星陵キャンパスのメタセコイア
この(2019年)10月6日の日曜日に,まとまった時間が取れたので星陵キャンパスのメタセコイア探しに出掛けた.星陵キャンパスは,立町のマンションから歩いて20分ほどのところにある.事前に何の情報も得ていないまま訪問したのだが,幸い7本のメタセコイアをすぐに見つけることができた.今回はその報告である.

【星陵キャンパス設置の経緯】

本学の星陵キャンパスは,宮城県が東北帝国大学に医科大学の設置を見据えて,1908年2月に,北四番丁・北五番丁・北六番丁に用地を取得し,それまで東二番丁にあった県立の「宮城病院」を移転させることに決めたことに端を発している.

1736年,仙台(伊達)藩は「明倫養賢堂」を設置し,医師の養成を始めた.その後1817年には養賢堂から「仙台藩医学校」が分離された.これが基になって,1879年には,県の施設として宮城病院・附属医学校が設置された.1882(明治15)年には,宮城医学校・同附属病院と主・従の関係を逆転させた組織替えがなされた.附属病院は東二番丁に,医学校は東一番丁にあった.

その後宮城医学校は,1887(明治20)年に第二高等中学校医学部となり,1889(明治22)年には,片平丁(現在の本学片平キャンパス)に移転している.第二高等中学校医学部は,1894年(明治27)年.に.第二高等学校(旧制二高)医学部と改称された.1901(明治34)年4月1日には,旧制二高から医学部が分離独立し,仙台医学専門学校(仙台医専)となった.仙台医専には,医学科と薬学科が併設されていた.

1907(明治40)年6月22日に東北帝国大学が勅令により設置された.その後,1912(明治45)年4月に1日に,仙台医専は東北帝国大学に包摂され,東北帝国大学医学専門部となった.さらに翌年の1913(大正2)年には,県立の宮城病院を移管し,医学専門部附属病院となった.

1915(大正4)年7月14日に,医学専門部は東北帝国大学医科大学として改組された.1919(大正8)年4月1日に,帝国大学令の改正を受け,医科大学は医学部と改称された.

この間,宮城県や仙台市は,医師養成の重要性を認識し,医科大学の設置に向けた寄付や,県立である宮城病院を将来は大学に移管することを念頭に,土地や建物等の取得・整備を行ってきた.1908(明治41)年2月に,宮城県議会は宮城病院の北四番丁・北五番丁・北六番丁,すなわち,現在の星陵キャンパスへの移転を決めている.

宮城病院が北四番丁に完成したのは,1911(明治44)年であり,仙台医専が東北帝国大学に包摂される1年前のことであった.

1913(大正2)年ごろからは,医学部の設置を見据え,建物を星陵キャンパスに順次建設し始め,1915(大正4)年に片平キャンパスからの移転を完了している.

以上をまとめるにあたり,「東北大学五十年史」(1960年)や,各部局ウェブサイトの沿革の項目,さらにはWikipediaなどを参照した.結局,星陵キャンパスは,宮城県が将来東北帝国大学に医科大学附属病院が設置されるであろう(べき)との立場から先行取得し,宮城病院を建設したうえで,東北帝国大学に移管したことに端を発すると言える.

【歯学部と加齢医学研究所】

星陵キャンパスにある部局は,医学系研究科・医学部と東北大学病院に加え,歯学研究科・歯学部と加齢医学研究所である.

歯学部は1965(昭和40)年4月1日に設置され,1967(昭和42)年には歯学部附属病院が開設された.歯学部附属病院はその後,2003年10月1日に医学部附属病院と統合し,東北大学病院となった.市学研究科・歯学部の敷地は,星陵キャンパスの北六番丁側の東側を占める.

加齢医学研究所は,1941(昭和16)年12月15日に,結核とハンセン病撲滅を目的として設置された「抗酸菌研究所」にルーツを持つ.1943(昭和18)年には,北四番丁に研究所本館が建設され,社団法人生命保険厚生会が同研究所の附属病院としての機能を持つ仙台厚生病院を開設した.1964(昭和39)年には,抗酸菌研究所附属病院が設置された.

1977(昭和52)年3月23日には,星陵キャンパスの現在地に研究所が新築移転し,附属病院も現在地に1980(昭和55)年3月31日に新築移転した.

結核患者の急激な減少などの状況により,抗酸菌研究所は,1993(平成5)年4月1日に加齢医学研究所に改組された.2000年4月1日には,附属病院は医学部附属病院へ統合された.更に2003(平成15)年10月1日には,医学部附属病院は歯学部附属病院と統合し,現在の東北大学病院となった.

【星陵キャンパスのメタセコイア】

星陵キャンパスでは,東端の大学病院へ通ずる道を入り,旧国道48号線(北五番丁通り)沿いに西側に向かって歩いてみた.この道路沿いには多くの種類の樹が植えられている.道路の喧騒を遮るものとして,そしてキャンパス内を落ち着かせるものとしての役割を担っているようだ.

病院を過ぎて西側になると,医学部・医学系研究科の建物が建つゾーンになる.西端の医学部6号館・東北メディカルメガバンク棟の道路側に,他の樹木よりひと際背の高いメタセコイアを見つけた.3本あるが,中央の1本は細い幹で樹高も低いため,遠くからは2本のように見える.一方,両端のメタセコイアは樹高も高い分幹の直径も大きく,樹齢を重ねているように見える.

さらにキャンパスの外周沿いに時計回りに移動すると,立体駐車場の奥に,樹高の高い樹が見えた.もしかすると,と思って近づくと,案の定,4本のメタセコイアであった.持参した東北大学概要の地図を見ると,保健学科の建物(本館B棟)の南(裏)側にあたっている.その後,北六番丁の通りに出て保健学科本館の前に回ったところ,北六番丁の道路からは,右手の本館B棟の上に,4本のメタセコイアの頂上付近が見えた.

4本のメタセコイアともほぼ同じような幹の直径と樹高で,同じ時に植樹したものであろう.ただし,医学部6号館・東北メディカルメガバンク棟脇の樹高の高い2本よりは樹高が低く幹も細いので,植樹はそれらよりも遅かったものと推察できる.

ただ,4本のメタセコイアの建物側(北側)の枝が切られていた.建物近づけすぎて植樹したような印象を受ける.メタセコイアは根を広く張ったり,落葉したりするので,医学部保健学科でも対応に困っているのではなかろうか.

その後キャンパス外周の沿って回り,さらに加齢医学研究所や歯学部・歯学研究科の建物周辺を歩いてみた.これら以外にメタセコイアは発見できなかった.星陵キャンパスのメタセコイアは,上述のように,2か所で計7本のみに違いない.

なお,星陵キャンパスのメタセコイアの植樹について,何か情報が残っていないかと事務部の方や懇意にしている教員に問い合わせをしているのだが,今のところ何の情報も得られていない.

2019年11月10日記


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