木村会 |
この(2019年)6月21日(金)の朝,10時を過ぎたころに,連れ合いからスマホにメールが入った.恩師木村宰(おさむ)先生が未明に亡くなられたとのことである.先生は持病を抱え,ここ1年ばかりは体調があまりよくなく,外へ出歩くことを控えていた.さらに,この5月に入ると内臓に疾患があることも分かり,自宅近くの病院へ入院されていた.覚悟はしていたものの,このような突然の訃報に呆然となった. 木村先生は高校の国語の先生で,私が1年の時の担任であった.そして,高校を卒業してからもずっと切れ目なく,連れ合いともどもお付き合いをさせていただいた先生である.高校の同級生である連れ合いの担任ではなかったが,連れ合いが母校で教員として勤めているとき,先生は校長で戻られたので上司としてお世話になった. 木村先生には私が人生を歩む中で,2回の大きな転換点でお世話になった.1回目はまさに高校の担任の時に,そしてもう1回は今から15年ほど前に.まさに人生の「岐路」にあたり,私を導いてくださった先生である. 先生との思い出は尽きない.そんな中で,ここ数年は,私と連れ合い,そして何名かの高校の同級生との間で親睦会「木村会」を開いて先生との密度の濃いお付き合いを楽しんだ. 公立校教員の定年は満60歳を迎えた年度末であるので,教員をしていた同級生の定年は2013年3月のことであった.引き続き何らかの職に就くことになるのだが,一区切りということで,退職したS君とT君の2人,そして私と連れ合いの4人が,木村先生を囲んで山形の我が家で懇親の会を持ったのが会の最初である.2014年2月8日(土)のことであった. S君もT君も母校で教鞭をとったことがあり,全員が先生との付き合いは深かった.この懇親会が契機となり,翌20015年からは毎年3回程度,このような懇親の会を持つこととなった.初回こそ我が家であったが,負担をかけることを気にした木村先生の一言で,次の会からは市中のお店を借りての懇親会となった.最初のころは私たち夫婦のためという側面もあったため,S君やT君は花輪会と呼んでいたのだが,私たちが木村会と呼ぼうと主張して,この会の名称は木村会に落ち着いた. 会では近況報告からはじまり,実に様々なことを話題にし,毎回会は大いに盛り上がった.年明けに開催される会では,庄内地方の高校に務めたT君のお世話で,庄内地方の酒蔵の酒と,日本海で獲れた寒ダラの鍋を楽しむのが定番となった. その後,イスラエル史を専門とし,愛知県や茨城県の大学で教鞭をとったOさんが山形に帰ってくるというので,Oさんも参加することになった.また,地元の銀行に長年勤め既に退職していたY君も話を聞いて,ぜひ参加したいということで加わることとなった.OさんもY君も高校3年の時は木村先生が担任であった.そんな訳で,木村会は先生を6名の教え子が囲む会となった. 誰の発案だったのだろう,おそらく木村先生だと思うのだが,2015年10月に開催された会から,毎回担当者を決めて酒席の前に1時間程度の話題提供をすることとなった.最初に担当したのはOさんである.イスラエルを中心とした中東問題を解説してくれた. 続いて英語が専門でイギリスに留学したこともあるS君はイギリスの文化と社会を,地質・地理が専門のT君は山形県の火山と出羽三山を,銀行マンだったY君は老後の資産形成について,連れ合いは民生委員の仕事の内容を,私はエルニーニョと日本の天候との関係についてを話題提供した.そしてその後,2ラウンド目の話を楽しんでいた. 木村先生自身は,2017年12月9日(土)に開催した木村会で,「藤中将 藤原実方 伝-千歳山『あこやの松』とのかかわりで」と題する話題提供を行った.紫式部による源氏物語の主人公,光源氏のモデルとされる藤原実方が,京都で失態をおかしたため,天皇の一言で陸奥の国(現宮城県)に左遷された.実方は山形市の千歳山にまつわる伝説「あこや(姫)の松」に興味を持って視察に来ている.この視察の後,実方は,帰り道の途中の名取で落馬し,命を落としてしまう.このような一連の話をまとめた話であった. 6月23日(日)に行われた先生の告別式のときに,奥様から「この間大変楽しい会を開いてくださり,有難うございました.主人は参加をいつも楽しみにしていましたよ」とのお言葉をもらった. 木村先生と私の最後のコンタクトは電子メールだった.件名に「ありがとう」とするメールをこの4月26日(金)にもらったのである.4月に東北大学出版会から出版したブックレット003「東北大生の皆さんへ-教育と学生支援の新展開を目指して-」を送付したことへのお礼のメールであった,文面は次のようなものである. 「『東北大生の皆さんへ』のご送付,ありがとう.いつも楽しみながら読ませていただいております.大学生としての在り方を,学問に向かう姿勢,教養の大切さ,社会人としての在り方など,関心を持ちながら,読ませていただいております. まだ飛び飛び,関心のありそうなところから,気の向くままに拾い読みです.7大学総体(注:七大戦のこと)という存在が,意外と大きい.それにかかわるものもあったし,応援団活動のこともあったし,スポーツ活動への関心について書かれているあたり,大変興味深く読みました.驚きは,ヨット部の『想定内』の話,すごいものだと思いました. 取り急ぎ,お礼のみです.そのうちゆっくりと. 別件.Y君の病状,気に掛かります.T君から少し聞いてはおりますが,私と部位こそ違え,呼吸器という点では共通しますからね.」 最後の別件の文章は,この3月に行う予定であった木村会が,Y君が体調を崩したために流会になったことを聞いて心配してのことである. 告別式後の7月6日(土)に,体調を取り戻したY君も含め,先生のいない木村会を開催し,思い出話で先生を追悼した. 現在,ブックレット『東北大生の皆さんへ』の続編を準備している.出版したら先生にも読んで欲しかったのであるが,これは叶わなくなってしまった.そこで2回目の著者校正の時に,「本書を手に取ることなく急逝された恩師木村宰先生に捧ぐ」との文章を入れた.合掌. 2019年9月10日記 website top page |