旧雨宮キャンパスのメタセコイア |
2017年3月,農学研究科・農学部は北六番丁の雨宮キャンパスから,青葉山新キャンパスに移転した.跡地は2014年1月にイオンモール(株)への売却が決定されており,一部土壌改良工事を経たのち,2018年12月にすべての土地の引き渡しを終えた.今回は,この旧雨宮キャンパスのメタセコイアのことである. 【旧雨宮キャンパスの歴史】 雨宮キャンパスは,1925(大正14)年に,第二高等学校(旧制二高)が立地したことに原点を持つ.この旧制二高の前身は第二高等中学校であり,同校の法制上の設立は1887(明治22)年4月である.現片平キャンパスに第二高等中学校の校舎が完成したのは1989(明治24年)のことで,開校式は1891(明治24)年10月に挙行されている.その後1894(明治27)年に「高等学校令」が発布され,第二高等学校と名称を変えた.旧制二高の誕生である. その後,1922(大正11)年8月に東北帝国大学に法文学部が設置されるにあたり,旧制二高は片平丁の校地を提供し,1925(大正14)年になり,現在の北六番丁に移転した.当時,北六番丁付近に人家はなく,一面水田であったという. 第二次世界大戦末期,1945(昭和20)年7月10日未明の仙台大空襲により校舎が焼失したため,旧制二高は三神峯の仙台陸軍幼年学校が使用していた校舎に移転した.その後学制改革により旧制二高は,1949(昭和24)年5月に新制東北大学に包括され,翌1950(昭和25)年3月に廃校となった.1947(昭和22)年に設立されていた東北大学農学部が,北六番丁の旧制二高の跡地に,片平キャンパスから移転したのは,1949(昭和24)年4月のことである. 仙台大空襲では,元寺小路(仙台駅の北東側)にあった宮城県第一高等女学校も焼失した.そのため,校舎を北六番丁に新築し,1947(昭和22)年に移転した.翌年同高は宮城県第一女子高等学校(旧宮城一女高)と改称し,1953(昭和28)年には,仙台市中島丁(八幡一丁目)に移転した.なお,同高は2008(平成20)年に共学化され,宮城県宮城第一高等学校と改称している.旧宮城一女高の敷地は,旧雨宮キャンパスの正門から南北に走る構内道路の西側のおおよそ半分であった.旧宮城一女高が移転した1953年以降,この跡地も農学部が使用することとなった. 以上,この節を記載するにあたり,インターネット百科事典「Wikipedia」,農学研究科のウェブサイト,特に「雨宮キャンパス感謝祭」・「雨宮(北六番丁)キャンパスの歴史」,宮城県宮城第一高等学校のウェブサイトを参照した. 【農学部の設置と北六番丁への移転】 昭和の初めより,東北地方の主要産業は農林水産業であるので,農学部の設置は本学の悲願であった.しかし,政府予算の欠乏などからなかなか実現せず,1939(昭和14)年になってようやく農学研究所が片平キャンパス内に設置された.理学部の小運動場と仙台高等工業学校寄宿舎などの跡地を利用したのだという. その後農学研究所は,1988(昭和63)年に遺伝生態研究センターに改組され,2001(平成13)年には新しい独立研究科として設置された生命科学研究科に統合改組された.農学研究所は農学部の直接の母体ではなかったが,東北大学における農学研究の先駆けとなり,農学部設置の基礎を築いた. 農学部の設置が認められたのは,1947(昭和22)年のことである.同年4月19日に勅令139号が発布され,整備が終了すれば21講座体制となる農学部の設置が決まった.当初は片平キャンパス内の農学研究所や医学部,理学部の一部に間借りをしていたが,1949(昭和24)年に北六番丁の旧制二高跡地に建物が整備されたのを皮切りに移転が始まった.順次建物が整備されるにしたがって学科ごとに片平キャンパスから移転し,終了したのは1951(昭和26)年5月のことである. 以上の記載に関しては,1960年1月発行の「東北大学50年史」の「農学部」,および「農学研究所」などの章を参考にした. 【旧雨宮キャンパスのメタセコイア】 雨宮キャンパスは街の真ん中に立地しているものの,樹木の多いキャンパスであった.農学研究科・農学部の青葉山新キャンパス移転を前に,キャンパス内の樹木調査が行われている.それによると,ヒノキやケヤキ,イチョウなど,合計2781本(高木1501本,中・低木1280本)の樹木が確認された.この中に,17本のメタセコイアが含まれている. 17本のメタセコイアは,次の4か所に分かれて植樹されていた.樹高と幹の直径も調査されているので,その情報も記しておく. ① 生協食堂前.6本,樹高30メートル,幹の直径69~95センチメートル. ② 旧宮城一女高・講堂前.5本.樹高25メートル,幹の直径65~80センチメートル. ③ 動物飼育棟裏.3本.樹高15~20メートル,幹の直径70~95センチメートル. ④ 北通用門前.3本.樹高20メートル,幹の直径100~120センチメートル. 農学研究科・農学部は,2016年10月28~30日に「雨宮キャンパス感謝祭」を開催した.移転を前にした最後の感謝祭である.