「藝」と「芸」 |
最近読んだ『東京藝大 仏さま研究室』(樹原アンミツ著,集英社文庫,2020年:「最近読んだ本から」の欄のNo. 316で紹介)で初めて知ったことである.「藝」と「芸」は,実は真逆の意味を持つ漢字なのだそうだ.すなわち,「藝」には‘植える’や‘増やす’の意味があり,「芸」には‘くさぎる’や‘刈る’の意味があるのだという(208ページ). 私は,「芸」は「藝」の簡略版の漢字と思っていたので,どうしてこのようになったのだろうかと興味が湧いた.インターネットで調べてみたところ,2つの漢字の意味を上記のように逆の意味を持つと説明した文章に出会った.その文章には,今道友信(いまみち とものぶ)氏の著書『美について』(講談社現代新書,1973年)を参考文献に挙げていた.そこで,さっそくこの新書を入手し調べてみた. 今道信彦氏(故人,1922-2012)は東京大学文学部で長年教鞭をとられた方で,ウィキペディアでは,美学者・西洋哲学者と紹介されている.以下,『美について』の中での藝と芸に関する記述を紹介する.2つの漢字の説明と「藝」の簡略字を「芸」としたことに対する今道先生の評価は2か所にあった.まず,「まえがき」である.本書を出すにあたりお世話になった方への御礼の部分に続け,今道先生は次のように記す. 「その御礼の気持ちが私の節を枉(ま)げさせて,前著同様,文部省の定めたいわゆる新かな遣いに文章を改める約束を致しました.漢字も,藝術のかわりに芸術としましたが,芸は本当は「ウン」という音の農業用語で『クサギル』と訓(よ)み,雑草を刈り取ることです.したがって,『種子を植えつける』という題意の藝とは反対の意味を持つ字なのです.漢字の故郷シナでは,藝の略字は(注1)か(注2)です.『げいじゅつ』とは,人間の精神に良い種子を植えつけるものだと思いますから,芸術ではなく藝術の方が,正しいばかりでなく,それこそ美しいと思いますが,致し方ありません.」(5~6ページ) 文中に出てきた藝の略字(注1)は,くさかんむりに‘乙’の字,(注2)はくさかんむりに‘執’の字である.なお,上記の文章中,漢字の後ろの括弧には同書に付されているルビを入れた. この本の第3章は「芸術の力」と題する章で,その第3節が「語源的考察」(71~76ページ)であり,その最後に「『藝』の考察」の項目がある(75~76ページ).「まえがき」の記述と趣旨はまったく同じであるが,別の表現を用いてやや詳しく説明しているのでこれも参考となる.幾分長くなるが関連する部分を引用する. 「今わざわざむつかしい字形でここに紹介するこの『藝』という字は,漢代の初期(前二世紀頃)に今日の形の文献として成立していた『論語』や『周禮』にも見られるもので,もともとの意味は『ものを種(う)える』ということであり,人間の精神において内的に成長してゆく或る価値体験を植えつける技ということを意味するから,私の見るところでは,洋の東西を問わず,今ここで主題としている文化現象を表すにはこれを使った藝術が一番適切な言葉なのではないかと思う.ただし,今日本で使っている『芸』という字は,もともと『藝』の略字ではなく,漢字本来の伝統では立派な本字なのであるが,『草を刈りとること』であって,『ウン』と発音し『クサギル』と訓(よ)む言葉で,『藝』の語感とは全く異なるし,『芸術』と書けば農業の田畑の草をとる技術と同じ意味になるが,しかし,当用漢字の制度では,『ゲイ』と読んで『藝』の略字であるという風に定められ普及してしまったので,こういう間違ったことに妥協するのはよくないことであるが,その制度のもとに育っている多くの読者の便をはかれば,この字で藝の意味を理解するほかない.」 上記の、「藝」とは「人間の精神において内的に成長してゆく或る価値体験を植えつける技」であるとの説明には、うなってしまう.ところで,今道先生の文章は実に長い.引用した節は,たった2つの文で構成されているだけであるのだが,何行にもわたってしまう.閑話休題. 今道先生は続けて「芸術」を次のように定義する.「人間によって発見される秩序をもった自然的存在を,一定の手続きにより,価値を結晶軸にして,それ自身自己完結的な,人間によって組み立てられた秩序をもつ美しく快い作品まで作り上げる技術,それが芸術である.この意味では,芸術は物質の条件の配置転換による価値付与であるといってよいかと思う.」 最後の文の「芸術」の定義、「物質の条件の配置転換による価値付与」も素晴らしいですね. さて,インターネットで調べていると,「あつじ所長の漢字漫談38 『藝』と『芸』と『(注1)の漢字』について」の記事を見つけた.‘あつじ所長’とは,京都大学・名誉教授の阿辻哲次先生のことで,現在、(公財)日本漢字能力検定協会漢字文化研究所の所長を務められている方である. このコラムは,藝と芸の違いなどを説明したあと,中国からのお客さんが来日した時のエピソードを紹介しているかなり長文の記事であった(末尾にURLを示す).内容の主なところを紹介しよう. 「周礼(しゅうらい,今道先生の本では周禮と表記)」によると,昔の中国では貴族の子供は「六藝」を学んだ.「六藝」とは,式典での作法,音楽,弓術,馬術,文字,算数である.学習科目を「藝」と表現したのは,「もともと『藝』という漢字が木や草の苗を地面に植えようとしている形を表している」からで,「おさないころからすぐれた内容をもつ教育をあたえれば,やがてその人の精神に豊かな教養が芽生え,大きく花開くことを,古代の中国人は『藝』ということばで表現した」のだという. 日本では「藝」を「芸」と書くが,これは古くから使われており,戦後制定された当用漢字で「芸」が正規の字体となった.しかし,本来「芸」は「藝」とは全く異なる字で,防虫効果のある草を指した.大切な書物を保存する場所には,この草を敷き詰めていた.そのため,「芸亭(ウンテイ)」は図書館を意味した. そして阿辻先生は次のように続ける.節の大部分を引用する. 「(略)日本では鎌倉時代あたりから『芸』を『藝』の略字として使いつづけてきました.そして戦後に定められた『当用漢字』で,その略字を『藝』にかわる規範的な字体としたのですが,それはまことに浅はかな行為だったと私は思います.ちなみに雑誌『文藝春秋』や日本文藝家協会が『芸』を使わず,一貫して『藝』を使いつづけているのは,まことに正しい見識を示すものだと言えましょう.」 そして,中国では藝の略字は(注1)の字であるのは,発音がよく似ている(声調がちがうだけ)ことを利用したからだとする.現在の中国ではほとんど「芸」を使う機会がないので,日本でよく使っている「工芸品」の言葉は理解できないのだと指摘する.そして,実際中国の研究者が来て博物館を見学した時,「工芸品」が理解できなかったというエピソードが紹介されている. 以上が「藝」と「芸」について,今回私が知りえた内容である.こんなこともあるのですね,が私の感想であった.戦後,当用漢字の制定時にどのような議論があって,「藝」が「芸」になったのかは分からないが,鎌倉時代から既に使われていたというのでは議論も特になかったのかもしれない. ところで,日本に数ある「芸術大学」の中で,「藝術大学」と称しているのは幾つくらいあるのだろうとインターネットで調べてみたところ,東京藝術大学が唯一であった.私は,東京藝術大学には,ずっと「藝」を使ってほしいものだと願っている. <あつじ所長の漢字漫談38のURL> http://www.kanjicafe.jp/detail/8162.html 2021年2月10日記 |