八十周年記念関係綴」とあるファイルに綴られた書類から読みとれることを記したい.

結論を先に述べれば,当時天文学専攻の教授であった竹内峯先生が,長年抱いていた財団設立構想を,自らが委員長となった80周年記念行事実行委員会に提案したことで構想が公けになった,ということである.以下,詳述するように,決定的証拠としてこのファイルの中に綴じられた,竹内先生による財団設立の構想メモ(1991年4月付)を挙げることができる.

ここで,竹内先生を紹介したい.天文月報,2012(平成24)年12月号(788-789ページ)の福島大学中村泰久先生の「竹内峯先生逝く」の記事よりまとめると,竹内先生は,1932(昭和7)年,福島県福島市のご出身で,1955年3月に本学理学部(天文学教室)を卒業し,1964年3月に「脈動性の理論」(原文は仏語)の論文で博士の学位取得している.1966年に理学部助手・助教授を経て1988年4月に教授に昇任した.1996年3月に定年退官し,東北大学名誉教授となる.2012年2月18日にお亡くなりになった.享年79歳であった.

【理学部開講80周年記念行事】

理学部の前身である東北帝国大学理科大学は,本学創立の4年後の1911(明治44)年に開講した.9月11日(月)に入学宣誓式が行われ,翌12日(火)から講義が始まった.本学創立50周年記念行事は,1961(昭和36)年に大学全体で大々的に行われたが,75周年の記念行事が行われなかったこともあり,理学部独自に,開講80周年を祝おうということになったようだ.

開講80周年記念行事は,1991(平成3)年9月12日(木)の15時から,廃業し現在は建物も取り壊された仙台駅前の仙台ホテルで開催された.記念式典・記念講演会,祝賀会には,それぞれ約150名,約300名が参加している.

記念式典では,櫻井英樹理学部長(第24代,1990年4月~1993年3月,化学専攻)の式辞の後,西澤潤一総長(第17代,1990年11月~1996年11月)の祝辞(実際は,細谷純教育学部長による代読),久城育夫東京大学理学部長と丸山和博京都大学理学部長による祝辞,そして,武田暁名誉教授(第19・21代理学部長)と黒田正名誉教授(同窓会代表,第23代理学部長)の祝辞と続いた.続く講演会では,有馬朗人東京大学総長が「大学と基礎科学」と題して,約40分間の講演を行った.なお,司会は竹内教授が行っている

続いて部屋を変えて行われた祝賀会では,櫻井英樹理学部長の挨拶に続き,加藤陸奥雄名誉教授(第13代本学総長,第16代理学部長)の祝辞があり,乾杯の発声を小貫義男元宮城教育大学長が執られた.式中,何名かから祝辞もあったようだが,その詳細は不明である.

なお,私は1991年当時助教授であったが,この80周年記念行事を全く思い出せない.なぜだろうと備忘録で調べたところ,その日は,現在北海道大学で教授をしている研究室出身のMさんが,当時ポスドクをしていたオーストラリアの国立研究所(CSIRO)から一時帰国し,午後に研究室でセミナーを開いてくれた日であった.そして夜は,彼を歓迎するコンパが設けられていた.そのようなことで,私自身は行事の一切に参加していないことが分かった.

【記念事業の準備と財団設立の提案】

記念事業の準備を時系列的に追っていこう.準備は,平成2(1990)年1月21日付の「世話人 竹内峯」から11の各学科委員へ,「理学部開講80周年記念行事について」と題する文書の発出から始まった.この文書は,1月30日(水)に会合を開きたいとの開催通知である.

ところで,この文書の日付は誤りで,当然平成3(1991)年でなければならず,これは会議の議事録からも確認できる.当時理学部は,現在と違い11の学科から構成されていた.参考のために書き出してみると,数学科,物理学科,同第二,天文及び地球物理学科第一(天文),同第二(地物),化学科,同第二,地学科地学第一,同第二,地学科地理学,生物学科の11学科である.この文書には,各学科から適任の方を出席させてほしいとある.