私も里見総長と共に29日(土)のホームカミングデイの行事が行われている最中,川内南キャンパスを抜け出して感謝祭を見学させていただいた. この感謝祭を広報するウェブサイトに,「雨宮散歩」の項目があり,その中に「雨宮のアルバム」のコーナーがある(URL: https://www.agri.tohoku.ac.jp/suiseikai/fes/sanpo-2.html).そこにはキャンパス内で撮られた40数枚の写真が掲載されている.そのうちの少なくとも6枚にメタセコイアが入った写真を確認することができた. 牧野周先生によると,1956(昭和31)年に撮影された航空写真には,いずれのメタセコイアも確認できないということで,植樹はそれ以降ではないかということである.また,1982(昭和57)年撮影の航空写真では,北側通用門付近のメタセコイアが確認できるという. ところで,上記のように雨宮キャンパスには2800本近い樹木があり,その中にはメタセコイアも含めて秋になると落葉する樹木を多かった.そこで農学研究科・農学部では,11月末から12月の初めにかけての1日を定め,環境美化行事の一環として総出で落ち葉拾いをしたのだという.各研究室,さらに研究室所属の前の3年生にも区画を割り当てた.広い敷地であるので,この落ち葉拾いは一大行事だったのだろう. 【現存するメタセコイア】 雨宮キャンパスの跡地には,商業施設,老人介護施設,病院,2棟のマンションが建設されることになっている.そのため,農学研究科・農学部の移転後,ほとんどの樹木が伐採されて整地が行われた.現在(2019年9月)メタセコイアで残っているのは,旧宮城一女高・講堂前の5本と,北通用門付近の3本の,計8本である. 北通用門前ではなく北通用門「付近」と書いたのは,元の位置ではなく,それよりも西側に移されているからである.移植された3本には,倒れることがないようにと,現在(2019年9月)四方にステー線が張られている.なお,この3本のメタセコイアが北通用門前の3本であったのかは定かではない.というのも,3本のうち1本の樹高が極端に低く,樹木調査の樹高「3本とも20メートル」とは異なるように観察されるからである. 旧一女高講堂前の5本のメタセコイアは,南側と北側の樹高が低く,真ん中の3本が高い.また,移植された北通用門付近のメタセコイアでは,道路に近い2本の樹高が高く,奥側の1本の樹高が低い. これは他のところのメタセコイアでもそうなのだが,同じような場所に植樹しても成長にかなりの差が出ることがある.その良い例は,片平キャンパスの旧生物学科の建物付近(現放送大学宮城センター)に植樹された本学に最初に来た3本の苗木のうちの2本のことである.1本はすくすくと育ったものの,1本は育ちがとても悪く,後に手当を施さなければならなかった.苗木の良・不良,その植樹した土地の適・不適(栄養状態)などいろいろ理由で,成長に差が出ることもあるようだ. 【おわりに】 本学農学研究科の清和研二先生(林学・森林工学)と長野県在住の建具職人有賀恵一さんによる「樹と暮らす 家具と森林生態」(築地書館,2017,209ページ)と題する本がある.この中の外来種の項目の中に,メタセコイアが紹介されている(174~175ページ). 「堂々とした樹形」と題する「樹」の項目で清和先生は,「(略)伸びすぎて邪魔になるせいか,樹冠の上のほうを半分ほど切り落とされ,枝も切り詰められている姿をよく見かける.(略)本来はとても堂々とした樹であるのに,なぜ,計画性をもたないのだろう.木への情愛が感じられない景観は何か寂しい」と記す. 「明るいピンク色」と題する「材」の項目で有賀さんは,「材はやわらかく,明るいピンク色でおとなしく,スギによく似ていて軽い木です.カンナ仕上がりがよく,気持ちよく仕上がります.節もきれいに仕上がります」と紹介する. そして清和先生による農学部生協食堂前の6本のメタセコイアの白黒スケッチが掲載されている.このスケッチには,次のような文章が添えられていた. 「東北大学農学部の食堂前には立派なメタセコイア並木がある.しかし農学部は移転した.いずれ,木々は伐られ,整地され,そこに新しい建物が建ち,また,小さな苗木が植えられるだろう.(改行)こんなことばかり繰り返すので,いつになっても日本には落ち着いた景色が見られない.」 メタセコイアが1950年に本学に導入されて70年が経った.植樹の際にメタセコイアがこのように大きく育つとは,思い至らなかったケースもあったのではなかろうか.現存するメタセコイアをどのように処置するのかは,私も大きな課題であると思う. 【謝辞】 昨年(2018年)夏に雨宮キャンパスのメタセコイアについて調べようと動いたところ,当時研究科長であった牧野周先生のご尽力であっという間に情報が集まった.本稿をまとめるのにここまで時間がかかったのは,私自身で残存するメタセコイアを確認する作業がこの(2019年)9月14日にようやくできたことによる. 牧野周先生と山谷知行先生(元研究科長,現学際高等研究教育院長)には,多くの情報を提供していただき,また取材にも応じてくださった.御礼申し上げる.また,情報を寄せくださった農学研究科の金子淳先生,井元智子先生にも御礼申し上げる. 2019年10月10日記 website top page |