最近読んだ本から(2020年2月)
今回の「折に触れて」は,「最近読んだ本から」用原稿の転用である.

1.生きながらえる術(すべ)
著   者:鷲田 清一(わしだ きよかず:せんだいメディアテーク・館長,元大阪大学総長,専門は臨床哲学)
出版社等:講談社,2019年5月22日,265ページ
<一言紹介>
著者はいう,私達は今,出産から医療,看取りまで,食材の調達から調理まで,そして教育から防災・防犯,もめ事解決まで,行政や大企業が提供するサービスを購入し,消費するという「消費社会」に浸っていると.そして,この生存の萎縮や塞がりからどう押し返すのかが問われていると.著者はそれには,「人びとが生業の,協働の,相互支援の≪わざ≫を学びなおすこと」が真っ先に必要だとする.本書の題名の「術」も,このわざに通じている.本書は,「生活資材の果敢で心温まるデザインの発想術」,「暮らしと生業のしたたかな技法(アート)」,「生きるということの始原(アルケー)に還ろうとする同時代のいくつかの芸術(アート)」,「生きる世界のその根元のかたちを探求してきた思想家たちの思索の術(アート)」について,思うところを綴ったものである.本書に収められたエッセイや書評の大半は,2011年の東日本大震災の後に書かれた.引用はすべて「はじめに」から.

2.もうひとつのモンテレッジォの物語/かごの中の本 -モンテレッジォ 本屋の村の物語-
著   者:内田 洋子(うちだ ようこ:イタリア在住のジャーナリスト,エッセイスト)/モンテレッジオ村を含む校区にあるリヴィオ・ガランティ小学校2年の子供たち
出版社等:方丈社,2019年12月25日,128ページ/95ページ
<一言紹介>
『モンテレッジオ 小さな村の旅する本屋の物語』(方丈社,2017:最近読んだ本から,No. 227)の著者内田さんは,多くの村人が本を行商していたこの村を取材すると同時に,日本とイタリアの子供達の交流を村の小学校へと提案していた.幸い企画が通り,子供達は毎週土曜日,村の歴史を調べることになる.日本の小学校の「総合学習」にあたるのであろう.子供達は歴史を振り返り,先人の苦労を追体験することで,先人対する思いを深めていく.表表紙からめくる本書の半分は,内田さんの取材を写真付きで紹介したもので,裏表紙の方からめくる残り半分は,子供達による学習成果の報告書で,子供達の絵がふんだんに使われている.そして子供達と支援した大人達計10名が,内田さんの本が出版される2018年の春,日本を訪問する.モンテレッジォ村の全景が表紙に印刷され,イタリア語でも記載された本のタイトルを見て,子供達は「インクレディービレ!(信じられない!)」と叫んだ.著者の行動力とそのバイタリティには頭が下がる.

3.大学はもう死んでいる? トップユニバーシティからの問題提起
著   者:苅谷 剛彦/吉見 俊哉(かりや たけひこ:オックスフォード大学・教授,専門は社会学,現代社会論/よしみ しゅんや:東京大学大学院情報学環・教授,専門は社会学,都市論,メディア論)
出版社等:集英社,集英社新書1006E,2020年1月22日,283ページ
<一言紹介>
苅谷氏(1955年生)は東大で修士課程を経て米国の大学で学位取得.その後東大で18年間教鞭をとり,2009年にオックスフォード大学(オ大)に移る.吉見氏(1957年生)は東大大学院を経て同大で教鞭をとる.この間,教育担当副学長に就任.2017年8月から1年間は米国ハーバード大学で教鞭をとる.二人が4日間にわたりオ大で日本の大学が直面する課題についての対談した内容が本書で紹介される.吉見氏は,「大学が単に専門知識を学生に詰め込む機関ではなく,専門知に基づいた知的想像力をはぐくむ空間であるのなら,そこでの教育はいかに営まれなければならないのか.-この点についての英米の大学の認識は一致しており,おそらく日本の大学だけが世界の中でも例外的に逸脱している」(10ページ)と指摘する.日本が先進国をキャッチアップする時代が終わり,新たな価値の創造のためには日本の大学はどのように変革されるべきなのかが模索されている.

2020年2月10日記