さて,最初の文書から世話人として竹内先生の名前が出てきた.これ以前のことを記した文書は何もないので推測するしかないが,おそらく竹内先生が櫻井理学部長に働きかけて,理学部開講80周年記念行事を行う方向で既に話がまとまっていたのではなかろうか.

最初の会議は,平成3(1991)年1月30日(水)に,理学部長室の向かいにある理学部小会議室で開催された第1回会議の議事抄録によると,①9月11日に近い日で記念行事を行うこと,②その中身は今後検討すること,③互選により竹内先生が委員長に選出されたこと,④次回は約1か月後に行うことが決められたという.

ここで,実行委員会には11の学科から委員を出すことになっていたが,実際には化学科を除く10の学科からの10人であった.恐らく,櫻井理学部長が化学科所属なので,化学科からは委員を出さないことにしたのだろう.この状態は行事が終わるまで続いている.

次の第2回委員会の開催は3月14日(木)であるが,この回から会は「理学部開講80周年記念行事実行委員会」と名乗り,竹内先生は委員長として取り仕切った.4月24日(水)には竹内委員長から委員宛ての文書で式典・講演会・祝賀会の日時や会場の案が提案された.第3回委員会は4月26日(金)に開催され,その後も委員会は1か月に1度程度開催されたようだ.以下,第4回委員会は5月30日(木)に,第5回委員会は6月6日(木)に開催された.ただし,これらの会の議事抄録はいずれも残されていない.

さて,3月14日開催の第2回委員会の開催通知は3月7日付で出ているのだが,その次に,1991年4月と右肩にあり,文書名が「理学部開講80周年記念行事案(改行)民法法人設立構想メモ(ver.1.0)」,そして「竹内 峯」の名前が記載された文書がファイルされている.文書の1ページ目の右上部には,大きく「資料」とゴム印が押されてある.おそらく,4月26日開催の第3回委員会へ提出された資料と思われる.

この文書はB5版(当時の文書はB5版が一般的)4ページの資料で,竹内先生の財団構想が詳しくまとめられている.内容はⅠ~Ⅳの4章からなる.Ⅰは「財団の規程の概要」と題するもので,19の項目が記載されている.Ⅱは「役員および評議員」で,Ⅲは「事業の概要」である,最後のⅣは「設立」の章で,日程まで記載されている.それによると,1991年6月には代表発起人を確定し,同年末には募金を開始,1993年2月には設立したいとしている.

この構想メモは本振興会にとって重要な歴史的資料であると思うので,その全文を末尾に記した.

さて,80周年記念事業はその後着々と進んでいく.記念展示の準備,会場の設定,招待者の確定,記念講演の準備などなど,これらについては省略する.以後,財団設立関係に焦点を当てる.

財団設立関係の記載が現れるのは,7月10日(水)付の竹内委員長から,他の9名の委員へあてた連絡文である.3項目ある連絡事項の1つ目は,9月12日開催の行事の開催時間を変更したこと,2つ目は記念展示のこと,そして3つ目の財団設立に向けた動きの報告である.これを以下,全文記載する.

「財団設立については,7月6日の第1回代表発起人会が開かれ,青木健一郎,加藤愛雄,加藤陸奥雄,小西和彦,櫻井英樹,設楽寛,竹内拓司,武田暁,広根徳太郎,森田章,向井利夫の11名の方がご出席になりました.ご案内を差し上げたその他の方々からは,いずれもご欠席の連絡を頂戴しました.この会では,財団設立に向けて準備を進めることとなり,設立準備委員会の代表には櫻井英樹理学部長,同じく事務長には猪狩勉理学部事務長を選びました.猪狩事務長と竹内峯とで,とりあえず県教育委員会に接触することとなりました.」

竹内先生は,実行委員会とは別に,並行して理学部OBの先生方に働きかけて発起人会を立ち上げていた.出席された11名の先生方の中には,山形大学学長を務められた広根先生もおられる.竹内先生の‘顔の広さ’には驚くばかりである.

さて,9月12日の記念行事も無事終了する.10月22日(火)の日付で,竹内委員長から委員宛て,10月28日(月)に最後の実行委員会を開催する旨の通知が発出される.残念ながら,この時の議事抄録もないので,話し合われた内容は不明である.

このファイルに綴じられた最後の竹内先生からの文書は,11月27日(水)付のものである.委員長から,理学部80周年記念行事実行委員会委員各位に宛てたもので,その印刷様式から,竹内先生がご自身でワープロ作成した文書であろう.

前文には行事が無事終わったことへの謝意が述べられ,最後のお願いとして,2項目が挙げられている.1つ目は「決算について」であり,収支決算の差額である約200万を,各教室で分担して負担してほしいことのお願いである.2つ目は,「理学開講80周年記念事業について」と題するもので,内容は財団設立に関するお願いである.以下,これも全文を記す.

「先日,宮城県教育庁へ伺い,ひととおり事情を説明してきました.税金関係も様子が見えてきましたので,いよいよ財団設立に取掛かりたいと存じます.つきましては,各学科より1名宛て,総務委員および募金委員をお選び頂きたくよろしくお願いいたします.期限は,12月13日とさせて頂きたいと存じます.」

この文書の最後は,「実行委員宛ての連絡は公式にはこれが最後で,今後は教授会と学会員を通じて,ことを運ぶように致したいと存じます」と結ばれている.

【おわりに】

理学部開講80周年記念行事関係書類のファイルが見つかったことにより,本振興会の設立の発端が解明されたとしていいのではなかろうか.竹内先生個人が長年温めてきた構想が,80周年記念行事開催の機会に,公けになったということである.実際に振興会が設立されたのは1998年5月のことであり,実現までまだ7年弱の歳月を要することになる.

最後に竹内先生と私の関係について述べておきたい.竹内先生の所属した天文学専攻と,私が所属した地球物理学専攻の教室系講座は,青葉山移転後は物理A棟(現在の物理系研究棟,H26)に研究室を構えた.天文学専攻は8階に,地球部物理学専攻は,7階と6階である.そのようなことから竹内先生は頻繁ではないものの,日常的に建物内外でお会いする機会があった.いつも‘優雅’に,‘おっとり’と歩いている先生の姿が思い出される.

また,1980年代は,助手や助教綬でも運営委員に選出されれば,理学部教授会に出席できた.私は,助手・助教授時代,何度か運営委員に選ばれているので,教授会や各種委員会でも先生とご一緒しているはずであるが,特段の記憶はない.

先生とお話しする機会が増えたのは,先生の定年退職以降のことで,私が理学研究科の執行部の一員となった2000年代半ばのことである.当時竹内先生は青葉理学振興会の常務理事を務められていたが,2005年11月には先生から青葉理学振興会報告のコラムの執筆を頼まれている.この事情を,ウェブサイトで公開しているエッセイ「折に触れて」No. 7の「300字のコラム原稿執筆の顛末記」(2006年1月15日公開)で取り上げた.興味を持たれた方はご覧いただきたい.文中に出てくるTM先生とは,竹内先生のことである.なお,このエッセイには,6編の原稿を先生に手渡しているがどの原稿が採用されるか不明である,と記した.実際に2006年2月発行の第5号に印刷されたのは,「ほんのちょっとのお節介」であった.

その後の数年間は,振興会報告の編集の手伝いも行った.また,2008年4月から3年間,私は理学研究科長を拝命したが,在任中振興会の寄付事業を行ったり,3賞の副賞を賞金から楯に変更したりと,先生とご一緒に振興会の活動の一端も担わせていただいた.

また,2012年からは振興会報告の編集委員長になること,そしてあとで知ったのだが,竹内先生に代わり常務理事に就任することを,先生自身は予定されていたようだ.しかし,私は本学の執行部に入ることが決まったため,双方の人事とも実現しなかった.代わりに就任されたのは,数学専攻の高木泉教授である(現本学名誉教授,教養教育院・総長特命教授).

先生は,本学の川内けやき保育園の開設(2005年度)に尽力されるなど,退職後も本学の職場環境の整備に向けて活動を行ってきた.ご自身の専門分野である天文学の教育や研究に加え,組織全体がよりよく発展するための環境改善にも常に注力されていたのである.そのような観点から考えると,理学部・理学研究科の発展のために青葉理学振興会の設立を古くから発想したことは極めて自然なことであろう.

竹内峯先生の本学や理学研究科に対する生前のご貢献に感謝の意を表して,本稿の筆を置くこととする.

2018年9月10日記

【構想メモ全文】
               1991年4月
理学開講80周年記念行事案
民法法人設立構想メモ (ver.1.0)
               竹内 峯

Ⅰ 財団の規程の概要
1 名称 財団法人 〇〇会
(例えば,財団法人 自修会記念財団)
2 事務所 理学部構内
3 目的 ・自然科学の基礎的研究の成果の発表,交流に関する諸事業を助成
・研究成果の出版
もって自然科学の発展に寄与する
(当面は,財団が主体となって研究調査活動を組織しないとする)
4 事業 ア 自然科学の進展に寄与する基礎的調査活動
イ 国際的学術研究集会開催に対する助成
ウ 海外学術研究集会参加に対する助成
エ 学術研究成果の刊行
オ その他
5 資産 ア 設立時の財産(2ないし3億円)
イ 資産から生ずる収入
ウ 事業に伴う収入
エ 寄付金品
オ その他
6 資産の種別 基本財産(最低5千万円),運用財産
7 資産の管理 理事長が管理する
8 基本財産の処分 理事会の承認を経たのち県知事の承認が必要
9 経費 運用財産をもって支弁する
10 事業計画と収支予算 理事長が編成し,理事会の議決を経て,毎年4月1日以前に県知事に届け出る
11 収支決算 理事長が作成し,監事の意見を付け,理事会の承認を受けて,6月30日までに県知事に報告する
12 役員 ア 理事(20名以内か? うち1名が理事長,常務理事が3名程度,代表権は理事長がもつ
イ 監事 2名または3名
13 役員の選出 理事,監事は評議員会で選ぶ
理事長,常務理事は理事の互選
14 役員の任期 2年,再任を妨げない
15 評議員 評議員(20名前後か?)
理事会で選出し,原則として役員を兼ねることはできない
16 定足数 理事会,評議員会っとも3分の2以上 文書参加は出席とみなす
17 評議員会 理事会が重要事項を決める際にあらかじめ意見を求めなければならない
18 規程の変更 県知事の認可が必要
19 解散 県知事の認可が必要
Ⅱ 役員および評議員の構成案
1 理事 理学部各教室より 5名程度,理学部長 1名,
各界有識者 5名以上,財団事務局長 1名
2 評議員 理学部各教室関係者 5名以上,有識者 10名程度
Ⅲ 事業の概要
1 事業計画 ア 国際学術研究集会開催者への助成(年 1件)
イ 若手の海外学術研究集会参加への助成(当面 年 3件)
ウ 研究成果の刊行(その都度検討する)
エ 理学部設立時の資料の整理
オ その他
2 終始見積 ア 収入 計1,600万円
 (内訳)
   利子収入      1,500万円
   寄付金収入        100万円
イ 支出 計1,600万円
 (内訳)
   人件費        300万円
   事務所維持費     20万円
   その他の事務経費     80万円
   研究集会助成費   1,000万円
   若手海外派遣助成    120万円
   理学部史資料整理       80万円
3 助成の対象は宮城県内居住者とする
4 事務局体制 事務局長 1名(常務理事,非常勤,有給,任期2年)
事務局員 1名(常勤,有給)
Ⅳ 設立
1 発起人 各教室より講座数×3名程度を推薦して頂く 計200名程度
2 代表発起人 各教室より各1ないし2名
理学部長経験者 7名
現理学部長,評議員 計3名
筆頭代表発起人を1名決めて頂く
3 募金委員会 現職教授 7ないし8名で構成
4 総務委員会 設立手続き,設立募金の免税手続き,各系より 各1名程度で構成
5 設立にかかわる経費 印紙代,印刷費,郵送料などは,事務経費として設立募金より支出する.旅費は原則各自負担
6 募金 ・一般募金(目標2億円以上,同窓生有志および各企業への依頼)
・理学部教官には一定額拠出して頂く
・物理系同窓会は一定額拠金する(数百万円)
7 日程 代表発起人確定 1991年6月
募金開始 1991年末
設立 1993年月
以上


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